第46話 エヴァイスの華麗なる夏休み計画3

「まあ、とにかく。さっき怒らせたお詫びも兼ねて、今日一日私がきみのルーヴェ散策のお供をするよ。お金と馬車と、エスコートと、勝手に連れ出したお詫びも伯爵にするよ。お買い得だと思うけれど?」

「う……うーん……」


 エヴァイスの提案にユディルは悩みだす。

 勝手に屋敷を抜け出してきたというからには、あとでお説教を食らうことは必死。けれどもエヴァイスと約束があったと言えばお説教を回避できる。エヴァイスの破格の申し出にユディルは真剣に悩んだ。


「……でも、もれなくあなたも付いてくるのよね」

「今日は一日いじわるなことを言わないって約束するよ」

「信用できないわ」

「ほんとうだって」

 エヴァイスはくすくすと笑った。

 せっかくユディルを独り占めできるのだ。


「ほんとう?」

「もちろん」

 エヴァイスは頷いた。

「……じゃあ、お供させてあげないこともないけれど」

「お嬢様の護衛役、謹んでお受けさせていただきます」

 エヴァイスは芝居がかった声をだし、恭しくその場で首を垂れた。


「あ、でもその馬車は駄目よ。公爵家の馬車なんて目立つわ」

 エヴァイスがユディルを馬車に誘導しようとしたら、彼女が大きな声で制止をした。

「じゃあ、どうするの?」

「辻馬車を使うのよ!」

 ユディルが得意そうに胸を張る。

「きみ……、また何かの小説の影響?」

「いいでしょう、別に」

 ユディルが頬を膨らませる。どうやら図星らしい。


「わかったよ。お嬢様の仰せのままに」

「分かればいいのよ」

 ユディルが少し尊大な声を出す。

 エヴァイスは御者に待ち合わせの時間を言いつけて一度屋敷へ戻るよう指示を出した。





 その日はエヴァイスにとって充実した日になった。

 ユディルは『ルーヴェ図録』に掲載されている最新流行の小物店や菓子店をめぐりたいと言い、エヴァイスは時間の許す限りそれに付き合った。


 初めてのルーヴェ散策で、浮足立ったユディルはエヴァイス相手でも笑顔を見せてくれた。愛らしい笑顔にエヴァイスも始終機嫌よく、いつもの喧嘩は鳴りを潜め二人はよく笑い合った。


「こんな風に外の席でコーヒーを飲むなんて初めてだわ」

 休憩も兼ねてどこかへ入ろうと提案をするとユディルは道に面したカフェに入りたいと主張をした。この年頃に良家もなにも関係ない。ルーヴェで流行っていることをやりたいのだ。

「それもルーヴェ図録に載っているの?」


 やってきたカフェは女性客で溢れている。カフェとは本来男性の昼間の社交場ではないのか。それなのにこの店は女性客で溢れているし、メニューも甘い飲み物が多い。


「ここはね、ルーヴェの中でも女性だけで気軽に入ることのできるカフェってことでルーヴェ図録が紹介しているのよ」


 ユディルはふふんと得意顔を作る。

 ルーヴェ散策の合間に聞いた話によると、『ルーヴェ図録』というのはとある新聞社が年四回発行している女性向けの読みものだ。季節ごとにドレスや小物の流行や話題の菓子店やカフェ、仕立て屋などを紹介しているらしい。対象読者はルーヴェの中産階級の女性たち。近年存在感をましてきたルーヴェ在住の新興層であるブルジョワ層に向けた季刊誌というわけだ。ユディルはアニエスに教えてもらったと言っていた。中産階級向けの読みものだが、流行りのものが大好きな貴族階級の娘の間でも愛読者は多いらしい。


 男性の給仕係が二人の前に飲み物を持ってきた。

 エヴァイスは無難にコーヒー。ユディルの目の前には冷たく冷やしたコーヒーに白いクリームがたっぷりと乗ったものが置かれている。小さなスプーンでクリームをすくいながらユディルは目を細める。


「んんん~! これが飲みたかったの」

 初めてのルーヴェ散策ですっかりテンションがおかしくなっている。

 嬉しそうにはしゃぐユディルを独り占めすることが出来てエヴァイスの気分も最高潮だ。


「確かに、こういうカフェに来ることは伯爵は許さないだろうね」

「お父様は頭が固いのよ。お兄様も駄目、だなんて言うんだから」


 一度交渉済みのユディルは両親の頭の固さ具合についてエヴァイスに愚痴を漏らす。ずっと田舎に閉じ込められていたとは本人談だ。伝統的な貴族の家の中には子供は領地で育てるものという考え方がある。ベランジェ家では娘のユディルに対してはその考えを踏襲していた。もうすこし緩い考えの家では十二、三を過ぎたあたりから両親の移動に伴い、子供を同伴させることもあるのだが、ベランジェ家はそうではなかった。


「去年は我慢をしていたわけだ」

「そ、そりゃあわたしだって、さすがに去年はまだ……十五だったし」

「十六はもう大人?」

「今年デビューする子もいるって聞くわ。そうすると、婚約する子もいるのでしょうね」


 婚約という言葉にドキリとする。

 エヴァイスは話を変えることにした。


「去年は初めてのルーヴェに怖気づいて、今年は二年目だから冒険したいってそういうことかな」

「う、うるさいわね。いちいち人の心情を分析しないで頂戴」

 ユディルはコーヒーを飲む。


「ルーヴェは魅力的なもので溢れているからね」

「そうね。領地とは大違い。とっても賑やかね」

「きみの領地もいいところだと思うけれど」

「たしかにそうだけれど、なかなか街へ行く機会はなかったもの」

「さて、次はどこへ行きたい?」

「そうねえ……」


 ユディルは考えだす。

 うんうんと悩み、次は流行りの菓子店へ行きたいという。屋敷の料理番が作る菓子もいいけれど、人気店で買うことが重要なのだ。


 エヴァイスはたっぷりとユディルに付き合った。

 帰りの馬車でも彼女は始終機嫌がよかった。


「私でよければまた付き合うよ。観劇とか、どうかな」

「あ、それは大丈夫。アニエスたちと女子歌劇団の公演に行こうねって約束をしているから」

「そ、そう……」


 あっさりと袖にされてエヴァイスは覇気のない返事をした。

 エヴァイスを振り回すことが出来るのはやはりユディルしかいないのだ。

 一応これでも公爵家の跡取りということでモテるのに。


 エヴァイスから誘われたら一も二も無く喜んで、と女性たちは目を輝かせるだろうに、ユディルは一向になびいてくれない。それは新鮮でもあるし、けれども少し苛立ちもする。エヴァイスの持っているものが何も通用しないからだ。


 彼女はエヴァイス個人を見ている。それは嬉しくもあるが、こういうときはと物悲しくなる。ユディルの気を引くような魅力的な提案をしなければ彼女はエヴァイスに付き合ってくれない。

 エヴァイスは頭の中で必死にルーヴェ事情を思い出す。


「じゃあクライネヴァール公園へ行くのはどう? 面白い大道芸人がいるって評判なんだよ」

「大道芸人⁉」

 ユディルが目を輝かせた。

「ああ。あそこは貴族が行くにはすこし庶民的なところだけれど、私と一緒なら伯爵も許してくれると思うよ」

「じゃあお兄様でもべつにいいわよね」

「……アルフィオも誘おうか。三人ならいいだろう?」

「そうね。だったら行くわ」


 エヴァイスは心の中でがっくりと首を落とした。

 しかし、すぐに思い直す。アルフィオが付いては来るが次の約束が出来たのだから。


 ちなみにユディルは家庭教師を屋根裏に閉じ込めて屋敷から無断外出をしたらしく、エヴァイスは彼女と一緒になって、しっかりと家庭教師のご婦人から叱られた。


☆--☆☆あとがき☆☆--☆

ちなみにユディルが女の子向けの寄宿学校に入らなかったのは、父親であるベランジェ伯爵が「うちのおてんば娘を寄宿学校にいれたら大変なことになる」と心配したからという理由もあります

跳ねっ返り娘が寄宿学校で伝説をつくる未来・・・ガクブル・・・と青くなり最近流行り始めた寄宿学校へ入れることをやめたという、割とどうでもいい裏話があります

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