第22話 ユディルの未練

 王宮舞踏会が終わり、ルーヴェの街が一年で一番華やかな彩に包まれる季節がやってきた。貴族の街屋敷が多く建ち並ぶ区域では毎日どこかで夜会が催される。中心部のオペラ座も連日公演が行われている。西大陸の文化けん引役ともいわれるフラデニアの王都ルーヴェには劇場も多く乱立し、毎夜たくさんの演目が上演されている。


 ユディルたち夫妻の元にも多くの招待状が舞い込んでいた。ユディルたちもいくつかの催し物に顔を出したが、人気者と結婚をしたユディルはどこの催し物に行っても大抵嫉妬混じりの視線を受ける日々を送っている。


「このあいだの王宮舞踏会のことはそれはもう噂になっているのよ」

「ええ。リーヒベルク卿ったら、ユディルとしか踊らなかったのでしょう」

「思い出作りに一曲だけでも踊りたいというお嬢さん方がみんな涙を呑んだとか」

「愛されているわねえ、リーヒベルク夫人」


 一人が口を開くとお茶会に参加をしている婦人たちが一斉に追従した。

 話題はつい先日行われた王宮舞踏会でのユディルとエヴァイス。今年一番の注目カップルということらしい。ユディルとしては恥ずかしい限りで顔を赤らめる。


 この茶会に出席をしている女性たちの中でユディルが一番の年下で、そして新婚。今日は盛大にいじられるんだろうな、と覚悟はしてきたものの実際に開始早々から話題に出されると顔がほてってしまう。

 今日はオルドシュカ主催の内輪のお茶会だ。出席をしているのは王太子妃の話し相手も兼ねている女官と彼女のごく親しい婦人のみ。


「新妻としか踊りません、だなんて今の時期だから許されることよ。ユディルはとても大事にされているのねぇ」

 婦人の一人がうっとりとした声色を出す。ほかのみんなも、ほほほと微笑み合った。

「それは、たぶん。わたしを盾にしているだけかと」


 なにしろエヴァイスはユディルと話をしていると他のお嬢さんたちが近寄ってこないからと言っていたくらいだ。おかげで独身時代から嫉妬混じりの視線を受けてきた次第だ。


「まあ。謙遜を。おそろいの薔薇をつけていたじゃない」

「そうよ、ユディル。わたくしも嬉しいわ。あなたがきちんとリーヒベルク卿に大事にされていて」


 オルドシュカにまで言われてしまうとユディルは反論も躊躇われる。ユディルはお茶を飲んで場をやり過ごす。


 それにしても自分が話題の中心にいるということが居たたまれない。新婚生活はたしかに驚きの連続だけれど、さすがにこの場でエヴァイスに対する愚痴を言うわけにはいかない。言うと彼の特殊性癖まで暴露しないといけなくなるからだ。さすがに年上の夫人たちの前でエヴァイスの膝の上に乗せられて困っているとか、足の指まで舐められますとか言うわけにはいかない。知られたら顔から火を噴く自信がある。


「若いあなたたちが仲睦まじい様子だとわたくしも嬉しいわね。わたくし、あなたに良縁を運ぶことができてとても嬉しいのよ」


 王太子妃殿下の幸せな声にその場の婦人たちもユディルを優しい目線で見つめる。

 今この場にいる女性たちは皆既婚者だ。そのためいくらフラデニア社交界の人気者のエヴァイスだとしても嫉妬心丸出しでユディルを攻撃してくる人はいない。もとよりオルドシュカが開く茶会にそのような人間を招くこともないのだが。


 その後も新婚生活はどうなのと聞かれたユディルはついに爆発した。


「そもそもわたしたちは昔から喧嘩する間柄なので、エヴァイスと今更いちゃいちゃなんてことにはなりませんっ! むしろ毎日闘いの日々です!」


「あのリーヒベルク卿と対等にやり合えるのもある意味すごいのだけれどねえ」


 カシュナ夫人がほんわかとした声を出す。日ごろのユディルの言動を知っている女官たちも頷いた。なにしろ名家の跡取りで、本人も顔よし頭よし性格よし(ユディルに言わせれば猫をかぶっているだけであるのだが)で喧嘩するよりも少しでも彼によく見られたいと思う娘の方が多いからだ。


「だいたい、エヴァイスったら散財も激しいんですよ」

「リーヒベルク卿は何かに熱中しているのかしら」

「殿方の中には趣味に熱中しすぎてついお金をたくさん使ってしまう人もいますわね」


 リュシベニク夫人が問うとカシュナ夫人が相槌を打った。


「趣味というか……わたしのドレスとか装身具とかをやたらと買い込んだんですよね。わたしだって一応お嫁入りに際してそれなりに衣装を持って行ったんですけど。しかも隙あらば普段着だとか外出着を新調しようか、とか言い出すし。わたしの体は一つだけなのに!」

「あらぁ、羨ましいわ。旦那様からドレスの贈り物だなんて」


 とある婦人が瞳をきらめかせる。

 たしかに男性からドレスを贈られるということに憧れる女性は少なくないだろう。現にユディルだって、人気店で仕立てた流行のドレスには心が弾んでしまった。


「けれど……あとになって思いついたんですけど。あれってもしかして、わたしの持っているドレスがどこか野暮ったいとか、もっと流行を研究しろとかいうエヴァイスからの挑戦状なのではないかと……」


 結婚の準備をする時間はなかったけれど、一応は王宮女官として体裁を整えられるくらいの衣装は持ち合わせていたし、自分なりに流行には目を光らせていた。ルーヴェで定期的に発行されている『ルーヴェ図録』だってちゃんとチェックをしている。


 だからエヴァイスがユディルに内緒でドレスを何着も用意した時、しかもそれが流行ど真ん中で人気の店の仕立てだと知って嬉しいと思った反面、なんとなく悔しかった。そして日が経つにつれて、もしかしてこれは遠回しに自分への挑戦状かしらとも思った。エヴァイスの方がルーヴェの流行を把握しているという意思表示なのかもしれない。


「ユディル、それは考えすぎですよ」

 リュシベニク夫人が少し呆れた声で返した。

「話を聞く限り、ユディルはとてもリーヒベルク卿に可愛がられているのね」

「う……うーん。どうでしょう。今までずっと女官を邁進してきましたので家にいてもすることがないので早くオルドシュカ様のところに復帰をしたいです」


 ユディルはまごうことなき本心を口にした。いまだってこうして定期的にお茶の席に呼ばれて話し相手をさせてもらっているが、なんとなく物足りない。みんなで一体となり王太子妃殿下を盛り上げようという空気の外に置かれてしまっているからだ。


「まあ、だめよユディル。あなたを呼び戻したらわたくし、リーヒベルク卿に恨まれてしまうわ」

 ユディル渾身の願いを当の本人が一蹴した。かなり本気だったのに玉砕したユディルは項垂れた。

「いまのあなたの一番のお仕事はリーヒベルク卿と仲良くすることですよ」


 ベレニーク夫人にやんわりと諭されると反論のしようもない。


 しかしユディルだって分かっている。貴族の妻に課せられた使命もベランジェ伯爵家の継承問題もちゃんと理解をしている。それを踏まえてもいまのユディルはかなり戸惑っていた。エヴァイスは毎夜ユディルをかき抱く。執着ともとれるほどの愛撫を受け、ユディルは自分の心がエヴァイスに対してどんどん無防備になっていくのを恐れている。甘い声も表情もどちらもユディルの心をかき乱していく。可愛いと言われると胸の奥が羽でくすぐられたかのようにふわふわとくすぐったくなってしまう。いつの間にかエヴァイスの腕の中で眠ることも、彼の膝の上に乗せられるのも徐々に慣れつつある。そのことを受け止め切れていないユディルは、現実逃避がしたくて仕事復帰を口にする。


 それに最初こそ子作り結婚と息巻いていたのだけれど、結婚をして生活のリズムが整ってくれば屋敷の中で主婦をしているだけではなんとなく物足りないと思ってしまう。


「で、でも……今年は陛下の即位三十五周年記念式典もありますし、宮殿の人手も足りませんよね。わたし頑張りますから、ぜひ呼んでください」

「それは……まあ……」

「確かにユディルがいてくれるのは心強いけれども……」


 現実的な問題を見据えベレニーク夫人とカシュナ夫人が互いに目配せをする。これまでオルドシュカを支えてきたユディルが抜けた穴は存外に大きい。特に式典に向けて各国から賓客が大勢訪れ、オルドシュカには客人をもてなすという仕事が待っている。宮殿の行事やもてなしを担当する官吏とのやり取りや茶会の仕切り、ルーヴェ市内の施設への表敬訪問などへの随行など女官にも多くの采配が求められる。

 女官の顔色を正確に読んだオルドシュカは少しの間押し黙り、やおら口を開いた。


「わかったわ。たしかにユディがいてくれるのは心強いわね。けれどもリーヒベルク卿への配慮も必要よ。彼から可愛い新妻を借りるのだもの」

「そうですわね」

 ベレニーク夫人が主の言葉に頷いた。


「ですからわたくし、リーヒベルク卿へ素敵なお祝いを思いついたの。ユディルも楽しみにしていてね」


 オルドシュカはふわりと微笑んだ。ユディルは、なんとなく嫌な予感がした。しかし、敬愛する主人の前では言えずに、曖昧に微笑んで場を濁した。

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