第33話 夫の方が一枚上手でした1
サロンから帰宅をするときルドルフは当然のようにユディルと同じ馬車に乗り込み、ベランジェ伯爵家が所有するルーヴェの街屋敷へと馬車を走らせた。
叔母と歓談をしている最中もユディルの頭の中はアルフィオのことで一杯だった。兄を不幸にはしたくない。異国で困っているのならどうにかしてあげたい。ルドルフの話を嘘だと決めつけるのは簡単だけれど、もしも。もしも万が一本当にアルフィオが借金のかたに売られそうになっていたら。
両親は現在領地へ戻っており、馬車を走らせても一日以上かかってしまう。
屋敷へ到着をしたユディルはルドルフからエヴァイス宛に手紙を書けと強要されたが、どうしても頷くことができずに一日だけ待ってほしいと懇願をした。
ルドルフは屋敷に留まりユディルを見張るつもりだ。
時間だけが過ぎていき日が暮れた時分になってもルドルフは出て行こうとはしない。ユディルは応接間の椅子に座りぼんやりと窓の外を眺めていた。逃げ出さないようルドルフはユディルが自分の視界から消えるのを警戒している。ユディル付きの侍女もルドルフの従僕に見張られていて、窮状を伝えることもできない。
「強情な女だな」
ルドルフはあくびをかみ殺す。
ユディルはそんな従兄をちらりと見て、すぐに別の方向へ視線を戻した。
「時間も限られているし、おまえのほうから離婚したくなるように仕向けてやろうか。エヴァイスの奴にも一泡吹かせてやれるしな」
沈黙に飽きたのかルドルフが立ち上がる。ユディルは嫌な予感に胸の鼓動が早くなる。
ルドルフがゆっくりとユディルへと近づいてくる。ユディルは慌てて立ち上がった。すぐに長椅子の後ろに回り込み、ルドルフから距離を取る。
「そんなに警戒をしなくてもいいだろう? これから夫婦になる仲なんだ」
「だ、誰があなたなんかと」
「ふうん。アルフィオがどうなってもいいのか? おまえが一日待てという間にも奴はいまどんな扱いを受けているんだろうなあ」
ユディルはぎりりと奥歯を噛みしめる。結局はここに舞い戻ってしまう。それでも悔しくてルドルフを睨みつけていると扉の向こうが騒がしくなる。ユディルの気が逸れた隙を見逃さずルドルフはユディルと一気に距離を詰め、その腕を掴んだ。真正面にルドルフの体があって、ユディルは本能で恐怖を覚える。この男はユディルに敬意も何も払わない。
「ユディ!」
応接間の扉が勢いよく開き、聞きなれた夫のひどく焦った声が聞こえた。その後ろからエヴァイスの秘書官とルドルフの従僕もなだれ込む。
「ち。もう来たか」
ルドルフは舌打ちをした。
「これはどういうことが説明をしてもらおうか、ダングベール卿、いやルドルフ」
エヴァイスの瞳は剣呑に光っている。彼は普段ユディルが聞いたこともないくらい低い声を出した。
「見て分からないのか? 実家に帰った妻とそんな人妻の相談に乗る男って構図で普通は察するだろ?」
ルドルフはくくくと愉快そうに喉を鳴らす。ユディルはどうにか掴まっている腕を振り払おうとするがびくりともしない。
「妻から離れろ」
「嫌だね」
「ユディがおまえみたいな頼りがいも無い、従兄ってだけの能無し男を頼るわけがないだろう」
「俺はおまえのそういうところが昔から大嫌いだったんだ。今回おまえに一泡吹かせてやれることが嬉しいぜ」
ルドルフはユディルへ顔を近づけ「さっさと離婚を切り出せ」と脅してきた。
しかしエヴァイスの方が先に切れてしまった。最愛の妻に夫の許可なく近づく男に対しての忍耐を持ちあわせていないエヴァイスは大きな歩調でルドルフへ近づき、あいている方の腕を捩じ上げる。容赦のない力加減にルドルフは「痛て!」と叫んだ。
「ユディ」
ルドルフの手がユディルから離れた隙を逃さず、エヴァイスはユディルをその腕の中に確保する。それから「消毒だよ」と言いユディルの腕をさすり撫でまわした。ユディルはエヴァイスの胸に抱かれ、自分がひどく安堵したことを感じた。
一方、エヴァイスから手酷い目にあわされたルドルフは「アルフィオがどうなってもいいのか⁉」と自らの手の内を明かす言葉を喚いた。
「ああ、そういうことか」
エヴァイスは口の端を持ち上げた。
「ルドルフ、どうやらおまえはアルフィオのかけおちのことを知ったようだね」
「だったらなんだってんだ。ベランジェ伯爵家の爵位継承を鑑みれば俺とユディが結婚するのが一番まるく収まる」
「ユディは未来永劫、生まれ変わっても私の妻だ。そのような胸糞悪い台詞は今すぐにつつしめ」
エヴァイスが冷たく言い放つ。
「そんなおまえに一ついいことを教えてやろう。ユディ、きみにとっても朗報だよ」
エヴァイスはルドルフに高圧的に言い、後半ユディル言い聞かせるときはとびきりに甘い声を出しながら彼女の頬を優しく撫でた。
「アルフィオと連絡がついたんだ。彼は今大学時代のつてを頼って外国で暮らしている。妻と二人で仲良くやっているそうだよ」
「だ、だけど! いま大変なことになっているって」
ユディルはたまらず口をはさんだ。
だって、路頭に迷って今にも海の底に沈められそうになっているのではないのか。ユディルはルドルフの説明からやや悲惨な方向へ修正された兄の現状を思い浮かべる。
「アルフィオ様からのお手紙でございます」
三人とは少し距離をおき、気配を消して佇んでいたエヴァイスの秘書官が上着の内ポケットから手紙を取り出した。秘書官はエヴァイスに近寄り、封筒を彼に手渡した。
「え、ええ? だって、手紙はルドルフが……」
「そうだ! 俺の手紙が正しいに決まっているだろう」
ユディルがルドルフのほうに顔を向けると、彼は慌てたように自らも封筒を取り出した。ユディルは混乱した。どうして兄からの手紙が二通も存在するのか。
エヴァイスはルドルフが手紙を掲げてみせたところで、口角を持ち上げた。
「それはどうかな。ルドルフ、おまえは確かにアルフィオの動向について調べた。人の口には戸が立てられないからね。彼がどうやら駆け落ちをしたらしいところまで突き止めた。そうして、おまえは探偵を雇った」
「な……」
「ベランジェ伯爵家は現在、継承について問題を抱えている。アルフィオが出奔したわけだから、次の伯爵位を継ぐ人間が必要だ。当然ユディと私の間に子供が生まれれば伯爵家の継承に関わってくる」
エヴァイスは腕に抱きかかえたユディルを見つめて、もう一度ルドルフへと視線を戻した。
「そして、おまえはユディに屈折した気持ちを抱えている。私が何も手を打たないはずがないだろう? ユディにかかる火の粉は火種になる前に抹消しなければね。……おまえの雇った探偵に情報を流したのは私の手の者だよ」
エヴァイスがにこやかな顔をして告げるとルドルフから表情が消え去った。
「な、なんだと」
エヴァイスは一度ユディルを離し、代わりにルドルフの手の内から彼の持つ手紙をかすめ取って中を検める。
「ふうん。無一文になってこのままだと一家は路頭に迷う、か。助けてやる代わりにユディを手に入れようと?」
エヴァイスは手紙をびりびりと破ってそのまま捨てた。はらりと紙屑がエヴァイスの手の間からこぼれていく。ユディルは呆気に取られて言葉を失う。エヴァイスが手を打っていたとはいったいどういうことなのか。それよりもエヴァイスはアルフィオと連絡を取っていたと言っていたがそれはいつからか。
「おまえ、何をする!」
「筆跡鑑定にかけるまでもない、こんなもの。おまえに掴ませた情報はアルフィオはインデルク王国のイレーゲン島で仕事を見つけ暮らし始めたというものだ。違うか?」
さらりと言われた言葉にルドルフが今度こそ絶句する。反論してこないところを見ると図星ということか。
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