第10話 けいおん!(男)

「佐々木君、助かりました」


 聞きなれない丁寧な言葉遣いで黒井雪穂が頭を下げる。

 違和感しかない光景に、思わず俺は顔を顰める。


「お前、本当凄いな」


「何のことですか?」


 ふふふ、と口元を抑えて可愛らしく微笑む黒井。


 信じられるか? こいつ、家ではジャージ姿でコーラがぶがぶ飲みながらゲームして高笑いしてるんだぜ?


「まあ、いいや。じゃあ、俺はもう行くから。帰り道は変なのに絡まれないように気を付けてな」


「はい。ありがとうございました」


 黒井はニッコリと微笑むと、教室へと帰っていった。

 その姿を見届けてから、俺も部活へと向かった。



***



 俺たちの教室がある校舎の隣、別館と呼ばれる場所に俺が所属する部活の部室はある。


「おっす」


「おー」


「うぃー」


 部室に入ると、いつも通り俺以外の二人が漫画を読んでいた。部室の隅にはギター、ベース、ドラムが置いてある。

 俺が所属している部活、それは「軽音部」である。

 バンドをやってる男はモテると信じて入ったが、モテなかった。何故だろうか。


「うし、そんじゃ佐々木も来たし久々に練習すっべ」


 読んでいた漫画を近くの机に置いて、そう言ったのは派手島拓郎はでしま たくろう。金色に輝く肩まで伸びた髪が特徴の派手好きな男だ。ギター担当。ただし、イケメンではない。


「ですな。久方ぶりに拙者のドラグナイトが火を噴きますぞ!」


 眼鏡をクイッと上げる男――尾田九朗おた くろうがスティックをくるくると回す。ドラム担当。

 今日のバンダナの色は黄色、か。

 尾田は頭にいつもバンダナを巻いており、バンダナの色でその日の機嫌が分かる。

 ちなみに黄色はかなり機嫌がいい証拠だ。


 そして、俺こと佐々木次郎がこのバンドのベース担当である。


「うっし! そんじゃ、九月の学園祭に向けて練習すっべ!」


「御意!」

「おう!」



***



「ふー」


 演奏が終わり、ミスなく演奏できたことへの安堵の吐息を漏らす。


「おー!! 次郎、また上手くなったべ!」


「ですな! 高校に入りたての頃とは比べ物にならないでござるよ!!」


「そ、そうか?」


 二人の褒め言葉に照れてしまい、頭を軽く掻く。

 俺は二人とは違い、高校には入ってから楽器を始めた。最初の頃は目も当てられない状況だったが、一個上の先輩の優しい指導のおかげもあり、今ではそこまで難しくない曲なら弾ききれるようになった。


「てか、それを言うならお前らの方が上手くなってんじゃねえか!」


「まあ、俺と九朗は一応プロ目指してて、ライブハウスでよく演奏してるからそりゃそうだべ」


「そうですぞ。それが故に、あまりこっちの練習に来れず次郎殿に個人練習ばかりさせている現状には申し訳ないでござる」


「いやいや、気にすんなよ。週に一回こうして合わせて練習出来てるんだから十分だ。学園祭までは時間もあるしな、お前らはお前らで頑張れよ」


「そう言ってもらえると助かるべ」

「でござるな」


 俺の言葉を聞いた二人が安堵の表情を浮かべる。

 俺は所詮モテたいという邪心から楽器を始めた身だ。プロを目指している二人の邪魔だけはしたくないしな。


「それじゃ、あと一回くらい練習しとくべ!」


「御意!」

「おう!」


 部室に再びギター、ベース、ドラムの音が鳴り響く。

 心地よい青春の音だった。



***



「おつかれだべ」

「おつかれでござる。では、また来週」


「おう。じゃあな」


 ライブハウスに行くという二人に手を振って、校門前で別れる。


「おい」


 帰り道を歩き始めて十数分。丁度、以前雨宿りをしたコンビニの近くまで来たとき、誰かに話しかけられた。

 後ろを振り向くと、そこにはパーカー姿の黒井雪穂がいた。


「六時か……。随分と遅い帰りじゃねーか」


「黒井? 何でこんなところに?」


 スマホの時計を確認した黒井は、俺の疑問を無視してコーラを軽く放り投げてきた。


「やるよ」


「お、おお。ありがとな」


「何時まで空いてる?」


「いや、だからお前は何でここに――」


「いいから答えろよ」


「七時までに家に帰ることが出来れば問題ねーよ」


 強引な態度にムッとしながらも、黒井の質問に答える。


「ここから家までは何分だ?」


「まあ、十分くらいだな」


「なら、三十分はいけるな。よし、今から私の家行くぞ」


「いやいや、急すぎるって」


「コーラ受け取っただろ?」


「え? これ、プレゼントじゃないのかよ?」


「そんなわけないだろ」


 黒井はイライラしているのか、舌打ちを一つした。


 何でこいつこんな怒ってんだ? 俺、何かしたっけ?


「お前のせいだぞ。お前のせいで、誰かに愚痴を聞いてもらわねーと満足できない身体になっちまったんだよ。責任取れよ」


「ええ……。俺じゃなくても、友達とか……」


「私がこういう女だってことを知ってんのはお前くらいなんだよ。なあ、頼むよ」


 そう言って俯く黒井の声はどこか弱弱しく、その目は潤んでいるように感じた。


 や、やべっ。泣かしちゃったか?

 冷静に考えれば、今のこいつが頼れるのは俺だけな訳だし、愚痴を聞くくらいならもう慣れてる。

 それに、こいつが時間を確認したってことは遅くならないうちに俺を返してくれるだろうしな。


「分かった。行くよ。だから、泣くなって。な?」


 出来るだけ優しい声で黒井に語り掛ける。


 いくら、裏では平気で愚痴る女とはいえ黒井も一人の少女だ。支えられる人間が支えてやらなくては。


「うし。なら、行くか!」


「は?」


 しかし、顔を上げた黒井は満面の笑みで、その目には涙などちっとも無かった。


「お、どうした? 鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔して。もしかして、私が泣いてるとでも思ったか?」


 ニヤニヤとした意地悪い笑みを浮かべる黒井。


 騙された……っ!!

 ちくしょう……! こいつの罠にまたしても俺は嵌まっちまった!


「べ、別に騙されてなんかねーから! 俺も黒井と話したいと思ってたから行くだけだし! さっさと行くぞ!!」


 恥ずかしさを誤魔化すように、声を張り上げて黒井の家に向かって歩き始める。

 そんな俺を見て、黒井は声を上げて笑っていた。



***



「ふう。いやースッキリしたわ。ありがとな」


 黒井の家に着いてからきっちり三十分の間、黒井は愚痴り続けた。その愚痴のほぼ全てが金満先輩だった辺り、金沢先輩は黒井に相当嫌われてしまったのだろう。


「まあ、気にすんな。でも、あれだよな。漫画とかだとこの後、お前は金沢先輩に惚れたりしそうだよな」


「冗談でもやめてくれ」


 軽い気持ちで口に出してみたが、黒井は心底うんざりした顔でそう言った。多分だが、本当に嫌なのだろう。


「お、おう。じゃあ、俺は帰るわ」


 時計の時間を確認してから立ち上がり、玄関に向かう。


「ああ。助かった。また頼むわ」


「またって……最初にこの関係はテスト終わるまでってお前が言ってなかったか?」


「そうだっけか? まあ、いいじゃねえか。お前は美少女と二人きりの楽しい時間が過ごせる。私は愚痴を言える。ウィンウィンだろ? それに、もう私はお前無しじゃスッキリ出来ない身体になっちまったんだよ」


「……いや、俺も暇じゃないんだが」


「一週間毎日忙しいわけじゃねーだろ。一週間に一日でいいからよ。頼む」


 黒井にしては珍しく、自ら俺に頭を下げてきた。


 まあ、いいか。

 こいつとの時間は割と退屈しないし、それにちょっと恋愛相談とかもして欲しいしな。


「分かったよ。なら、毎週金曜に会うっていうのはどうだ?」


「お、いいのか? なら、それで頼むな。じゃあ、またな」


 嬉しそうに黒井が微笑む。

 その笑みは、かつて俺が勘違いしてしまった黒井雪穂の綺麗な笑みというよりは、無邪気な子供のような笑みだった。

 だが、思わずその笑みに見惚れてしまうくらい、可愛らしかった。


「お、おう。またな!」


 いやいや、落ち着け俺。

 相手は黒井雪穂だ。勘違いしてはならない。それに、今の俺には音羽がいるじゃないか。

 自らにそう言い聞かせて、俺は家に帰った。

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