第19話 夫婦の距離感がむず痒い2

「手紙は何度も送りましたでしょう」

 公爵家の嫡男らしくまっとうにモテていたエヴァイスだが、笑みを崩さぬまま「私のような不器用な男ではお嬢さんには物足りないと思いますよ」と謙遜する。

「せめてもの記念に―」

「ああ、失礼。殿下に呼ばれておりますので」


 エヴァイスはさわやかな笑顔を振りまいてユディルを促した。隣で話の行方を追っていたユディルの方がやきもきしてしまう。なにしろ先ほどから視線がとても痛い。エヴァイスはそちらにはもう興味が無いという風に、ユディルに微笑みかけ王太子夫妻の元へ歩み寄る。


「リーヒベルク卿。ルーヴェ社交界の双翼の片割れが結婚したと聞いて、今日はご婦人たちの悲しみの声がここまで聞こえてくるようだよ」


 親し気に話しかけてきた王太子にエヴァイスは「そんなことありませんよ」と軽やかに返した。いや、さっきも恨み節を受けていたよねとユディルは心の中で突っ込みを入れる。


「卿が結婚と聞いたときは私もびっくりしたものだよ。オルドシュカが仲を取りもったのだろう?」

 と、王太子は隣に顔を向ける。褐色の髪を結い上げたオルドシュカは優雅に微笑みうなづいた。

「ええ。わたくしの大事な女官の結婚相手ですもの。ユディルのことを大切にしてくれる紳士をさがしておりましたのよ」

「リーヒベルク卿はきみのお眼鏡にかなったのだね」


 王太子が笑みを深める。ユディルも王太子妃付きの女官として彼女の夫で、フラデニア次期国王でもある王太子とは何度も対面をしている。彼はエヴァイスよりも少し年上の、まだ青年といっても差しさわりのない年齢。夫婦仲は悪くはなく、親し気な空気を醸し出している。


「もちろんですわ。ユディルのことを大切にするとわたくしの前で誓いましたのよ」

「ほう。それは頼もしいね」

「ええ」

 夫婦は見つめ合い微笑む。ユディルは背中がむず痒くなってちょっと体を動かしたくなる。エヴァイスは平然としているし、王太子夫妻はにこにこしている。


「きみたちのような夫婦がフラデニアを支えていくのだと思うと頼もしいよ」

「もったいないお言葉です」


 エヴァイスは胸に手を当てお辞儀をした。

 王太子夫妻との会話は数分のみだったが、その何倍以上にも感じてしまった。オルドシュカの近くには女官が控えている。ユディルは早くも懐かしく感じてしまう。ついこの間までユディルはあちら側の人間だったのだ。それなのに、夫に伴われて夫婦で挨拶をしていることの方が奇妙に感じられる。


 ユディルたちが退いた後も王太子夫妻は順番に貴族たちからの挨拶を受けていく。ユディルの胸の奥がつんと疼いた。自分がいなくても、滞りなく世界は回っていくのだと感じてしまったからだ。


「少し疲れた? 冷たいものでも取ってこようか」

 エヴァイスが気を利かせる。ユディルはエヴァイスの腕から手を離した。

「今日は私から離れては駄目だよ」

「あなたは、踊らなくてもいいの?」

 さっきだってエヴァイスと踊りたそうな令嬢が現れたではないか。


「私はきみと踊れればそれでいいから」

 エヴァイスの瞳がきらりと光る。いたずらっ子のようにユディルの耳元で囁かれ、ユディルの顔が瞬時に赤くなる。

「そ、そんなこと言われても困るのよ。……あとでわたしがエヴァイスのことを独り占めしているなんて噂されても困るし」

「私を独り占めしていいのは今も昔もユディだけだよ」

「な、なによ。ついこの間までは一曲くらいなら踊ってあげてもいいよ、なんて偉そうなこと言っていた癖に」


 ユディルはちゃんと覚えている。モテるからって上から目線でものを語っていたのはどこのどいつだ。

 ユディルの反撃を聞いたエヴァイスは苦笑した。弱ったなあ、なんて言うけれど絶対に思っていないでしょと内心鋭く突っ込みをいれる。


「あれはね。うーん……きみへの強がり。ユディはわたしと踊ってくれる気がなさそうだったから、つい、ね。こう強がりを。男って実は小心者なんだよ。踊ってくださいって頼んで拒絶されたら傷つくだろう?」

「知らないわ。そんな男心」


 ユディルはぷいっと横を向く。


 夫婦で会話をしているといつのまにか彼の友人たちが取り囲んだ。ユディルは女官時代に培った猫を何匹か頭から被って応対する。エヴァイスは友人たちに囲まれ、彼らにユディルを紹介していった。といってもユディルの顔も経歴も知られているのでただのポーズだ。定型語句を互いに言い合うあいさつ回りに散々連れまわされたユディルは頃合いを見計らってそっとエヴァイスから離れた。

 そろそろ表情筋が攣りそうだったからだ。

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