第24話 令嬢の嫉妬

 ベレニーク夫人は琥珀の間へとユディルを連れて行った。琥珀の間はその名の通り、遠い異国から贈られた、何百もの琥珀を使い鳥を模した置物が置かれている部屋である。

 到着をした琥珀の間には四人の令嬢が座っていた。扉を開けた途端、さざ波のような会話がぴたりと止んだ。全員ユディルよりも年下の、今が花の盛りの十代の娘たち。少女たちの視線が一斉にこちらに向く。


「あなたたちの先輩でもあるユディル・レヴィ・リーヒベルク夫人を連れてきました。結婚を機にお宿下がりをしていますが、時折宮殿で妃殿下のお話相手をされることになっています。それに伴い今後はあなたたちを指導する場面もあるかと思います。今日はほんの挨拶だけですけれど、以後失礼のないように」


 と、ここで妙に鋭い視線を感じた。薄茶色の髪をした娘がユディルに対して親の仇のような目線を投げつける。ユディルは、彼女の顔を見たことがあった。どこでだろう、と頭の中で思い返し、王宮舞踏会で出会ったことを思い出す。


「まあ御冗談を、ベレニーク夫人。そこの女は女官であることをかさに着てエヴァイス・レヴィ・リーヒベルク様をかどわかしましたのよ。そんな意識の低い女から指導を受けるなど。殿方の気を引きたいのであれば髪を切れなどと教えられても、わたくし、髪など切れませんわ」


(なぁんですってぇ!)


 いきなり喧嘩を売ってきた娘に対してユディルはキッと眦を吊り上げた。

 初々しい娘らしく、背中まである長い髪の半分を頭の上で結い上げ、りぼんで飾り、もうあとの半分は背中に垂らしている。濃い緑の瞳を爛々にぎらつかせ、こちらを見上げている。


「ココベラ・ド・レヴィヨン嬢。口を慎みなさい」


 ベレニーク夫人がぴしゃりと厳しい声を出す。

 けれどもココベラは全く意に介さない。反対にユディルに向けてぎらりとした強い視線を寄越してきた。


「わたくしは本当のことを言ったまでですわ。お父様だってそうおっしゃるに違いないわ。こんな女から何を教わればいいというのかしら」

「女官としてはリーヒベルク夫人はあなたの先輩ですよ。敬いなさい」

「リーヒベルク夫人だなんて、名乗ってほしくないですわ」


 ココベラはふんっと鼻息荒く立ち上がる。ずいぶんと生意気な態度だが、彼女の実家レヴィヨン家は侯爵家。現在のレヴィヨン侯爵は議会に席を持ち、政治家としての発言力も強い。


「わたくしは、この女からの指導は何も受けませんわ。それでは、ごきげんよう」


 ココベラはドレスのスカートを持ち上げて優雅に礼をして部屋から出て行ってしまった。

 王宮舞踏会のときの様子からして、親子ともどもリーヒベルク公爵家との縁談を望んでいたということか。彼女個人的にもエヴァイスへの憧れもあったのだろう。ここまで直接的なことを言われたのは初めてだが、エヴァイスの妻として彼の隣にいると、何か言いた気な視線を感じることが常だったため、来るべき時が来たという感想だ。部屋から出て行ってしまうとは、ココベラは気が強い娘でもあるようだ。


 ココベラの退出によって琥珀の間になんとも言えない空気が漂う。他の三人は互いに目配せをし、ベレニーク夫人の出方を伺う。


「あなた方はいかがですか。レヴィヨン侯爵令嬢のようにこの場から退出しますか?」


 ベレニーク夫人は三人それぞれの顔を順番に眺めていく。目線を受けた娘たちは体をぴしりと固めたが、小さな声で「わたしはここに留まりますわ」と言い合った。


 全員出て行ったらどうしようと思っていたが、最悪の展開を免れてユディルはホッとした。ユディルは平然とした顔を保ったまま先輩として挨拶をして二、三言話をして退出をした。

 帰宅をしようと宮殿の中を歩いている途中でエヴァイスが立っていた。


「どうしたの?」

「今日は妃殿下のお茶会に呼ばれていただろう? 一緒に帰ろうと思って」


 エヴァイスは当然のようにユディルの手を取り口元へ持って行く。まだ結婚をして日も浅いのに、彼のこういう行為にユディルは慣れつつある。名残惜しそうにユディルの指先をじっと見つめるエヴァイスにユディルはぞくりとした。こちらまで妙な気分になってしまう。ここはまだ宮殿内だというのに。せめて馬車の中にしてくれればと思って、慌ててその考えを打ち消す。まるで自分から二人きりになりたがっているようではないか。


「どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」

「なにもないわ。どうしてそんなこと言うのよ」

「少し元気が無いから」

「別に普通よ」


 ユディルは強がった。まさか、あなたの信奉者に嫌味を言われましたなどと言うわけにもいかない。


「誰かにいじめられたのなら私に言うんだよ。倍返しにしてあげるから」

「べつに、そういうのじゃないわよ」

「ほんとう?」


 エヴァイスがユディルの瞳を覗き込む。ユディルは不覚にもドキリとして、慌てて彼から視線を逸らした。エヴァイスはユディルの手を柔らかくつかみ、そのまま自分の腕に添わせる。


 そういえばエヴァイスにはまだ確かめていなかった。

 三年前のリーヒベルク公爵家からの縁談は、本当にあなたがわたしへと宛てたものだったの? そうやって尋ねるのは自意識過剰な気がしてどうしても本人に聞けない。


 今隣を歩くエヴァイスがたまに知らない人のように思えることがあるのもいけない。そう感じるとユディルの心はざわざわしてしまうから。結婚をしてから彼のことがわからなくなった。今まではいじわるな顔しか見せなかったのに、どうして急に態度を変えたの、と問いたくなる。けれども二人の思い出を頭の中に浮かべると、いじわるだけれど、その瞳が柔らかかったことを思い出した。たまに二人きりになるといつものいじわるが鳴りを潜めて親切にしてくれることもあった。内緒だよ、なんて言って彼の領地の狩り小屋にこっそり連れて行ってくれて、珍しい道具を見せてくれたこともあった。


 どうしていまそんなことを思い出すのだろう。エヴァイスとの思い出は九割がた喧嘩だったのに。たまに見せる優しい顔に妙に心が騒いだことも思い出すなんて。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 けれどもやっぱり素直に確かめるなんてユディルにはできなくて。

 エヴァイスの柔らかな目線から逃げたのだった。

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