第8話 施設と自宅との生活

 二〇十六年、三月二十四日、私の仕事の休みに合わせて退院。母、八十五歳だった。施設の職員さんが迎えに来て下さり退院後そのまま「ケアホーム『匠』」に入居した。母が泊まる予定の部屋に案内されたので着替え等の入った荷物を置いて、その後、利用者さん達が過ごされているホールで母と一緒に挨拶したり雑談をして過ごした。それから暫くして私は母の事をお願いして自宅に戻った。さぁ、これから母は一体どんな毎日になるのだろう。母が一日も早く施設に馴染んで穏やかに過ごせる事を祈った。


 私は普段は母が施設にいる事で安心して仕事が出来た。丁度良い施設が見つかって本当に有難かった。こうして施設と自宅での生活が始まったのだ。施設に入居して三日目の三月二十七日は母の八十六歳の誕生日だった。毎年母の誕生日には休みを取っていたので私は二十六日仕事が終了後、施設に母を迎えに行った。施設での母の様子が気になっていたが職員さんの話では問題なく過ごしているようだったのでまずは一安心した。私が迎えに行くと母は利用者さんと楽しそうに話をしていた。元々母はとてもおしゃべりだったが脳梗塞の後遺症の言語障害が残っているにも関わらず相変わらずおしゃべりだ。施設で母の担当だという職員さんが明日が母の誕生日だという事でお祝いの色紙とショートケーキをプレゼントして下さった。いつもは誕生日の日に利用者の皆さんとお祝いするのだそうだが母は自宅に帰るので事前に用意して渡して下さったのだ。施設の職員さんの心遣いが嬉しかった。


 母を車に乗せて帰る途中、母に施設での様子を聞くと「いっそ、面白うないよ」とつれない返事。あんなに利用者さんと楽しそうに話していたのに。母は人一倍神経質なので夜は眠れないし職員さんにもかなり気を遣っているようだ。お水一杯も遠慮して頼めないと言うのだ。はぁ~、家では何でもズケズケ言うのに。「職員さんはすずちゃん(母)が出来んところを助けてくれるんだから遠慮せずにお願いしたらいいんよ」と言うがこれは施設を利用して何年か経った今でも変わらずやっぱり気を遣うようだ。


 約三ヶ月ぶりに我が家に帰った母は「やっぱり家が一番ええのう」としみじみ言うのだった。脳梗塞、右大腿骨転子下骨折後の自宅での生活は徐々に慣れていった。杖をつけば歩行も出来、食事も用意すれば自分で食べられる。夜中のトイレにも自分で行けたし一通りの事は自分で出来たので家での生活に問題なかった。只、物忘れはひどくなっていつも何か「ない、ない」と探していた。又、今の事を今すぐに忘れてしまうのだ。一方でしっかり覚えている事もあった。思う事がすぐに言葉に出来なかったり、言いたい事とは違う事を言ったりもした。あれほど記憶力も良く毎日日記も書いていた母だったが文章を書くことも上手く出来なくなっていた。色々な事が混乱してパニックになる事もあった。母の頭の中は一体どうなってしまったのだろう。

その事で母との意思疎通も難しくお互いイライラする事も多くなった。

私も仕事と介護の両立で段々疲れが出ていた。

 こうした施設でのショート利用は私の定年まで約二年間続いた。

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