第45話 エヴァイスの華麗なる夏休み計画2
エヴァイスがベランジェ伯爵邸へ馬車を走らせていると、窓の外に見覚えのある色がよぎった。エヴァイスは慌てて御者に馬車を止めるよう命令をした。
停止をした馬車からエヴァイスは華麗に降り立った。
「やあ、ユディ。ご機嫌いかがかな」
「エヴァイス……」
ボンネットに華美でない余所行きのドレスを着込んだ少女は、目の前に現れた人物を認めると目を真ん丸にした。
「一人で供も付けないで、どこへ行くの?」
馬車の中からエヴァイスが見つけたのは一人歩きをするおてんば娘の姿。さらさらとエヴァイスの好きな苺(ローズ)水晶(クォーツ)の髪の毛が風に揺れている。
出会った当初、会話の流れからユディルの髪の毛をにんじんに例えてしまった。エヴァイスはにんじんも大好きだしユディルのことも大好きだ。けれども女の子の髪の毛を野菜に例えるのは無粋だと何かの機会に知って以来、エヴァイスはユディルの髪の毛を例えるものを探した。宝石に例えるなら気を悪くしないだろう、と思い鉱物図鑑を買って苺水晶へとたどり着いた。本人にはまだ言ったことが無い。いつかの時(例えば求婚時)までとっておこうと思っているのだ。
「べつにどこでもいいでしょう。あなたには関係の無いことよ」
ユディルは固い声を出す。
まるでとっておきのいたずらがばれてしまったときのようでもある。
(なるほどね……)
「きみの新しい家庭教師は知っているのかな」
「!」
ユディルは無言だったが、エヴァイスの言葉にしっかりと反応をした。
「ふうん……無断外出なわけだ」
というか、ここでエヴァイスがユディルのことを見つけなかったら、今日も彼女と会うことはできなかったというわけだ。せっかくユディルがルーヴェにやってきているのに、今日までエヴァイスは彼女と会うことが出来なかった。それというのもユディルがいつも友人たちと遊びに行ってしまうから。
「わたしがどこへ行こうともあなたには関係の無いことよ」
「いいや、関係あるね」
せっかくユディルと二人きりになりたかったのに屋敷にいないのではまた意気消沈して帰る羽目になるではないか。
「ないでしょ」
ユディルは冷たい声を出す。
「ここできみの一人歩きを見逃せば、伯爵に顔向けできない。伯爵家のご令嬢がルーヴェを一人歩きだなんて。きみねえ、年頃の娘だって自覚はあるの?」
「アニエスだって一人でお菓子屋さんに行くことくらいあるって言っていたもの」
「侍女くらい連れているだろう」
「いいえ。一人って言っていたもの」
「アニエス嬢がどうとかは、私にはどうでもいい」
問題は可愛いユディルがエヴァイスの知らないところでルーヴェの街を一人歩きすることだ。まったく、何かあったらどうするというのだ。
「世間の人間はきみの中身なんて知るわけがないんだから。ぱっと見お嬢様なユディに邪な考えを抱くとも限らない」
「……なにか、含みのある言いかたね」
「だって、きみのおてんば加減なんて一目見ただけではわからないだろう? そんな風にドレス着て擬態していると尚更だ」
「わたしに喧嘩を売っているの?」
ユディルが大きな声を出した。
「売っていないよ、別に。きみ、来年は社交デビューだよね。私は色々と心配だなあ」
「あなたに心配してもらわなくても大丈夫よ。わたしダンスの筋がいいって先生に褒められたんだから」
「ダンスだけの間違いじゃない?」
「……ほんとう、腹の立つ男ね」
ユディルはすたすたと歩き出した。
エヴァイスは即座にユディルに追いつく。別に喧嘩がしたくて彼女を引き留めたわけではない。ただ、彼女と楽しい夏の思い出を作りたいだけだ。
(それなのに、つい可愛くって喧嘩に発展しちゃうんだよな……困った……)
「嘘だよユディ。ベランジェ伯爵も褒めていたよ。ユディは作法や刺繍も頑張っているって。それに、きみは明るくて気負わないから誰とでもすぐに仲良くなれるって。うん、そういう資質は大事だと思うよ」
とりあえずエヴァイスはフォローをした。べつにユディルを貶めたいわけではないのだ。ただ、こちらをまっすぐに睨んでくるユディルが強烈に可愛いだけで。エヴァイスはルドルフとは違うのだ、というところをしっかりとアピールせねば。
「べつに取り繕っていただかなくて結構よ」
あ、これは本格的に機嫌を悪くしたな、とエヴァイスは内心狼狽えた。
もしかしたら社交デビューに向けて授業がとても厳しいのかもしれない。おてんば娘のユディルだが、ベランジェ伯爵家はそれなりに歴史も古く付き合いの幅も広い。
元気がよすぎる娘のために、伯爵は家庭教師の数を増やしたと言っていた。近年では寄宿学校へ娘を入れる家も増えてはきているが、ベランジェ伯爵家は伝統的なやり方で娘を育てていた。家に家庭教師を住まわせ教育をするという方法だ。娘の成長に合わせて家庭教師は入れ替わり、来年の社交デビューに向けてより一層教育に力を入れているのだろう。
ユディルはエヴァイスから興味を無くし、大きな足取りで歩いていく。
「ユディ」
エヴァイスはたまらずユディルの腕を掴んだ。許可なく淑女に触れるなど良くはないのだが、ユディルの機嫌を損ねたままだとせっかくの夏が台無しになる。
「なによ。わたしは急いでいるのよ」
「私が悪かったって。少し言い方がきつくなりすぎた」
「べつに、怒っていないもの。どうせ、わたしは元気が良すぎてダンスしか取り柄の無いおてんば娘だもん」
頬を膨らませ拗ねた物言いをするユディルにエヴァイスは内心ピンときた。これはもしかすると新しい家庭教師に何かを言われたな、と。
「私はユディの元気のいいところは好きだよ」
「ありがとうってお礼なんて言わないわよ。言ったらどうせ、元気娘は風邪をひかなくて丈夫でいいねとか言うんでしょう」
「そう? 笑顔が素敵だと思うけど」
「……今日のあなた変よ?」
するりと本心を口から出すと、ユディルの顔が心なしか赤くなる。
少しだけあどけなさを残した面差しには紛れもなく去年には無かった色気のようなものが垣間見え、エヴァイスは己の胸が大きく脈打つのを自覚する。
もう、子供ではないのだ。目の前の少女は。エヴァイスはそのことを意識しないように細心の注意を払う。ユディルに、まだ己の中の男の欲望を見せてはいけない。
「私はいたって普通だよ。ユディ、良い家の娘は街歩きにお供に一人くらいはつけて行くものだよ」
「なによ、結局はお説教じゃない」
「きみはまだルーヴェには慣れていないんだから」
「あなたは慣れているって言いたいの? わたしを領地に籠りきりの田舎者だって笑いたいのね」
「きみが領地で育てられていたのは、貴族の家の娘ならいたって普通のことだよ。私がルーヴェに詳しいのはついこの間までルーヴェ大学に在籍をしていたから」
大学では寮生活をしていた。
大学には貴族階級ではない人間も多く在籍をしていた。近年存在感をさらに増しているブルジョワ層や他国からの留学生、それから奨学金を貰う労働者階級の子息などだ。彼らとは同じ学舎で学ぶ学友として在学時代は色々と馬鹿をやった。安酒で悪酔いをしたりカード遊戯で小遣いを賭けたり、とまあ学生が一度は通るようなことは一通り経験をした。
「そういえばあなた大学を卒業したのよね。こんなところで油を売っていていいの? あなたこそ、今年は忙しいでしょうに。リーヒベルク公爵がおっしゃっていたわよ。夜会の招待状がたくさん舞い込んでいるって」
「……どうしてユディが父上と会っているの」
「え、昨日の園遊会でお会いしたのよ。リンドン家の園遊会よ」
「きみ、社交デビューはまだだったよね」
「あら、園遊会といってもわたしと同じ年の娘さんのお披露目会のようなものだもの。わたしもルーヴェでの話し相手ができて嬉しかったわ」
エヴァイスよりも父の方が先にユディルと会って話をしていたという事実に内心むかっ腹がたった。子供時代のユディルは領地が隣り合った近隣貴族の子女や親戚くらいしか交友関係が無かった。貴族の家の方針は様々だ。よい結婚のために娘を十六の内にデビューをさせてしまう家も少なからずあるし、十七になる年にデビューをと決めていても前年から小規模の茶会などで娘の顔を売り込む方法もある。
ユディルもどうやら今年から同じ年頃の娘たちと顔合わせしているらしい。
だったらエヴァイスも参加をすればよかったと思ったのだが、そうするとユディルにばかり構っていられなくなる。それはまだ嫌だな、と思う。できればユディルと二人きりの時間を持ちたい。おそらく今年が最後だと思う。ユディルが社交デビューをすれば二人きりで会うことは難しくなる。そうするには一歩進んだ関係にならなければならない。エヴァイスはその気満々なのだが、その前に根回しをしておく必要がある。今年一年をかけてそれをする予定で、ユディルがかろうじてまだ子供でいられる今年に、エヴァイスはユディルと二人きりで会いたかった。
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