第5話 王太子妃殿下のお膳立て

 しかし、有力貴族との縁談というのはそう簡単に転がっているわけではない。爵位を継ぐことができるのは基本的に家の長男のみで、その数はとても少ない。それに大貴族の跡取りともなれば競争率は高く、すぐに売れてしまう。


 結婚をしろ、と急かしてきたベランジェ伯爵だったが、その後音沙汰がない。やはり縁談をまとめるのに難航しているのだろう。父は娘に貴族の家の次男をあてがうつもりはないようだ。他の親族に大きな顔をされないためには仕方のないことだろう。


(まあ、優良株が残っていても、相手がわたしだとお父様も苦労するわよね)


 なにしろユディルが縁談を嫌がって女官になったことは多くの人に知られている。最近では母も娘の結婚についてはあきらめの境地に達したと風の噂で聞いた。身もふたもない理由で就いた女官だったが、今ではやりがいも感じているし本音を言えばこのままオルドシュカに仕えていたかった。


 しかし、貴族の結婚というのは大仕事が待っている。跡取りを産むことだ。結婚が決まればユディルは一度お宿下がりを願い出ることになるだろう。寂しいな、と思うが仕方のないことでもあった。ユディルだとて一応は伯爵家の娘としての教育を受けてきている。何不自由ない生活を送ることができているのも貴族の直系に生まれたからだ。そして家を次世代へとつなげていくのが貴族の役割でもある。さすがに自分の父親と同じような年の男の後妻は嫌だが、自分と同じ世代の男性で性格や相性が合えば結婚も致し方なしと思っている。


 ふう、とため息をつきながらユディルは宮殿を今日も行き来をする。

 王太子妃付きの女官は、何かと他の部署とのやり取りも多いからだ。そのため多くの人の目に晒されることになるのだが、恥ずかしがっていては女官は務まらない。


 ユディルは頼まれた書類を届けた帰りにサロンへと寄った。この後オルドシュカと面会をする予定のとある婦人を出迎えるためだ。宮殿にはいくつものサロンがあり、貴族階級に解放されている。


「今日はリーヒベルク卿に会えないかしら」

「昨年帰国をされて、まだ婚約者も決まっていないのでしょう? それともどなたか意中の方がいらっしゃるのかしら」

 年若い令嬢が数人固まって話し込んでいるのが聞こえた。


(なんでアレがモテるのかしら……)


 若干遠い目をするが、理由はもちろんわかっている。由緒正しい公爵家の跡取りで顔も麗しい二十代半ばの独身青年ともなれば結婚したい男性の上位に躍り出るというものだ。


「ああ、噂をすればリーヒベルク卿だわ」

「今度の王宮舞踏会で踊って頂けないかしら」

 令嬢たちはきゃっきゃと騒いでいる。無邪気に憧れることができて羨ましい限りだ。

「お顔もカッコよくて語学堪能で、帰国をしてからは真面目に政治に取り組まれていて、とっても素敵ですわ~」


 確かにエヴァイスはぱっと見は麗しの貴公子だ。顔だって精悍だし背も高い。細身だがひょろりとしているわけでもなく、宮廷装束がよく似合っている。性格も明るく穏やかだし、と考えてユディルはあれは外面がいいだけなのよ、と心の中で付け加える。なにしろユディル相手だと本当に容赦がないのだ。昨年駐在していた国から帰国をして会った途端に口喧嘩に発展をした。何年経ってもエヴァイスとの関係は変わらないのだ。


 ユディルが婦人に声を掛けると、令嬢たちの視線がこちらに集まった。

 宮殿に通い詰める娘たちはユディルとエヴァイスが気安く話す間柄であることを知っている。ときおり鋭い視線を受けることもあり、そういうときユディルは気が付かない振りをしている。


 ユディルは婦人をオルドシュカの元へ先導しながら何とはなしに考える。

 喧嘩をする間柄だけれど、エヴァイスはユディルのことを見下したりはしていない。嫌味を言ってきたりもするけれど、こちらが対等に言い返してもユディルのことを賤しめたりすることはない。だからユディルもついエヴァイスに突っかかってしまう。


(けど……わたしにだってもう少し優しくしてくれたら……)


 他の令嬢たちの前で被っているような外面の優しい仮面をユディルの前でも被ってくれたら。淑女として扱ってくれたら、ユディルだって少しくらいは素直になれるのに。


「こちらで少々お待ちくださいませ」

 婦人を部屋に案内をしたユディルは外に出てこっそりとため息を吐いた。





 オルドシュカから今日の午後空けておいてと言われたのは園遊会から一週間経った日のことだった。なんだろう、と訝しむが彼女はそれ以上何も言わない。他の女官たちに聞くと客人が来るとのことだった。ということはオルドシュカの近くに座り接客係をするということか。


 ユディルは華美ではないドレスに着替えることにした。

 ごく内輪の茶会はオルドシュカの住まう部屋にほど近い「緑の間」が会場だ。名前の通り、壁紙には植物の絵がかかれ、調度品も品のよい緑色でまとめられている。暖炉の上の飾り棚には遠い異国から取り寄せた翡翠で出来た置時計が置かれている。


 お茶会は和やかな空気の中で始まった。出席者は普段からオルドシュカに付いている女官の三人。金髪を結い上げたベレニーク夫人と胡桃色の髪のカシュナ夫人。それから黒髪のリュシベニク夫人。


(これだといつもの普通のお茶の時間と変わらないわね。本当にお客様がいらっしゃるのかしら。フランチェスカ様だったら、普通に名前を出すはずだし)


 ユディルはカップの中のお茶を飲みつつそれぞれの様子を伺う。茶器は東方の国から輸入をした高価な陶磁器で、美しい花模様が描かれている。お茶も東南の国で採れた高価なもので、すっきりとした味わいのもの。茶菓子には一口サイズのマドレーヌやフィナンシェが置かれている。


「あの。今日はどなたがおいでなのですか」

 ユディルは気になり声に出した。どうにも、自分以外の人間たちは皆今日の客人が誰なのか知っているようだからだ。確信ではなく勘のようなものだけれど。全員落ち着きすぎている。


「もうすぐ、こちらに来るわ」

 オルドシュカがにこりとした。それ以上は言うつもりがないらしくユディルが次の言葉を探していると、扉が控えめに叩かれた。そろりとカシュナ夫人が立ち上がり、取次の女官と小声で話をする。


「お見えになりましたよ」

 カシュナ夫人が告げるとオルドシュカが華やいだ。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 ベレニーク夫人が挨拶の言葉を口にすると他の女官たちもそれぞれに歓迎の言葉を口に出す。


「お招きいただき、恐悦至極に存じます」


 低いけれど、柔らかな声が聞こえてきた。それにしても、どこかで聞いたような声である。ユディルは視線を目の前のカップから上に上げた。

 そして、ぴしりと固まった。


「な……」


 んで、あなたがここにいるのよ。という言葉は残念ながら口から出てくることはなかった。部屋に入ってきたのはエヴァイスだった。リーヒベルク公爵家の嫡男でなにかとユディルにちょっかいを掛けてくるこの男がどうして今日の客人なのか。ユディルは失礼にならない程度に首を動かした。彼の後に続いて入室してくる人物はいなかった。ユディルの眉に刻まれた皺が余計に深くなる。どうして、彼がオルドシュカのお茶の席に呼ばれたのか。


「ユディル、リーヒベルク卿のことは知っているのでしょう。幼なじみだと聞いているわ」


 ぼんやりとしていたらいつの間にか時候の挨拶が終わっていた。

 オルドシュカの問いかけにユディルはかろうじて笑みを作った。幼なじみというほどの関係でもない。初めて会ったのは十四歳の頃のことだし、そのときだってスープをぶっかけてしまった。


「彼は昨年フラデニアに戻ってきたでしょう。それからはとてもご婦人たちに人気だと聞いているわ。外国で二年間外交のために駐在をして、とても凛々しくなって帰ってきたとか」

「今は政治家として外交方面で研鑽を積んでいるとか」

「金色の髪に青い目をした貴公子と是非にお近づきになりたいというご婦人方の熱狂がこの奥にまで伝わってきていますわ」


 オルドシュカが口を開けば他の女官たちも追随する。褒められたエヴァイスは涼しい顔をして聞き流している。なんとなく、その態度にカチンとくるユディルだ。もうちょっと顔を赤くしたり謙遜したりしてみなさいと思ってしまう。いかにも言われ慣れているといったその澄ました態度が気に食わない。


 確かにエヴァイスは二年ばかり外国に駐在をしていた。外交の勉強も兼ねて、と近隣の国に駐在して外交官として活躍をした。昨年帰国をした彼がご婦人たちの話題を攫っていったのも新聞の社交欄で大々的にもてはやされているのも耳にしているが、公爵家の嫡男でちょっと、見た目が整っているからって調子に乗り過ぎだというのがユディルの意見だ。

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