第46話 秋姉との一幕

 家の玄関に入ると、見慣れない靴があった。

 そういえば、秋姉が今日から泊まるって言ってたな。そう思いながらリビングに続く扉を開けると、予想通り秋姉がソファーの上でくつろいでいた。


「あ、おかえりー」

「ただいま」


 秋姉を横目に鞄をテーブルの上に置いて、キッチンへ行き冷蔵庫を開ける。そして、麦茶を出す。


「そういえばさ、次郎と一緒にいた子、雪穂ちゃんだっけ? 凄く可愛かったね!」


 グラスについだ麦茶を飲んでいると、秋姉が話しかけてきた。


「まあ、そうだな」

「次郎の好きな子?」


 秋姉の言葉にドキッとする。

 かなりの間会わなかったとはいえ、何だかんだ秋姉とは幼い頃からの付き合いだ。

 その相手に自分の恋愛話をするのは少し恥ずかしい。


「そんなことどうでもいいだろ。それより、秋姉は何で泊まりに来たんだよ」

「あー、それはね……。うん、内緒」


 秋姉はそう言いながらウインクを一つした。

 あざとい。だが、秋姉がやるといやらしさが無いから不思議だ。

 黒井の心配は杞憂では無かったかもしれない。事実、ウインク一つで少しドキッとしてしまった。


「そっか。そういや、母さんと父さんはまだ帰って来てないの?」

「今日から二人で一週間くらい旅行に行くって言ってたよ」

「まじ? じゃあ、俺と秋姉の晩御飯はどうなるんだよ」

「それは私に任せてよ!」


 フンッと胸を張る秋姉。その笑顔を見て俺は喜びこそすれど、不安になることは一切なかった。



*****



 秋姉がご飯を作ると言いだしてから三十分後、テーブルの上には黒焦げの肉塊が置かれていた。


「……え? なにこれ?」

「ハ、ハンバーグ……」


 気まずそうに背中を丸めながら秋姉が呟く。

 作っていたところを見ていたから分かるが、確かにハンバーグを作っていた。

 

「で、でも味は美味しいと思うよ! ほら、ちょっと味見してみてよ!」

「い、いや、いくら何でもこれ――うぐっ」


 拒否しようとする俺の口に黒焦げの肉の欠片が放り込まれる。途端に、口いっぱいに焦げ臭い香りが広がる。

 次に来たのは強烈な甘辛さ。まずい以上に味が濃ゆすぎる。


「み、水! 水!」


 直ぐにキッチンに駆け込み、水道水を口ですくって飲む。

 吐き出すまではいかないが、食べたいとは思えない味だった。


「も、もう、次郎は大げさだなぁ」

「なら、秋姉も食べてみろよ」

「わ、分かったよ」


 不安げにごくりと唾を飲みこんだ後、秋姉が黒焦げのハンバーグの欠片を口に含む。

 次の瞬間、秋姉は持っていた箸を投げ出してキッチンに飛び込み、水を急いで飲む。その目の端には涙がちょっぴり浮かんでいた。


「な、なにあれ……不味すぎ……」

「だろ?」

「うぅ……仕方ないけど、あれは食べれないね」


 肩を落とした後、秋姉はそそくさと黒焦げの肉塊をゴミ箱に持っていこうとする。

 確かに、あれは劇物だ。食べれば確実に血中塩分濃度と血糖値が上がることは間違いない。


「捨てるなら俺が食べる」


 だが、俺は秋姉に黒焦げのハンバーグを捨てさせるつもりは無かった。


「こんなに不味いもの無理に食べなくていいんだよ?」

「でも、わざわざ秋姉が俺のために作ってくれたんだろ?」

「そ、それはそうだけど……」

「人の好意には甘えろ、食べ物を粗末にするな、小さい頃から言われてたことを実践するだけだ。流石に焦げを食べるのは身体に良くないらしいから、焦げてる部分以外になるけど、食べるよ」


 そう言って、秋姉の手からハンバーグを奪い取る。

 箸で表面の焦げを落として食べられる部分を探す。よくよく見れば、中の肉にはまだ赤い部分が残っていた。

 外は黒焦げ、中は生焼け、味は滅茶苦茶濃ゆい。料理下手がしそうな失敗のオンパレードだった。

 流石に生焼けを食べるのはまずいと思い、レンジでチンしてから水を片手にハンバーグの前に立つ。


「ほ、本当に食べるの?」


 珍しく秋姉の声に元気はなかった。


「食べる。不味い料理は食べたくないし、俺の為を思って作ってくれたこの料理が美味しいとも言えないけど、秋姉の気持ちを無碍にはしたくない」


 手を合わせてハンバーグにかぶりつく。

 強烈な甘辛さを水で中和しながら食べ進める。何を味付けに使ったかは分からないが、牛と豚の合いびき肉に玉ねぎと人参のみじん切りと、材料は普通だ。玉ねぎも人参も食べやすいように細かく刻まれている。


「これ、玉ねぎと人参を刻むのは綺麗に出来てるな」

「それは、みじん切りって聞いたからひたすら包丁で上から叩き続けただけだよ」


 なるほど。道理で細かいわけだ。

 それでも、きちんと美味しいハンバーグを作ろうとしていたんだという努力の跡が見えてよかった。

 それが分かっているだけで、食べようという気持ちが湧き出てくる。


 何杯もの水と共に少しずつ食べ進めていき、十杯目の水を飲み干すと同時に漸くハンバーグは皿の上から無くなった。


「ごちそうさまでした……!」


 食べれてよかったという思いを込めて手を合わせる。

 秋姉の方に顔を向けると、驚きと申し訳なさが混ざったような表情を浮かべていた。


「ごめんね、次郎」

「まあ、秋姉に料理を任せきった俺のミスでもあるよ。次は俺も手伝うから」

「また食べてくれるの?」

「当たり前だろ。それに料理が苦手ならちゃんと練習しとかないとまずいだろ」

「……ありがとね」


 秋姉の言葉に軽く返事を返し、ソファに向かう。申し訳ないが水の飲み過ぎで腹が痛い。

 少しばかり横にならせてもらおう。


「秋姉、今日は出前でも頼んだら?」

「うん、そうさせてもらおうかな」


 秋姉にそれだけ言い残してから、俺はお腹に苦しさを感じつつ瞳を閉じる。

 我ながらよく食べきれた。秋姉には申し訳ないが少しだけ休ませてもらおう。



******



「次郎、起きなよ」


 秋姉の声が聞こえて、目を覚ます。

 身体を起こすと、俺の隣に秋姉がいた。


「あれ……俺、寝てた?」

「うん。気持ちよさそうだったよ」

「まじか……」


 壁にかけてある時計に目を向けるともう夜の十時になっていた。


「私は明日の朝が少し早いからもう寝るね。次郎も明日は学校でしょ? お風呂は沸かしてるから軽く入ってきたら?」

「あ、分かった」


 秋姉の姿は既に寝巻で、俺にそう言い残すと秋姉はリビングの横の和室に向かっていった。

 秋姉の姿を寝ぼけながら見送った後、俺も風呂場に向かった。



******



 翌朝、目覚めた俺が一階に向かうとスーツ姿の秋姉がいた。

 化粧もしているようで、昨日とは違って大人っぽさが増したその格好に思わず見惚れていると、こちらに気付いた秋姉が俺に微笑みかける。


「おはよう。私はもうちょっとしたら出るけど、朝ごはんはトーストでいい?」

「う、うん」


 「ちょっと待ってて」と秋姉は言うと、食パンを二枚トースターに入れる。

 秋姉の様子を見ながら俺もダイニングにある椅子に腰かけた。


「はい、これしっかり食べなよ。育ち盛りなんだからね」

「ありがとう」


 秋姉に渡されたトーストにジャムを塗りながら秋姉の姿に目を向ける。

 胸の辺りまで伸びるウェーブがかかった暗めの茶髪、ぱっちり開いた目に鼻筋が通った顔は美しいの一言だ。

 そして、何よりも胸の辺りが少しきつそうなカッターシャツがつい目に入る。

 見てはならないと思い、視線を上に挙げれば秋姉の顔が目に入る。


 朝からこの光景は目に毒だ。

 仕方なく、視線を背後のテレビに向けながら朝食をとることにする。


「ごちそうさま! それじゃ、次郎私は歯磨きしたらもう出るね。申し訳ないんだけど皿洗いお願いしてもいい?」

「オッケー」

「ありがとう!」


 俺にお礼を伝えた後、秋姉はリビングを出て行く。

 そして、俺が朝ごはんを食べ終わる頃に秋姉は家を出て行った。


 スーツ姿で朝からどこに行くんだろうな。就活か? でも秋姉はまだ大学三年生のはずだけどなぁ。

 ぼんやりとそんなことを考えながら制服に着替えて家を出た。



 教室につき、自分の席に腰かけて間もなく、俺の下に黒井がやって来た。

 黒井はどこかそわそわした様子に見えた。


「おっす」

「おう、おはよう。で、昨日出した宿題の答えは出たか?」


 黒井の一言で宿題を出されていたことを思いだした。

 確か、黒井のして欲しいと思っていることを当てるだったな……。秋姉のハンバーグの衝撃で完全に忘れていた。


「あー、悪い。まだ分かんねえや」

「流石に初日じゃ無理か」


 黒井がガックリと肩を落とす。

 そんな反応をされてしまうと、忘れていたとは言いにくい。


「まさかとは思うが、幼馴染との同居でテンション上がって忘れてたとかじゃないよな?」

「そ、そんなわけねーだろ」


 テンションは上がっていないが、秋姉との一件で黒井のことを忘れていたのは事実だ。

 気まずい思いをしている俺を黒井がジト目で見つめてくる。


「怪しいな……」


 ま、まずい。このままでは黒井に俺が黒井からの宿題を忘れていたことがばれてしまう。


 冷や汗を垂らす俺に黒井が何か言おうとしたところで、教室の扉が開いた。


「お、ほら! 先生も来たし自分の席に戻れよ! な!」

「……後で詳しく聞かせてもらうからな」


 教室に入って来た先生を見ると、黒井は未練がましく俺を一睨みしてから自分の席に戻っていった。


 危なかった。バレたら怒られるくらいだろうが、やっぱりバレないに越したことは無いからな。


「おーし、今日も休みはいないみたいだなー。じゃあ、今日はHR始める前に連絡事項が一つある。入って来て」


 教室を見回した先生がそう言うと同時に、教室の前方にある扉が開く。

 そして、一人のスーツ姿の女性が教室内に入って来る。その女性を見て教室内はにわかにざわめき、俺は言葉を失った。

 その女性は教卓の隣で立ち止まると、俺たちの方を向いて一礼する。


「今日から一か月、教育実習でお世話になる篠原秋です。よろしくお願いします」


 ニコッと綺麗な笑みを浮かべる教育実習生は、まさかまさかの秋姉であった。

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