第55話 押し倒した理由は?

 HRが終わり、放課後になると共にクラス内の生徒たちが一斉に動き始める。部活に行くものや遊びに行くもの、帰宅するものなど様々だ。

 そんな中、俺は真っすぐ黒井の席に向かう。

 黒井はスマホの画面を注視しており、俺の存在には気付いていないようだった。


「黒井、少しいいか?」

「あ、え……っ。わ、悪い、今日は予定あるから後にしてもらってもいいか?」

「いや、ほんの少しだけでいいんだけど……」

「ぅ……。も、もう時間ないから私行くわ!」


 そう言うと黒井は鞄を持って教室から走り去って行った。


 急用があるなら仕方ない。気を取り直して、先に秋姉と話すことにするか。



*******



 職員室に行ってさり気なく秋姉の様子を伺うが、先生方と話し合っていてまだ帰れそうにはないらしい。

 仕方なく、俺は秋姉にメッセージを送り、部室へ向かうことにした。


 部室には誰もいなかった。日当たりの悪い位置にある部屋のせいか、中は薄暗い。

 部屋の電気を点けて、ベースに手を付ける。

 そして、一人で自主練習を始めた。


 楽器はいい。弾けるようになるまでは何度も投げ出してしまいたくなるが、初めて自分の好きな曲を弾けるようになった時の喜びは今でも忘れられない。

 大学生になったら、アコースティックギターでも買って弾き語りでもしようかなぁ。


 そんなことを思いつつ、練習をしている内に窓の外が一段と暗くなっていた。

 心なしか、部屋の中の温度も下がっている気がする。

 スマホの画面を見ると、もう六時近くになっていた。

 更に、丁度タイミングよく秋姉からのメッセージが届く。そこには、「今から帰るから駐車場で待ち合わせ」とあった。


 ベースをケースにしまい、鞄を持って部室を出る。

 駐車場に向かうと、既に秋姉は車の中で待っていた。


「お疲れー。それにしても、次郎まだ帰ってなかったんだね。部活?」

「まあ、そんなところ。後、秋姉と少し話したいことがあってさ」

「話したいこと? なになに? 恋愛相談?」

「まあ、家に帰る途中に話すよ。とりあえず、学校から出よう」

「それもそうだね」


 助手席に俺が乗り、シートベルトをしたことを確認してから秋姉が車を出す。

 夕方ということもあり、辺りには帰宅する中高生で溢れていた。

 太陽はもうほとんど沈んでおり、空には星も見えていた。


「それで、話って何かな?」

「夜のことなんだけどさ、秋姉はどういうつもりだったんだ?」

「それ、本人に聞いちゃうの? デリカシー無いなぁ」


 秋姉に言われ、言葉に詰まる。

 そんな俺の様子を横目で見た秋姉はケラケラと笑っていた。


「まあ、そんなに気にしないでよ。久々に次郎を揶揄いたくなっちゃっただけ。ちなみにどうだった? ドキドキした?」

「……秋姉は冗談であんなことをする人じゃない。少なくとも、一度秋姉に告白したことがある俺の気持ちを弄ぶようなことはしない。なにか理由があるんじゃないのかよ?」

「……私が次郎のこと好きって可能性があるよ?」

「何となく、違う気がする」

「でも、次郎の勘ってよく外れるんでしょ? 雪穂ちゃんから次郎は勘違い野郎って聞いたよ」

「ぐっ……。そ、それはそうだけど……でも、秋姉のことはガキの頃から一緒にいるんだ。秋姉が何かを隠してることは分かる」

「はぁ。しょうがないなぁ……」


 秋姉はため息をつくと、「少し遠回りするね」と言って、右にハンドルをきった。

 日は完全に沈み、行き交う車たちのライトが目立つほど辺りは暗い。そんな中、秋姉と俺が乗った車は海沿いの道を走っていた。


「昨日、浜辺で会った人覚えてる?」

「村野って人?」

「うん。冴えない感じで、頼りなかったでしょ?」

「いや、それは……」

「でもね、凄く優しい人。周りのことをよく見てて、困ってる人がいたら声をかけることが出来る人」


 そういう秋姉の顔はどことなく楽しそうだった。

 でも、浜辺で村野という人と会った時の秋姉は険しい表情だった。


「なら、どうしてあの時、秋姉は村野さんに冷たかったんだ?」

「あー、うん。実は、喧嘩別れしちゃったんだよね……。それで、喧嘩別れした時のことを思い出しちゃって、次郎に変なことしちゃった。ごめんね」


 そう言ったっきり秋姉は黙り込んだ。


「その、喧嘩別れって……?」

「ごめん。それは、ちょっと言いたくない。まだ私も気持ちの整理が出来てないんだ」

「そ、そっか。いや、俺の方こそごめん」


 結局、大事なことは分からぬまま、秋姉との話は終わった。

 そして、家に着いた。



******



 家に着き、ご飯を食べ終え、お風呂を上がった後、リビングには俺と黒井の二人がいた。

 黒井はどことなく緊張した面持ちでソファーに行儀よく座っている。

 秋姉の姿は見当たらない。恐らく既に寝室に向かっているのだろう。


「ちょっといいか?」

「お、おう」


 夜のことがあったせいだろう。話しかけると、黒井はぎこちなく俺に返事を返す。


「黒井はどういう気持ちで俺を押し倒したんだ?」

「あ、あれは忘れろって言っただろ!」


 黒井が顔を赤くして狼狽える。

 どうやら、黒井としてもあの話はあまりして欲しくないらしい。


「わ、悪い。なら、教えてくれないか? ムシャクシャして、好きでもない相手を押し倒すことってあるのか?」

「はぁ?」


 訳が分からないといた様子で怪訝な表情になる黒井。


「いや、あくまで一般論として聞きたいんだ。そういうこともあるのかなって」

「私には理解できないけど、あるのかもな。なにかを忘れたいときとか、自分の中で過去の男を塗り替えたいときとかなんじゃねーの? 知らないけど」

「そうなのか」


 となると、秋姉は村野さんとの関係を忘れたかった?

 でも、秋姉の表情は本心からそれを望んでいるようには思えなかった。


「……篠原さんとの間に何かあったのか?」

「あー、うん。まあ、一応な」

「そっか。お前はどうしたいんだよ?」

「どうしたいって?」

「だから、多分だけど篠原さんが何か悩みみたいなもんを抱えてるんだろ。で、お前はそれを何とかしてあげたいけど、自分とは関係ないことだから自分が首突っ込んでいいか悩んでるとかじゃないのかよ?」

「……黒井、凄いな。エスパーかよ」

「ちげーよ。お前が分かりやすいだけだ」


 黒井はため息を一つした後、「で、どうしたいんだ?」と改めて問いかけてきた。


「そりゃ、秋姉には元気でいて欲しいに決まってるだろ」

「なら、やること決まりだな」

「でも、今回は事情がよく分からないんだよ」

「何言ってんだ。私の問題に首突っ込んだ時を思い出せ。私の周りに話聞いてまで私のために頑張ってたじゃねーか」

「あ、そうか。秋姉本人じゃなくても、話は聞けるのか」

「まあ、そういうことだな。お前に思いつめた表情似合わねーよ。私も協力してやるから、サクッと篠原さんの悩みとやらを解決しようぜ」


 黒井が微笑む。

 その笑みに背中を押された気がした。


「黒井、ありがとな」

「おう。代わりに、ちゃんと私の宿題の答えを考えとけよ。文化祭が近付いてるからな」


 そう言うと、黒井は軽く手を振ってリビングから出て行った。

 黒井が俺を手伝ってくれる理由は全く分からないが、黒井のおかげで秋姉の問題ごとに首を突っ込む覚悟が出来た。

 なんだかんだ言っても、秋姉は俺にとって姉のような存在だ。出来るなら、幸せになって欲しい。

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