第21話 複雑な心
「そういえばアルフィオの姿が最近見えないな」
彼は唐突に切り出してきた。ユディルの胸が大きく跳ねる。
ユディルは動揺を悟られないように平静に目の前の従兄を見つめ返す。
「ああ、お兄様はいま領地の事業の視察のために外国に行っているのよ」
「おまえの結婚式もすっぽかしてか?」
「わたしの結婚が急すぎたのよ」
ルドルフは薄ら笑いを浮かべる。
「ほんとうに? 俺に隠し事は無しだぜ」
「ふうん。じゃああなたもわたしに、勝手に子爵家の美術品を売り払って夫人に叱られたことを話したら?」
「な、なんでおまえがそんなことを知っているんだよ」
「叔母さまが悲しんでいらしたからよ」
ルドルフは過去、遊び代を工面しようとダングベール子爵家に代々伝わる美術品を勝手に売りさばいた。すぐにばれたのだが、将来自分のものになるんだから俺が今どうしようと勝手だろう、と主張をしてさすがに父親である子爵から雷を落とされたことがある。業突く張りの叔父は基本息子には甘いのだが、彼の言い訳には腹が立ったらしい。
ユディルは叔母がため息交じりに愚痴っている場面に過去居合わせたから知っている。
こういう考え方のルドルフだから、アルフィオが駆け落ちをしたことを知れば、自分にもベランジェ伯爵家を継ぐ権利があると主張する可能性が高い。ルドルフが人間的にできていればユディルも安心なのだが、あいにくと安心できる要素がない。
「あなた、大学を卒業するのだからもうちょっと真面目にしないと駄目よ」
「年下のくせに一丁前に俺に意見する気か?」
ルドルフは不愉快だとばかりに鼻を鳴らす。
「俺だって、実力はあるんだぜ。機会さえあれば、俺のすごさがわかるってものだ。おまえがもっと俺のために尽くせば俺にだってチャンスが巡ってくるんだよ」
ダンスの最中この男の愚痴に付き合う羽目になるのかと思うとげんなりする。
「それなのにおまえが公爵夫人だと? おまえが伯爵令嬢ってだけでも腹立たしいのに。女はいいよなぁ。結婚でいくらでも位を登れるときたもんだ」
ユディルは頬をゆがめた。彼がユディルの手を握る手に力を込めたからだ。ルドルフは昔からユディルたち兄妹に対して屈折した感情を抱いている。自分の家が子爵家で、従兄妹の家が伯爵家であることが気に食わないのだ。貴族の家に生まれたことが全てであるルドルフにとって、自分の実家よりもベランジェ伯爵家のほうが領地も大きく収支も多いことが気に食わない。そのくせ彼は貴族以外の人間の前では威張り倒す。典型的な人によって態度を変える人間で、ユディルは昔から彼のそういうところが大嫌いだ。まだエヴァイスの方が人間として親しみを持てる。彼は公爵家の人間だが、ルドルフのように歪んではいない。
「おまえ、一度目はリーヒベルク公爵家との縁談から逃げたくせに。案外に抜け目ないなあ」
「どうしてあなたがわたしの一度目の縁談相手を知っているのよ」
ルドルフは三日月型に瞳を歪めた。
「そりゃあ分かるだろ。あいつ、俺がおまえと喋っているとものすごく俺のことを睨みつけていたしな。昔からおまえは俺のおもちゃだったっていうのに。横取りしようとしてきたのはあいつのほうだろ。だから俺はそれとなくおまえの両親に言ってやったんだよ」
何を、と問おうとしたとき曲が終わりを告げた。ルドルフは続けてユディルと踊ろうとするのか手を離してくれない。
ユディルは腕を強く引っ張る。しかしびくりともしなくて、ユディルは悔しくなって彼を睨みつける。するとルドルフは愉快そうに口を持ち上げる。
「女のおまえが俺に力で勝てるわけないだろ」
次の曲が始まりかけた時。
「そろそろ私の可愛い妻を返してもらおうか」
柔らかだけれど有無を言わせぬ声が二人の間に割って入った。
「ちっ。リーヒベルク卿のお出ましかよ」
ルドルフは舌打ちをする。彼はユディルからさっと手を離すと、一人で歩いていってしまう。ユディルは彼に問いただしたいことがあって視線で従兄を追うと、エヴァイスがユディルの視界を遮った。
「ユディル、だめだよ。勝手に私から離れては」
なし崩し的に再びエヴァイスと踊ることになった。
「ちょっと冷たいものが飲みたくなったのよ。それに、いくら夫婦だからってずっと一緒にいるのもね」
エヴァイスの隣にずっといると視線が突き刺さって痛いのだ。
ルーヴェ社交界の双翼の人気のほどを本日痛感することになった。
「私のいない間にきみにちょっかいをかける男がいないとも限らないだろう? さっそく大きな害虫が寄ってきていたじゃないか」
「わたしに話しかけるのはオルドシュカ様へのつなぎのためよ」
「きみがそのくらい鈍感だと私は安心だけれど」
エヴァイスが笑みを深めた。
「喧嘩を売っているなら買うわよ」
ユディルは低い声を出した。エヴァイスはこうやってからかってくるから油断ならない。
「喧嘩じゃなくて、今日この後二人きりになったらいつも以上に仲良くしようか」
そっとユディルにだけ聞こえる声で囁かれて、言葉の意味に心臓が大きく脈打つ。こういうことを平然と言うなんて。何を考えているの、と頭が湧き立ったとき、先ほどの両親の言葉を思い出す。
そういえばエヴァイスはずっと前にユディルに求婚をしてきたのだと両親は言っていた。その言葉が今になってまざまざと蘇る。エヴァイスの父親であるリーヒベルク公爵家が縁談相手だと勘違いをした。けれども真相は、と思い返しユディルの頬が急激に熱くなる。
(まさか……そんな……)
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでも」
ユディルの心臓が早鐘を打っていく。
ダンスの曲目はややゆったりしたもので、互いの距離が近くなる。ちらちらとエヴァイスを見上げると、そのたびに夫と目が合う。柔らかな眼差しにどきりとした。どうして、こんなにも彼を意識してしまうのだろう。エヴァイスは昔からいじわるで、いつも人のことをからかってきてばかりだったのに。お転婆って言葉を何回も言われた。他の女性には紳士のくせに、ユディルのことはいつもからかってばかりだったくせに。
彼がもう少しユディルのことを淑女として扱ってくれれば、こっちだって素直になれるのに。そういう風に思ったことが何度もあった。
「ユディ」
再び視線が絡み合い、ユディルは今度こそ呼吸をすることを忘れた。
どうして。
どうして今の彼はこんなにも甘い顔をこちらに向けるのだろう。王宮舞踏会だからだろうか。もしかするとこの大広間には魔法がかかっているのかもしれない。どんな意地悪な男性も王子様のように優しい紳士にする魔法が。
淡い青色の瞳は優しく細められ、ユディルだけを映してる。
ユディルはエヴァイスから目を逸らすことができなかった。
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