第18話 夫婦の距離感がむず痒い1

 ルーヴェ・ハウデ宮殿の前には多くの馬車が停まっている。宮殿の正面入り口や中庭にはたくさんの篝火が焚かれている。各家の馬車に取り付けられた角灯の明かりも合わさり、宮殿前は昼間のように明るい。


 ユディルは不思議な気持ちで宮殿の入口をくぐった。

 隣には夫であるエヴァイスがいる。昨年までは女官としてオルドシュカに付き従っていたが、今年は随分と立ち位置が変わった。本当はオルドシュカの側に居たかったのだが、エヴァイスとオルドシュカ両方に却下され、夫婦で出席することになった。


 濃い青色のドレスはひだが抑えられた大人っぽい意匠でスカートもあえてボリュームをもたせていない。胸元にはエヴァイスと揃いの薔薇が飾られている。肩までの髪の毛は降ろしたままで、その分髪の毛には細い銀の鎖でつくられたレエスのような髪飾りが着けられ、明かりに反射をしてきらきらと輝いている。隣を歩くエヴァイスは青年貴族らしく、上等な上着に絹のクラヴァット。髪の毛はきちんと後ろへ撫でつけられている。


 正装したエヴァイスと対面したとき、ユディルの胸は妙に反応してしまって一瞬呼吸をすることを忘れてしまったくらいだ。変態のくせに顔がいいとこういうとき様になるのが悔しくて、すぐに呼吸は復活したけれど。それでも今ユディルの隣を歩いているのがエヴァイスだと思うと妙に胸がざわざわする。おかしい、と思うのに原因が分からない。それが尚更悔しい。

 隣を歩くのがエヴァイスということも、今年はオルドシュカに付き従う立場でもないことがユディルの内側から緊張を沸き上がらせる。


 フラデニア中から招待客が集まり、大広間はたくさんの人で溢れている。

 高い天上からはいくつものシャンデリアが吊り下げられ、水晶に反射をした光がそこかしこ中を照らしている。ユディルは目の前に立つ夫を見上げ、それから慌てて視線を正面に据えた。


「緊張している?」

「ま、まさか」


 そう言うわりに声が少しだけ上擦った。

 思えば社交デビューをしてから男性から正式にエスコートをされて夜会に出席するのは初めてだ。だからだろう。こうして緊張しているのは。けれどもエヴァイスに悟られたくなくてユディルはつい強がってしまう。


 老齢の国王が登場すると大広間はしんと静まり返った。

 国王の挨拶と共に舞踏会は始まる。

 楽団が音を奏で始め、美しくも賑やかな旋律が大広間の中を駆け巡っていく。

 最初の一歩を滑り出すとその流れで人々がダンスを興じていく。


 ステップを踏み、音楽に合わせてくるりと回る。繋いだ手はエヴァイスのもので、彼の薄青の瞳の中にはユディルが映っている。彼の視線の先に自分がいると思うと、ユディルはどこか不思議な気持ちになる。十四歳の時、にんじんのスープを彼の頭の上に捨ててしまったときには、まさか将来彼が夫になるだなんて夢にも思わなかった。今だって、たまに不思議に思うのに。


 どうしてエヴァイスとユディルは今一緒に踊っているのだろう。

 握った手から彼の体温が伝わってくる。互いに手袋をはめているはずなのに、どうしてだか彼の体温をやすやすと想像してしまう。それはきっと、彼の熱もなにもかもをユディルが既に知っているからではないだろうか。自分の考えにじんわりと頬が熱くなっていくのを感じたユディルはステップを間違えてしまう。


 あっと思ったときにはエヴァイスがやすやすとユディルをリードしていて。彼女のミスは無かったことになってしまうが、彼がいたずらっぽく目配せをしてきた。


 ああもう。これは絶対にあとでからかわれる流れだわ。ミスをした理由もあって、ますます悔しくなってしまう。


 一曲目が終わり、二曲目も続けてエヴァイスと踊った。

 続けて何曲も同じパートナーと踊るのは、夫であってもマナー違反だ。三曲目が始まる前に二人は手を離そうするが、エヴァイスはそのままユディルの手を握ったまま歩き出す。


「王太子殿下夫妻の元へご挨拶に行こうか」


 エヴァイスはあっさりとダンスの輪から外れた。広間の中央から移動をすると、時折視線を感じた。結婚をしてから夫婦で公の場に出るのは今日が初めてだ。視線が痛いな、と感じるのはエヴァイスがフラデニア社交界の人気者だからだろう。


 エヴァイスは自分に対する視線など気づいてもいないという風に堂々と歩いていく。ユディルは考えても仕方が無いと割り切り夫の横について歩くことにした。王太子夫妻への挨拶は必須だ。ユディルの急な結婚のためにオルドシュカも何かと世話を焼いてくれたからだ。破格の扱いを受けたのは間違いない。

 王太子夫妻も最初の一曲を夫婦で踊り、その後はそれぞれ親族や有力貴族とダンスを踊った。その後は貴族たちの挨拶を受けるため大広間の貴賓席へと移動をし、現在多くの人に囲まれている。


「おや、こんなところにいましたか。リーヒベルク卿」

 ダンスの輪から外れ夫婦二人で王太子夫妻への挨拶の順番を待っていると、壮年の男性が話しかけてきた。エヴァイスは朗らかに挨拶を返す。

「レヴィヨン侯爵。ごきげんよう」

 男の隣にはユディルよりも年下だろう、初々しい令嬢がいる。ピンク色のドレスがとても若々しい。ドレスにはたくさんの造花があしらわれている。


「リーヒベルク卿もお人が悪い。さんざん娘に思わせぶりな態度を取りながら、王宮女官を選ぶとは」

「思わせぶりも何も、私とレヴィヨン嬢は一度も一緒に出かけたことも踊ったこともありませんよ」

 エヴァイスはレヴィヨン侯爵の恨み言のような言葉をさらりと躱した。その言葉を聞いた令嬢が顔を赤くする。


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