第35話 夜の生活についての話し合い
改めて夫に今回の手際の良さについて問い詰めると、彼はあっさりと「ベランジェ伯爵家の事情を聞かされた時からアルフィオの所在は掴んでおこうと思って」と白状した。
聞けばエヴァイスにとって情報戦とは外交上必須の能力らしく、約二年間の駐在期間中にことさら腕を磨いたのという。エヴァイスの秘書官も当然のことながら一緒に外国に同行し、やはり同じように情報収集能力を鍛えたのだという。ちなみに不測の事態に陥ったときに対処できるようある程度体を鍛えているのだという。確かにルドルフの腕を捻り上げるエヴァイスは動きに無駄がなかった。
ちょっとかっこいいと思ったのは彼には内緒だ。
「アルフィオに私たちの結婚を知らせたら喜んでくれたよ。跳ねっかえりのユディを任せられるのはエヴァイス、きみしかいないって」
少し遅めの夕食を一緒に取り、その後居間でくつろぐ時間を過ごしている。
ユディルはエヴァイスの膝に乗せられ、彼はユディルと指を絡めながら時折指先や目じりに口づけを落としていく。そのたびに胸の内側が羽でくすぐられるようにざわざわとするから落ち着かないのだけれど、膝の上から降りようとは思わない。今こうしてエヴァイスのすぐそばにいるという日常を実感したかった。
「お兄様ったら、跳ねっかえりは余計だわ」
一族の人間はユディルのことを跳ねっかえりだとかお転婆と評する。髪の毛を切ったあたりから声高にそう言われることが多くなりユディルとしては少し納得できない。これでも女官として淑やかさに磨きがかかってきたというのに。
「アルフィオに使者をやったら最初は門前払いにされたけれどね。貴族とは関係なく生きていくにしても一つくらいは窓口を繋いでおいた方がいいって説得をしたんだ。きっと、彼にだっていずれ子供が出来るだろう? ベランジェ伯爵だって孫の顔くらい見たくなるかもしれないし」
エヴァイスはユディルの頬を撫で、耳に口付けた。話をしながら彼はユディルの色々なところを撫でてくる。そのたびにユディルは肩をびくりとさせているのだが、エヴァイスはまったく構わずユディルにいたずらを仕掛けてくる。
(結婚をしてからいじわるの方向性が変わったのよ……)
むぅ……と頬を膨らませるのにエヴァイスはまったく気にしない。しかし触れられた箇所が熱を持ちどきどきと鼓動が激しくなってしまうのだから、ユディルはすでに夫に完敗をしている。いじわると思いつつ、エヴァイスから離れたくないのだから。
「あなたってちゃっかりしているのね」
「きみにだけ負担を掛けるわけにはいかないから」
どういうこと、と首を小さく傾げるとエヴァイスが苦笑した。
「このままだとユディの肩にはリーヒベルク公爵家とベランジェ伯爵家、二つの家の後継ぎがのしかかってくるだろう? 子供は授かりものだから。新婚早々思い詰めてほしくなくて」
「エヴァイス……」
ユディルの深層の憂いを見越したかのような言葉だった。ユディルだってほんとうは不安だった。ユディルが仕えていたオルドシュカはずっと子宝に恵まれなかった。王太子夫妻はずっと子作り行為に勤しんでいたというのに。王太子妃にかかる重圧や心無い中傷、それから彼女の憂いをずっと見てきたユディルは、それが貴族の女性に課せられた義務だとしても心のどこかで見えない圧を感じていた。エヴァイスはきちんとユディルがまだ気が付いていない戸惑いや不安を感じ取って、軽くできるよう考えてくれていた。
「伯爵家の爵位継承にも選択肢を残しておきたかったんだ。時代も徐々に変わっていく。今は難しくても、アルフィオの妻が認められる日が来るかもしれない」
「そうね。それって素敵な未来ね」
ユディルはからりと笑った。
嬉しかった。未来へのたくさんの道を作ろうとしてくれるエヴァイスの心が。
廃嫡の書類の存在は今のところ伯爵夫妻以外には伏せられている。公証人はアルフィオから書類の入った封筒を預けられただけで、中身までは知らないのだという。しばらくは現状のまま、アルフィオは視察のため長期不在という言い訳が効きそうだ。
「でも、今回のことでルドルフが野心を持っているってわかったから、ちょっと心配だわ」
彼もベランジェ伯爵家に連なる親族として伯爵位が転がり込んでくることを虎視眈々と狙っている。
「大丈夫。私がいるかぎり、あいつに口をはさませるつもりはないから」
エヴァイスの不敵な笑みを見たユディルは不覚にも安心してしまった。名家リーヒベルクの名前はベランジェ伯爵家の縁戚の中でもとくに輝いている。結果としてユディルはよい結婚をしたということだ。ユディルの中でエヴァイスは相変わらずちょっといじわるな旦那様、という位置付なのだけれど。それでも、そんなエヴァイスのことを好きになってしまったのだからユディルは物好きということになるのだろうか。
ユディルは一連のことを頭の中でかみ砕いて考えて、ある結論に達した。慌ただしい結婚だったけれども、どうやら自分にはもう少しだけ時間がありそうだと気が付いた。
「じゃあ、わたしたちもそんなに急いで子作りをしなくてもいいってことよね!」
「ユディ。なにを言い出すんだ?」
エヴァイスが慌てた。
「え。だって、秋には国王陛下の即位三十五周年の記念式典があるでしょう。わたしだってオルドシュカ様の女官だったのよ。式典のためにずっと準備をしてきたんだから、やっぱり当日はオルドシュカ様のお側にいたい」
ユディルは力強く宣言をした。実はずっと未練があったからだ。
なにしろフラデニアは国民みんながお祭り気質を持っている。冬の建国記念日には派手に花火があがるし年の瀬の市場だって周辺国に比べると大分華やかだ。それは国王陛下も同じで、在位期間が長くなるにつれ、常々三十五周年は派手に祝いたいと願望を漏らしていた。ちなみに、四十周年の区切りまで待つには体力に不安があるから三十五周年がいいとのことだ。
そのためユディルたち王宮勤めの人間は昨年からずっと準備をしてきた。大きな記念行事になるためオルドシュカ様の新しい衣装や装身具の準備のために王宮御用達店と何度も打ち合わせの場を設けてきた。王太子妃ともなれば各国の賓客をもてなす必要もあるため、それらの準備や宮殿の部屋の細かな改装を指示したりもした。
本音を言えばユディルはまだ女官の仕事に未練がある。とくにずっと準備してきた式典に関してはやり残した感が多い。時間的猶予があるのならせめて式典の間だけは(泊まり込みで)現場復帰をしたい。
「そういうわけで、わたしもしばらくは忙しくなるから子作りは当面お休みってことで」
「駄目だ!」
ユディルとしては至極まっとうなことを言ったはずなのに、妻を膝の上に乗せている夫がくわっと目を見開いた。
「どうしてよ」
「ユディは私の妻なんだよ。式典は王太子妃殿下の後ろに控えるんじゃなくて夫の隣だろう?」
「ええ~」
ユディルは心底不満な声を出す。エヴァイスの隣ということは限りなく王族に近い場所で目立つではないか。その点王太子妃付きの女官なら式典の最中は関係者ということで控えとして隅の方に立っていられるから幾分気楽でもある。
「きみは私の妻なんだ」
「それは知っている」
「未来永劫生まれ変わってもユディは私のものだ」
「それは……(ちょっとヤダな)」
ユディルは後半部分は声に出さずに心の中で呟いた。生まれ変わっても一緒というのはさすがに重い。しかし言いよどむとエヴァイスが少しショックを受けた顔をしたため、ユディルはなぜだか罪悪感を感じてしまった。ここは自分が責められるところなのだろうか。
「子作り行為も続行する」
「……週二回までなら」
ユディルは慎重に答えた。本当はお休みがいいのだが正直に伝えると嫌な予感しかしないので譲歩した。
「ユディ、きみは私との触れ合いがたったのそれっぽっちでも構わないと、そういうこと?」
エヴァイスの手の平がユディルの頬を滑る。真剣な声を出されても内容が内容なだけに気恥ずかしくなる。けれどもエヴァイスと過ごす寝台のことを考えるとユディルはどうしていいのか分からなくなる。だって、エヴァイスに身体を溶かされると何も考えられなくなるから。目の前の快楽に浸かってしまい、エヴァイスだけを求めてしまう。週に二回と自分を律するためにもそう言ったのに、すぐ近くでエヴァイスに見つめられると胸がざわついてしまう。
「ユディ」
エヴァイスがユディルの眦に、頬に、耳たぶに、と口づけを落としていく。そうやって何度も優しい口づけを落とされるたびにユディルの心は騒ぎ立てる。触れられた箇所が熱を持ち、身体の奥に火が灯る。ろうそくのような小さなそれは彼の愛撫によって瞬くまでに大きく膨れ上がって、ユディルは小さく啼いた。
「エヴァイス……」
ユディルはつい物欲しい声を出してしまった。
口では強がっても身体も本能も、目の前の男を欲しがっている。この人の腕の中でもっと熱を分け与えてほしい。いまでもいじわるな旦那様だけれど、それ以上にとびきりに優しくて、そんな彼にいつも翻弄されている。妻の潤んだ瞳の中に熱を感じ取ったエヴァイスは一度強く口づけを施した後、妻を抱きかかえて寝室へと移動した。
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