第15話 病院での父
家に居る時は父と話す事は殆んどなかった。いつも口うるさい印象しかなかった。しかし、入院してからはとても穏やかで優しくなってきていた。私が行くと直ぐベッドから起き上がり「よう来てくれた」と喜んでくれた。帰る時は「気を付けて帰れよ」と気遣ってくれた。「母さんは元気か?」と母の事も気にかけていた。「ご飯も美味しい」と言っていた。私には家に帰りたいとか困らせる事は一切口にした事はなかった。
只、一度だけ亡くなる三ヶ月位前だろうか?「もう一度だけ焼酎が飲んでみたいのう」と言った事がある。先生に相談すれば絶対ダメだと言われるに違いない。この時ばかりは私も暫く悩んで落ち込んだ。結局「糖尿病の治療中だから無理だよ」と言うしかなかった。今思うと何とかこっそり飲ませてあげれば良かったと後悔が残っている。又、亡くなる一~二ヶ月前位に夜中に急に「家に帰らんにゃいけん」とベッドから抜け出し不穏になり看護師さんを困らせた事も何度かあったようだ。一度その事で「娘さんが来られると安心されるでしょうから」と連絡があり仕事帰りに駆け付けた事があった。私が行った時は看護師さんの目が行き届くように食堂にベッドごと移動されており、そこで父は大人しく眠っていた。私が声を掛けると目を覚まし何事もなかったように「あぁ、来たんか」といつもと変わりない父だった。でもその後起き上がった父は急に険しい顔をして「あの時はしょうがなかった」と言うのだった。私は何の事を言っているのか分からなかった。看護師さんを困らせた事を言っているのか、夢でも見た事を言っているのか、昔の事を思い出して言っているのか、それは今でも分からない。只その後も私には「家に帰りたい」とは言わなかった。
入院した年の十一月頃から「食後にフッと意識障害が起き、直ぐに回復するけど心配なのでベッドごと食堂に出て食事をしてもらっている」と先生から話があった。それまで父は車椅子に乗ってではあるが自分で操作して食堂まで出ていた。食後も洗面台の所に行き歯磨きもしていた。車椅子の操縦を見て上手いもんだと感心していた。面会に行った時は車椅子で一階のロビーまで散歩したりもしていたがそれからは車椅子で移動する事が出来なくなり残念だった。だんだん弱ってきているんだなと思ったら悲しくなった。
翌年一月八日には先生の紹介で専門の病院で脳や心臓を検査してもらったが高齢なので手術もリスクがあるという事でそのまま自然に任せる事にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます