第10話 父の事

 父は四十代の頃から糖尿病と診断されていた。薬で対応していたが七十代頃からだろうか、定かではないがインシュリン注射が必要になっていた。毎朝、血糖値を測定し、自分で注射を打っていた。それで何とか症状も安定し家での生活に問題は無かった。八十五歳を過ぎた頃から糖尿病の症状で視力の低下が目立ち始め足も悪くなったようだ。「目は悪うなるし足もつまらんようになった」とよくこぼしていた。

 八十七歳の時、視力の検査で引っ掛かり免許更新が出来ずやむを得ず運転免許証を返上したのだった。五十代で免許を取得し約三十年間、慎重派の父らしく無事故無違反だった。父が免許を取得した事は町から少し離れて買い物等不便だった我が家にとっては大助かりだった。父も定年してからは毎日の買い物が日課となりそれが楽しみだったようだ。免許返上した頃から父は次第に元気が無くなってきたように思う。それでも畑仕事などには精を出していた。


 父が八十九歳の夏だった。ここ最近は夏の猛暑が段々ひどくなり熱中症という言葉も頻繁に聞かれるようになってきた。この暑さに参ってしまい毎年のように体調を崩していた父だがこの年はなかなか体調が回復せず秋になって涼しくなってきたにも関わらず元気が無かった。

 ずっと長い間、朝は六時起床、自分で血糖値を測りその数値に応じてインシュリン注射をしていた。朝食も自分で用意して毎日決まったものを食べていた。昼は十二時に間に合うように台所に立ちいつも決まった具材(かぼちゃ、玉ねぎ、油揚げ、きのこ、ワカメ、豆腐)で味噌汁を作るのだ。

 父は若い頃は全く料理を作る人ではなかった。母がお姑さんの介護をしている頃腰を痛めて動けなくなった事があるのだが(その頃私はまだ両親と同居していなかった)それがきっかけで七十代の後半からだろうか?気が付いたらいつも味噌汁だけは父が作るようになっていた。そして味噌汁が出来上がると焼酎を湯割りにして一杯飲んでから昼食を摂るのだ。夕方は六時、同じように湯割りの焼酎を一杯飲んでから夕食を摂るのだ。この朝六時、昼十二時、夕方六時の体制はずっと崩す事はなかった。

 この規則正しさに私は傍から見ていて感心していた。それが八十九歳の夏を過ぎた頃から朝六時になっても起きてない日があったり血糖値の数値も毎日ノートに記録していたが(これは後からノートを見て気づいたのだが)記録する字が乱れてきていたのだ。もしかしたらこの頃から数値が上手く測れなかったり、ちゃんとインシュリン注射が出来ていなかったのかもしれない。父は母にインシュリン注射をしてもらう事を嫌い、一人で落ち着いて注射をしたがっていたので母もその時間は起きないようにしていたようだ。私は仕事で家に居ない日もあったりして父のそんな変化に気付いていなかった。

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