第17話 腰から下が砕けました

(あ、ありえない……)


 翌日、ユディルは寝台の中で呻いた。

 昨日はとっても疲れた。


「こ、腰から下がうごか……ない……」


 ユディルは敷き布の上から起き上がろうとして、しかし結局は脱力をした。昨夜の情事を脳裏にさまざまと思い出してしまい一人顔を赤くする。エヴァイスの艶のある声に彼の指先がユディルの肌の上を辿る感触。触れる仕草はどこまでも優しくて、まるでユディルの心の内側の花びらを一枚ずつ剥ぎ取っていくようだった。


(だいたい、あれのどこに子作りの要素があるのよ……)


 本番の行為の前に行われる愛撫がとても長くて気の遠くなるほどの時間のように感じた。その間中ずっとエヴァイスはユディルのことを愛でていた。

 なんだかもう、色々とありすぎて悪態でもつかないとやっていられない。

 そうやって怒ってみるのにすぐあとには別の懸念事項が泡のように浮いてくる。


(やっぱり、自分の父親の再婚話をぶち壊したわたしのこと、エヴァイスは怒っているのかしら……)


 でないと、こうもしつこくユディルはリーヒベルク家のものだと念押ししてこないはず。彼の中でなにか屈折があるのかな、と考えてしまう。例えば自分の父親を振ったことによって家名を傷つけられたと思っているとか。


「ユディ、朝食食べられる?」

「だ、誰のせいだと……思っているのよ」


 目が覚めるとすでに日は高く登り切っていた。朝という時間ではなく、そろそろお昼時だ。昨日の夜はなかなか寝かせてもらえず、目を覚ましたらこの時間だった。最後はいつ眠りについたのかも分からなかった。彼に抱かれるときはいつもそうで、しかし眠ったはずなのに体がとても重い。今日はいつもより重症だ。


「どうして、あなたは元気なのよ……?」


 自分はこんなにも大変なのに理不尽だという思いを視線に込めるとエヴァイスはユディルの傍らで身をかがめユディルの頭を優しく撫でた。

 触れられた箇所が妙に熱くなって落ち着かない。


「私も今日は朝寝坊をしたよ?」

「わたしより、動けているじゃない」


 ユディルはゆっくりと起き上がろうとした。するとエヴァイスがユディルの体を支えてくれた。裸のままのユディルは、明るい室内で彼に体を見られることが恥ずかしくて、胸元を手で隠す。

 エヴァイスがすぐに夜着を取ってくれ、背中にかけてくれたのでホッとしたが、今度は膝の下に腕を入れられて横抱きにされた。


「えっ? ええぇっ?」


 エヴァイスはそのまま隣の部屋の窓辺へとユディルを運ぶ。夫婦の部屋だろうがなんだろうが、半裸の状態のためものすごく恥ずかしい。

 彼はそのままテーブルの横の椅子に腰を落とした。ユディルは彼の膝の上で横抱きに抱えられたまま。


「動けない奥さんに、私が食べさせてあげるから。何から食べたい?」

「あのねぇ! いつも言っているでしょう。わたしは子供じゃないのよ。一人で食べられるし、膝の上じゃなくても平気だって」

「今日は疲れているだろうからパン粥を作ってもらったんだ。熱いから気を付けて」


 エヴァイスはユディルの抗議をさらっと無視をした。スプーンでパン粥を掬って、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。


「……疲れさせたのは誰よ……」

 ユディルは恨みのこもった声を出した。

「私だね。ユディがあんまりにも可愛くて、つい」

 夫は悪びれた様子もなく「はい、口を開けて」と優しい声を出す。

「毎回思うけれど……手の込んだ嫌がらせね」

「まさか。溺愛しているだけだよ」


 食べないの? と問われたユディルは口を固く引き結ぶ。しかし、パン粥は蜂蜜入りなのか甘い香りを漂わせており、とっても魅力的。確かに体が疲れているので柔らかい粥はありがたいのだが、原因を作ったのはすぐそばでにこにこしている夫ではないか。


「じゃあ私が口移しで食べさせてあげる」

「自分で食べれるわよ!」

「はい、口を開けて」


 叫んだ瞬間にスプーンが口の中へ突っ込まれた。ユディルは悔しかったが、咀嚼をしたパン粥はとっても美味しかった。


 ユディルは親鳥から餌を与えられるひな鳥の様にその後もパン粥をエヴァイスの手ずから食べ続けた。疲れているため、これはこれで有りかもしれないと早くも割り切ることにする。いまユディルがこんな状態なのは、昨日エヴァイスがあんなにも弾けたせいだからだ。


「だいたい、子作りってわたしの膣の中にあなたの精液を入れる行為でしょう。どうして足を舐めるのよ。おかしいわよ」

「きみが可愛いから。あの愛らしい足で私を蹴ったんだと思うとついきみへの想いが爆発してしまって」

 ぼそりと言った言葉に対するエヴァイスの答えが斜め上すぎてユディルは己の腕をさすった。


「結婚してから、考えないようにしていたけれど……あなた……変態ね」


「私を変態にしたのはユディ、きみだよ」

「ちょっと。自分の変態趣味をあたかもわたしが原因みたいな言い方をしないでよ」

 ものすごく理不尽だ。己の持って生まれた性癖ではないか。


「きみが可愛いのが原因」

 断言をされると腹が立つ。ユディルはエヴァイスから逃れようとするが、離してくれない。

「ユディ、逃げたら駄目だよ」


 エヴァイスはスプーンを置いて、両方の腕でユディルのことを拘束した。ユディルはじたばたと暴れるが、びくともしない。このあいだからずっとこうだ。悔しい。大して体を鍛えているわけでもないのにエヴァイスのほうが力持ちだなんて。


 ユディルが黙り込むと、何かを察したのかエヴァイスの腕の力が緩んだ。

 ユディルは彼の膝の上から逃げるが、腰が砕けていることを失念していて、床の上にぺたんと座り込む。エヴァイスはすぐに立ち上がり、ユディルを抱え上げた。


「ユディ、私を拒絶しないでほしい」


 なんで、急にそんな声を出すのよ。ユディルは混乱した。いつもいつもエヴァイスは飄々としていて、余裕の表情でユディルのことを見下ろして。いつもユディルのずっと先を歩いているのにどうしてそんな風に余裕のない寂しげな声を出すのか。


 あなたはべつにわたしのことを好きでもなんでもないんでしょう。


 ユディルは心の中でそっと呟いた。

 エヴァイスがユディルのことを構うのは、ユディルが昔彼の父親との再婚話から逃げたからに違いないのに。

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