第21話 母との生活

 大阪から帰った翌日、二〇十八年二月二十六日、母を施設に迎えに行っていよいよ母と二人の生活が始まった。と言っても時々私の用事がある時はデーサービスは利用していた。家で生活するようになって母も少し落ち着いてきたようだった。私も仕事との両立から解放されて随分と精神的にも肉体的にも楽になった。母の介護が必要になってから約二年間は仕事の休みの日は施設から母を家に連れて帰っていたので自分の為に使う時間は殆んどなかったので母以上に定年が待ち遠しかった。定年後はスローライフを送るのが長年の夢だった。これからは母とゆっくり楽しい毎日を送るぞと張り切っていた。


 骨折後退院した時は『要介護3』だったが、食事、排泄、衣類の着脱、歩行も何とか出来ていたので、私が定年した頃は『要介護2』となっていた。だからそこまで私の手を取る事はなかった。定年後は母の介護をすると言ったら殆んどの人から「家で看るのは大変よ」と言われた。そんな言葉に「私は大丈夫よ」と高を括っていた。が、母との生活はそんなに甘いものではなかった。一通りの事が出来るので家で看るのに問題はなく助かったが、認知度が下がっていた為、同じ事を何度も聞いてきたり、説明してもなかなか理解する事が難しく、何度も同じことを繰り返して言ううちに、私も大声になってくるので母も「分からん、分からん」とパニックになってしまうのだ。又、調子のよい時と悪い時があり、調子の良い時は足が痛いと言いながらも庭の草とりをしたり、塗り絵や新聞に毎日記載されてる『天風録』の記事を書き写したり穏やかに過ごすのだが、その後疲れて調子が悪くなってしまうのだ。そして「足が痛い、頭が痛い、お腹が痛い」等訴えが続くのだ。調子が悪い時は顔つきも変わって来て、普段できている衣類の着脱も何を着たらいいのか、着る順番なども分からなくなってしまったりするのだ。一日中寝てばかりの時もあり、眠りから覚めた時は今、朝なのか昼なのか時間も分からなくなり日にち等は教えてもすぐ忘れてしまうのだ。

 又、歳を取ったらやむを得ないのかもしれないが極度に暑さ寒さに敏感なのだ。最近の夏はあまりにも熱く猛暑続きで気分が悪いと訴えるのだが母はクーラーを極端に嫌うのでその対策に困惑する事が多かった。冬は冬で寒がりの母は暖房しているにも関わらず何枚も何枚も服を着こまないと納得しないし、夜はベッドの柵の間からすきま風が来ると言うのでベッドの周りを段ボールで囲い更にその上からひざ掛けや毛布で囲い対応していた。色々な事でこだわりがありどう対応すればよいか悩む事が多かった。こんな二人の生活が続くと次第に私もストレスが溜まって母に優しく接する事が出来なくなり、こんなはずではなかったと思うのだった。


 そんな訳で母は嫌がっていたが週一回~二回はデーサービスを利用するようになった。時々行くデーサービスも最初のうちは施設に送迎をお願いしていたが、デーサービスの日は迎えが来るまでソワソワして落ち着きがなく、又、準備が早く出来ず焦らすとパニック状態になってしまうのだ。なので朝は支度が出来次第私が連れて行くようにし帰りだけ送ってもらう様にした。デーサービスに行く日は母を施設に連れて行くまでは大変だが行っている間は私にも自由な時間が出来、気分転換も出来るので又頑張ろうという気になれるのだ。それにサービスデーから帰って来た母は家で過ごしている時より元気な明るい表情で帰って来るのだ。相変わらず母は施設は嫌だと言っているが施設での緊張感や利用者さんとの交流が元気の秘訣だと私は思っている。

 デーサービスは何とか行ってくれるが泊りとなると頑として嫌がるので私も無理強い出来ず、よっぽどの用事の時だけ一生懸命母をなだめて行ってもらうのだった。

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