第27話 一度目の求婚の真実
エヴァイスはどうやらユディルが彼の目から離れてしまうことがとても嫌いなようだ。ユディルはこの休暇の間ほぼ彼の腕の中で過ごしている。湖の見える部屋の、大きな寝台の上から動くことができず濃密な時間を過ごすことになった。せっかく湖畔の古城に来たのだから、外を散策したいと文句を言うと、エヴァイスはユディルを抱きかかえて外へ連れてきてくれた。
一人で歩けると言いたいところだがエヴァイスのせいで腰から下が砕けている。いくら後継ぎが必要だという訳ありの結婚とはいえ、ここまでする必要があるのか疑問だったが、彼に触れられるとユディルの中の理性がゆっくりと崩れ落ちていく。本能のままにエヴァイスと熱を分かち合いたいと身体の奥から欲求が浮かび上がってきてしまう。
「明るい場所だと、きみの白い肌がさらに際立つね」
「ん……、だ、だめよ。へんなところに痕をつけたら」
スウィニー城は湖畔に建てられ、正面から眺めると水面に城が映し出されてとても優美だ。美しい城を眺めるためにと作らせた、湖から少しだけ離れた場所に建つ東屋にユディルは連れて来られた。円形の東屋のなかには大人三人が横になれるくらい広々とした寝椅子が設えられている。
エヴァイスはそこにユディルを降ろし、美しい湖畔の城を眺めるではなくユディルをそのまま押し倒した。場所が寝室から東屋に変わっただけで、彼はちっともユディルから離れてくれない。あっという間に胸元を乱され、ユディルは抗議をする。
先ほどからエヴァイスが鎖骨のあたりに舌を這わせているからだ。
「きみは私のものだと知らしめたいけど、あとで侍女に怒られるな」
「夜会用のドレスは胸元が開いているもの。普段だってひやひやしているのに。だめよ、これ以上痕をつけたら」
ユディルはため息を漏らすのを我慢しながらエヴァイスに釘をさす。
「悩ましいな。確かに見えるところに赤い花が散っていたら、別の男を煽っているようにも見えてしまうね。けれど、ユディは私のものだと知らしめたい……」
「わたしは、誰のものでもないわよ」
つい反論するとエヴァイスがユディルの肌から顔を離した。
ユディルは「な、なによ」とびくりとした。夫の瞳の中に、なにか奇妙な光が宿っていたからだ。それは少し昏い輝きだった。
「ねえ、ユディ。きみはもう私のものだよ。きみは私と結婚をしたんだ。紙切れ一枚ってきみは思うかもしれないけれどね。人の定めた法によって、きみは私から逃げることができないんだ」
エヴァイスはユディルの頬を優しく撫でた。子供に言い聞かせるような優しい声を出しているが、どこか底の知れぬ深い泉のようなものを感じる。エヴァイスは時々、こうしてユディルに対して諭す言い方をする。ユディルの夫がエヴァイスだと知らしめ念を押してくる。
「逃げるも何も……、あなたとわたしは政略結婚をしたのでしょう?」
「そうだね。きみの家の状況に付け込んで、王太子妃殿下に私をユディルの夫に選ぶよう進言したんだ」
エヴァイスの声がことさら優しくなる。
「どういう……こと?」
初めて聞かされた事実に、ユディルは混乱した。この結婚は、完全なる政略結婚だ。ユディルは兄のスペアのため、後ろ盾のある貴族の男性と結婚をしなければならなくなった。父、ベランジェ伯爵はユディルの主であるオルドシュカに泣きつき、結果あてがわれたのがエヴァイスだった。
ユディルの困惑にエヴァイスは微笑を返した。
そのまま彼はユディルの唇に触れる。反射的に彼を受け入れたユディルを、エヴァイスは彼女の奥まで深くむさぼる。ユディルの身体がじんわりと熱を帯びていく。舌と舌を合わせるだけで、ユディルの身体は簡単に溶けてしまうようになった。
「あのとき、きみが私に次に会うときは結婚式の本番だ、だなんて酷いことをいうものだから、私はすぐに妃殿下にお目通りを願ったんだ」
ユディルはぼんやりした頭の中エヴァイスの言葉を聞いていく。
エヴァイスは間近でユディルの瞳を覗き込みながら話を続ける。
「ユディの結婚が本当に決まったのかどうか。妃殿下は、笑いながら否定をしたけれど、自分のお眼鏡にかなう男性は探しているとおっしゃったよ。だから私は妃殿下に願い出たんだ。ユディを私に下さいと」
ユディルの心臓が大きく跳ねあがる。いつも意地悪なことばかり言うエヴァイスがどうして、そんなことを。まさか、一生に渡って人に向かって意地悪をするため? などという軽口はあいにくと出てこなかった。エヴァイスのユディルを見つめる瞳がどこか切なげで、熱を帯びている。しかし、彼のユディルを見つめるまなざしはとても優しく、ユディルは彼の瞳から目を逸らすことができなくなる。
エヴァイスはゆっくりとユディルの髪の毛を梳いていく。
「私がどれだけユディのことを想っているか妃殿下にお伝えをしたら、彼女は私とユディの婚姻を許してくださった」
それからはとても早く事が進んだ、と彼は嬉しそうに微笑んだ。ユディルは初めて聞く事実に、なんて答えていいのか分からない。だって、あなたはいつも人のことをからかってばかりだったじゃない。紳士だなんて人はあなたを褒めるけれど、わたしにはちっとも優しくなくて。わたしだって、少しくらいやさしくされたかった。そうしたら、もっと素直になれたのに。誕生日にカードを貰っても返事の一つくらい書いたのに。ユディルの頭の中にエヴァイスとの思い出がよみがえる。
「だって。だって、あなたはいつも意地悪だったわ」
「私に全力で怒ってくるきみがいつしか愛おしくなったから。笑顔も怒った顔も、私はどちらのユディも大好きなんだ」
だから、必要以上に怒らせてしまっていた自覚ならあると彼は困ったように眉を下げた。そんな風に感情を吐露するエヴァイスが珍しくて、ユディルはついじっと彼を見上げてしまう。
「きみのことが大好きなんだ。だから、もう逃げないで。ユディに逃げられるのは一度だけで十分だ」
「わたし、逃げたことなんて一度も無いわ」
「きみは逃げただろう。私の元から。髪を切って宮殿に逃げ込んだ」
どきりと、胸の鼓動が早くなる。
エヴァイスは起き上がりユディルの短い髪の毛を一房己の指に絡めとる。
ユディルはエヴァイスの視線に縫い留められる。仰向けに横になったままの状態で、エヴァイスの視線を受け止めた。
「あれ……は、だって」
「きみは私との結婚を嫌がって、髪まで切った。あんなにもきれいだった
エヴァイスはユディルの髪の毛に己の指を絡める。
「きれいって、エヴァイスは最初わたしと会ったとき人の髪の毛馬鹿にしたじゃない」
聞き捨てならなくてユディルは口を開く。起き上がろうとするがエヴァイスによって阻まれた。むむむ、と眉を動かすがエヴァイスはユディルを寝椅子の上に縫い留める。
「きみの髪の毛とにんじんを一緒にしたのは悪かった。けれど、何回も言っているけれど、初対面のきみが自分の髪の毛の色が好きじゃないなんて知る由もないだろう? それに、私は野菜の中ではにんじんが好きなんだよ」
「そんなの……わたしには関係ないもの」
エヴァイスの口から好きだと言われればなぜだか胸の奥が騒いでしまい、ユディルはつい可愛くない言葉を出してしまう。彼がにんじんを好きだとは初耳だった。彼にとっては好きなものだから、なんの含みもなくユディルの髪を好きな野菜に例えた。それをユディルが過剰反応したということで。けれども、やっぱり女の子が自分の髪の毛の色をにんじんに例えられても素直に喜べない。
「そうだね。……けれど、覚えておいて。今も昔も、私はユディもきみの髪の色も大好きだよ」
「……だったら、最初から苺水晶に例えてほしかった」
今更なのだが、少し恨みがましくエヴァイスを見つめると、彼は微苦笑を漏らした。
「そうしたら、きみは髪を切ってまで私から逃げなかったのかな」
「あれは……あのときは。わたし、あなたのお父様に求婚されたと思ったのよ……」
ユディルが正直に言うと、エヴァイスは一瞬目を大きく見開いた。
「まさか。父が?」
「この間両親から聞いたの。どうやら勘違いだったって」
「……」
エヴァイスがじっとこちらを見つめてくるからユディルは居たたまれなくなって顔を横に向けた。仕方がないではないか。あのときは、こちらだっていろいろと衝撃を受けたのだから。つい髪の毛だって切ってしまうというものだ。
「……ユディは、私のことを嫌がったわけではない? 中年男の妻が嫌だと思ったから宮殿に逃げたの?」
「……あなたのお父様が嫌いというわけではないのよ。親切だし、いい人だと思うわ。ただ、後妻はあんまりだと」
改めて問われると恥ずかしくなってきてユディルの声が小さくなる。
「父上のことを褒めると父に嫉妬をするからそれ以上言わなくていいよ」
ユディルは口をぴたりと閉じた。
なんだか、とてもたくさんのことを話した気がする。この結婚はてっきりオルドシュカがエヴァイスを見定め、そして彼は王太子妃からの要請に従ってユディルを妻にしたのだと思っていた。将来を見越してオルドシュカに今から近づいておこうとか、エヴァイスが己の野心のために結婚を了承したとばかり考えていた。それなのに、真実は違ったということなのかもしれない。ユディルは先ほどからエヴァイスが発した言葉の数々を頭の中で反芻する。
ゆっくり体の内側にエヴァイスの言葉が染み込んでいくごとに、ユディルの体温も上昇する。
「ユディは、私から逃げたわけじゃなかったんだね?」
「……ええ」
ユディルが頷くと、エヴァイスは瞳を柔らかく細めた。
エヴァイスはもう一度ユディルの唇を優しく食み、それから頬や目じりに口づけを落としていった。指と指を絡ませ、白い肌の上を熱い吐息と共に唇が這っていく。
ちりちりとした胸の奥が疼く刺激にユディルは何度も小さな啼き声をあげていく。夫がその体に熱を纏い出したことを感じ取って、ユディルの身体も熱くなっていった。
どうしてだろう。これまで以上に夫の行為に胸の奥が切なく震えた。
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