第20話 過去のあれは勘違いでした

 部屋を移動して冷たい飲み物で喉を潤していると「ユディル」と声を掛けられた。

 目の前にはいつの間にか両親が立っている。


「お父様、お母様」


 二人とも正装姿だ。ベランジェ伯爵はにこにこと機嫌がよい。シャンデリアの明かりに照らされて彼の赤毛が光っている。ユディルの赤毛はベランジェ伯爵家由来のものだ。父を前にするといつも、もうちょっとこの赤毛の血の力が弱かったらと思ってしまう。


「なんだかんだとエヴァイスと上手くやっているようでよかったよ、ユディル」

「ほんとう。わたくしも安心したわ。跳ねっ返りの娘がようやく落ち着いてくれたんだもの」


 両親はそれぞれに安堵の息を吐く。

 結婚式前後は慌ただしくて碌に親子の会話もできなかった。ユディルはずっとルーヴェ・ハウデ宮殿の女官用の部屋で寝起きをしていたからだ。

 両親に促されて、大きな窓の近くに移動をする。


「落ち着くところに落ち着いてくれてよかったというか」

「あなたの素を知っているリーヒベルク卿に貰ってもらうのが一番安心だものね」

 両親はユディルが結婚したことがとにかく嬉しいらしい。しかし、相手がエヴァイスということに屈託の一つも無いのか。


「落ち着くところって。なんでそんなに安心するのよ。わたしの一番最初の縁談相手って……彼のお父様であるリーヒベルク公爵だったのよ」


 ユディルは少しだけ声を潜めた。

 両親は小さく目を見開いた。


「あなた、どうしてそれを」

「だって、立ち聞きしたんだもの。わたしの将来にかかわることなんだから、わたしにだって知る権利くらいあるじゃない」

 過去の無作法について小言を言われる前にユディルは早口で言い訳をする。

「……それは誤解だ」

 ため息を吐きつつベランジェ伯爵が言った。


「なにがよ」

「だから、最初の縁談は私の従兄のリーヒベルク公爵ではなく、息子の方のエヴァイスからのものだったんだよ」

「嘘! だって、わたしこの耳で聞いたもの」


 ユディルが叫ぶと母親であるベランジェ伯爵夫人が人差し指を口元に持ってきて声を潜めるよう促した。ユディルは慌てて声のトーンを抑える。


「わたくしたちも誤解をしてしまいましたけれどね。あとで公爵に確かめたところ、後添えは欲しいがさすがにそれは無い、って。正真正銘あれはエヴァイスからの求婚だったのよ」


 ユディルは頭が混乱して、思わずよろけた。

 いったいどうしてそういう誤解になってしまったのか。ユディルはてっきり公爵の後妻が自分には似合いの縁談なのだと思い込み、それは嫌と突っぱね逃げることにした。


「大体、どうしてそんな勘違いになるのよ」

「私と公爵は従兄同士だからね。まず、おまえへの婚約打診の手紙が格式ばっていなかったというか、まあなんていうか」

「思い切りざっくばらんだったのね」

 ユディルは父親の言いたいことを先回りをした。


 エヴァイスの父である現リーヒベルク公爵はかなり砕けた人物だ。というか遊び心があり過ぎる人物というか、なんていうかいつまでも子供心を忘れていないお人柄だ。

 エヴァイスとの初対面時、ユディルが彼の足を蹴ったと知ったときも息子を前に大笑いをしたくらいだ。


「まあ、そういうことだ。彼に言わせるとうちは一人息子なのだから、あれで分かるだろう、と」

「ふうん……」

 いったい公爵はどんな手紙を寄越してきたのだろう。

 ベランジェ伯爵はものすごく苦いコーヒーを飲んだ時のような顔をしている。

「それに、ちょうど同時期に違うところから気になるお話も聞いてね」

 母である伯爵夫人が口をはさむ。

 とはいえ、これ以上のことを話すつもりは無いようだ。二人ともそろって息を吐き「でもまあこれで一安心」とそれぞれ肩から力を抜いた。

 

 ユディルは大きくため息をついた。

「わたし、この赤毛のせいで碌な縁談に恵まれないのだわと悲観をして女官になったのに」

「それは私に対して、いやベランジェ伯爵家の先祖に対して失礼だぞ、ユディル」


 同じく赤毛のベランジェ伯爵が抗議する。ユディルは小さいころから散々赤毛をからかわれてきた。一番の筆頭は従兄のルドルフだったけれど、幼い子供というのは時に残酷で、好きな髪の毛の色で一番人気は金色だったのだ。赤毛の人気は無いに等しかった。


「とにかく、だ。誤解を正そうにもおまえは女官になってしまうし、エヴァイスの方は外国に行ってしまうし。まあこの縁は無かったものだと諦めていたが。不思議なものだな。結果おまえはエヴァイスと結婚をしたのだから」

「お父様がオルドシュカ様に余計なことを吹き込むからでしょう」


 ネタは上がっているのよ、とユディルはとっても今更だが父に詰め寄った。人の知らぬところで、この父はユディルの仕える主によい相手がいればぜひにもユディルにと懇願をしていたのだ。なんと恐れ多いことをしでかしたのか。おかげでオルドシュカはものすごく張り切った。それまでもユディルに出会いを、と張り切っていた彼女は父のせいで余計にいきり立った。結果エヴァイスが選ばれ、彼だっていい迷惑だったのではないだろうか。


(あれ、でも。最初の縁談がエヴァイスからだって言うのは……どうして? どうしてエヴァイスはわたしと結婚しようと思ったのかしら)


 新しい謎が生まれてしまいユディルは混乱する。


「行き遅れのおまえにはいい縁は望めないと悲観していたが、エヴァイスの慈悲深い精神のおかげでおまえは救われたんだ。いや、私も安心したよ。彼はおまえの後見をしっかり果たすと約束をしてくれたしな」

「アルフィオのこともあって、わたくしも心労続きだったけれど、あなたがお嫁にもらわれてくれたおかげで少しは心が浮上したわ」


「ほんとうだよ。世間ではおまえはすっかり跳ねっ返りのわがまま娘だと思われていたからねえ」

「ええ。まったく。この子ときたらわたしはいかず後家でも構いませんとか意地を張るし。わたくし子供たちの教育に失敗したのだとすっかり落ち込んでしまったわ」

「子供のうち一人だけでもきちんとした結婚をしてくれたのだからよいではないか」

「あなた、ちゃんとリーヒベルク卿に感謝をするのよ。あなたを見捨てないでくれたのだから」

 どうしてこの流れでエヴァイスに感謝をしなければならないのか。


「どうせエヴァイスだって、オルドシュカ様の前でいい格好がしたかっただけよ」

 ユディルはすっかり不貞腐れてしまった。

「まあ。あなたは」

「ユディル、おまえはそうやっていつまでも―」


 両親の説教第二弾が始まりそうな雰囲気になったためユディルは慌ててその場から逃げ出すことにした。


 にぎやかな音楽が大広間から流れてきているが、すでに開始から幾分経過をしたこともあり、人々の中には別の部屋に移動をし、紳士のみで煙草を吹かしたり、婦人たちは休憩のために解放された部屋の椅子に腰かけながら会話に花を咲かせたりとそれぞれ輪を作り楽しんでいる。


 オルドシュカに挨拶をと思ったが彼女は今も人々に囲まれている。今年は特に小さな殿下が生まれたこともあり彼女の周りには多くの人が群がっている。

 ユディルはオルドシュカへの挨拶を諦め、どうしたものかと考える。女官として働きまくっていたため同じ年頃で気安い関係の友達といえばアニエスくらいしか思いつかないが、彼女はいまどこにいるのだろう。


 きょろきょろしていると、嫌な奴が近づいてきた。


「ユディルじゃないか。おっと、今はリーヒベルク夫人か」

 今日も下卑た笑みを顔に浮かべている。一応きちんと髪を撫でつけ、上等な上着を身に着けているのに、エヴァイスよりも格段に劣るのはどうしてだろうとユディルは自覚無しに眉を顰めた。


「せっかくだから踊ろうぜ」

「だれが、あなたなんかと」


 ユディルが乾いた声を出すも、彼はお構いなしにユディルの手を掴み大広間へと連れていく。

 ちょうど次の曲が始まり、仕方なしにユディルは従兄の相手をすることにした。踊っていて気が付いたが、ルドルフはステップが雑だ。エヴァイスとのほうが格段に踊りやすかった。ステップが雑なくせに妙なところで気障ったらしく動きを止めたりするものだから息が絶妙に合わない。ダンスを踊る気があるのだろうか。

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