第56話ルーヴェ恋愛事情

 久しぶりにクラブへ足を踏み入れたエヴァイスは給仕に案内されるまま、カーテンで仕切られた半個室へ身を滑らせた。


「ひさしぶりだな、エヴァイス」

「異国の地で揉まれてきたか?」

 フロックコートに身を包んだ男たちが陽気に口を開き出す。全員エヴァイスと同じ年頃の青年だ。

「久しぶり」

 エヴァイスは軽く片手をあげた。


 男たちは人好きのする笑顔を作ってエヴァイスを招き入れた。酒を注文し、待つ間にテーブルの上にあるつまみを適当に口の中に放り込み、昔に戻ったかのように少々粗野な言葉遣いで話し出す。

 今日ここにいるのはルーヴェ大学の同窓生だ。エヴァイスは政治学と法律を大学で学んだ。


 ルーヴェ大学はフラデニアで一番権威のある大学である。その歴史は古く、元は古い時代の王が私財を投じて作らせた研究機関だった。

 長い間貴族の子弟のみに門戸を開いてきたフラデニア最古の大学は、しかし時代とともに改革が行われ、現在ではあらゆる階級の人間が入学を許されている。

 奨学金制度もあるのだが、入学するにはフラデニア最難関と言われる試験を突破しなければならない。エヴァイスも寄宿学校在学中は入学試験のために勉強に勤しんだ。


 この場にいる中で、爵位を継ぐ立場にあるのはエヴァイスだけだ。他は貴族の傍流だったり、代々法律家の家系であったり、役人であったり、境遇は様々だ。


「エヴァイス、どうせ赴任先でも楽しくやっていたんだろう。昔から無駄にモテたからな」

「まさか。忙しくて遊ぶ暇もなかったさ」

「嘘つけ。学生時代からどれだけの女がおまえ目当てに寄って来たと思っているんだ」

「さあ」

「くっそー、嫌味な奴だな」


 酒が入った男たちは軽口を叩き、昔を懐かしむ。

 古い友人たちを前に、エヴァイスはフラデニアに帰ってきたのだと実感する。この気安さが大学時代の友人たちの良いところだ。

 男たちはよく飲んで、適度に食べ、そして笑いあった。


「それで、いい女との出会いはあったのかよ?」

「いいや、ないよ」


 エヴァイスは即座に否定した。そもそも、ユディルに振られて悲しみを紛らわすために外国に逃げたのだ。忘れようとしても駄目だった。

 ちなみに赴任の本当の理由はさすがに友人たちにも伝えてはいない。彼らの前で、少しくらいは格好つけたいのである。


「いや、エヴァイスは公爵家の跡取りだぞ。外国人を連れ帰ってくるわけにもいかないだろ」

「貴族のご令嬢なら現公爵だって文句は言わないさ」


 友人たちは適当な言葉を楽し気に紡いでいく。完全に他人事である。

 エヴァイスが今回帰国をしたのは、父である公爵にせっつかれたのが原因だ。いつまでも公爵家の跡取りが外国にいるな、義務を果たせと。


 そのため、帰国したエヴァイスがしなければならないことは、義務を果たすことだ。すなわち結婚して跡取りをつくること。

 エヴァイスの目下の悩み事は、どうやってユディルを妻にするか、ということだ。


 一度振られているため、再び彼女に求婚するにも勇気がいるし、今度こそ逃げられないように根回しと外堀を埋める必要がある。

 しかし、ユディルはあれで行動力は抜群なのだ。急いでことを起こすと、再度逃げられることも考えられる。

 できれば次の社交シーズンの王家主催の舞踏会は、ユディルをパートナーにしたいのだが。


(会えば喧嘩になるんだよな……。私が彼女をつつくせいもあるけれど)


 怒った顔も魅力的なのだからユディルは罪な娘である。もちろん、エヴァイスだけに向けられた笑顔も愛らしくて大好きなのだが。挑むような強い眼差しもまた嫌いではないのだ。むしろ大好きだったりする。要するにユディルの存在自体が愛おしいということだ。


「この中で未だに独身なのはエヴァイスくらいなものだぞ」

「そういえばエーメリッヒ、結婚したんだっけ。おめでとう」


 海外赴任している間に友人たちは所帯持ちになった。大学を卒業して数年、身を固める年でもある。


「ああ、ありがとう」

 友人の一人、エーメリッヒが破顔した。

「相手は公証人の娘だよな」

「幼なじみなんだろう」

 他の友人たちが順番に情報を細くしていく。


「へえ、幼なじみなのか。同い年か?」

 エヴァイスは興味を惹かれた。

「いや、二つ年下だ。腐れ縁ってやつだよ」

 エーメリッヒがこめかみのあたりを軽く搔いた。どうやら照れているようだ。


 エヴァイス以外の男たちはすでに二人の馴れ初めを聞いているため、本人よりも口早に結婚の経緯を述べていく。


 曰く、相手はルーヴェで代々公証人を営む家の三番目の娘であるとか。官僚となり、外務省で働くエーメリッヒの食事の世話を時折してやっていたとか、色々だ。

 どうやらつかず離れずの関係を長年続けていて、周りがエーメリッヒをせっついたらしい。相手の女性は明らかに彼から行動を起こすことを待っているとかなんとか。このままでは適齢期を逃してしまうと、双方の両親からそれとなく発破をかけられ一念発起。


「とはいっても、今更かっこつけることもできないだろう?」


 エーメリッヒがグラスの中身を煽った。

 長年一緒にいた幼なじみにバラの花束を渡したり、気障な台詞など言えるはずもない。そんなこんなで、宙ぶらりんな状態が続いていた時、彼女の方からしびれを切らして助け舟を出してくれたのだという。


「助け舟?」

「ああ。バビロス教会のメダルが欲しいって」

「教会のメダル?」

 なんだそれは。エヴァイスが眉根を寄せた。


「やっぱりエヴァイスは知らないか」

 別の友人が口を挟む。


「ルーヴェの女たちに人気の教会なんだとよ。なんでも、そこの教会で売られているメダルは恋愛に効くらしい」

「恋のお守り代わりに買うらしいぜ。あとは、男からもらうとずっと仲良く過ごせるとか」

「転じて、結婚を決意した男が相手の女をバビロス教会に連れて行って、一緒にメダルを選ぶことが求婚に繋がるらしい」

「まあ、そういうことらしい」


 エーメリッヒが言葉少なく肯定した。彼女はルーヴェの女性たちの間で流行っている恋愛祈願を彼に教え、求婚をうながしたというわけだ。


「ということはおまえはその教会に幼なじみを連れて行ったって、そういうわけか」

「ああ」

 エーメリッヒの顔がほんのりと赤くなった。酒のせいだけはないようだ。


「分かりやすい求婚だよな」

「あそこに連れて行ってメダルを買ってその場で贈れば相手も察してくれるからな」

「その前に一緒にバビロス教会に入ってくれるか、だけどな」

「教会前で振られる男もいるらしいぜ」

「俺の場合はリズの方から提案してくれたからその心配はなかったけどね」

「言うなぁ!」

 友人たちが一斉に笑い出した。


 エヴァイスは初めて知ったが、ルーヴェにそのような教会があったとは。

 その後も男たちは酒を酌み交わし、学生時代の思い出話や現在の仕事の状況など色々な話題を繰り広げた。


* * *


「そうそう、ユディあの話聞いた?」

「なあに?」


 彼女の休憩時間を見計らい、エヴァイスは先回りをしていた。偶然を装って顔を合わせることができることを願っていたのだが、どうやら彼女は同僚と一緒のようだ。


「クレアのことよ。彼女、想いを寄せいた騎士様と今度デートに行くんですって」

「よかったじゃない」

「バビロス教会のメダルの御利益って、喜んでいたわ」

「やっぱりよく効くのね」

「あら、ユディもこっそりメダルを持ち歩いている派?」

「まさか。わたしは、別に……好きな人だっていないし」


 近くで立ち話をしているユディルとその友人。エヴァイスは何かいけないことをしている気になってしまう。しかし、気になるのも事実だ。


(バビロス教会……どこかで聞いたことがあったな)


 エヴァイスは記憶を辿っていく。教会の名前など、そうも話題には上らない。では、どこで耳にしたのだろうと、頭の中から細い糸を辿り寄せるように、最近の出来事を遡って行く。


(ああ、そうだ。エーメリッヒが言っていたんだ)


 あれは昨年の暮れのことだった。ルーヴェに戻ってきたエヴァイスを囲もうという口実のもとで集まった飲みの席でのことだ。


「あら、ルーヴェっ子なら一度は通る道じゃないの?」

「そういうあなたはメダルを持っているわけね」

「まあね。昔憧れてお姉さまと一緒に買いに行ったのよ」


 二人の軽やかな声を聞きながら、エヴァイスはゆっくりとその場から立ち去さったのだった。


(バビロス教会か……。ユディは一緒に教会の門をくぐってくれるかな)


 まだ暖かくなる前の、とある日の彼女たちの会話が頭の中に蘇った。友人が求婚時に訪れた教会は、貴族階級の女性たちの間でも広く知られた存在であるらしい。

 だからエヴァイスは結婚式の前にユディルと出かけて思い出作りをして来なさいと、カシュナ夫人から告げられた時、バビロス教会のメダルの話を思い出した。


 結婚に前向きになったユディルのために誰かよい相手を探している。そうオルドシュカが口にしたとき、一も二もなく己を推薦したエヴァイスである。その後とんとん拍子に話が進み、結婚式は数日後。


 完全に周りのお膳立てによる政略結婚である。典型的な貴族の結婚の様相だが、結婚生活を送るのはお膳立てをされた本人同士。結婚前に二人だけの思い出があるかどうかで結婚生活の良し悪しは変わるもの。


 そうカシュナ夫人に諭され、ほんの数時間だけだがユディルと二人きりの時間を持てることになった。

 バビロス教会のメダルに想いを託せば、自分の拗らせた想いも多少は素直に伝えることができるだろうか。


 もしも、ユディルがエヴァイスと一緒に教会の扉をくぐってくれたなら。

 自分の選んだメダルを受け取ってくれるならば。

 少しは、自分に対して情のようなものを持ってくれていると考えても許されるだろうか。

 少し早く待ち合わせ場所に到着したエヴァイスはじりじりとしながらユディルを待つ。

 果たして彼女は来てくれるのだろうか。


 いつになく緊張しつつユディルの訪れを待っていると、青いドレスに身を包んだ彼女がエヴァイスの前に現れた。

 そのことにホッとしつつ、エヴァイスはユディルに向けて手を差し出した。


*゚。.。・.。゚+。。.。・.。゚+。。.。・.。゚あとがき+。。.。・.。゚+。。.。・.。*゚

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