第55話 ユディルの里帰り
「じゃあ今すぐにベランジェ伯爵に伝えようか。ユディが庭を掘り返しているって」
「だめっ! お父様には内緒よ。いえ、誰にも内緒なの!」
「私にも?」
エヴァイスの声が少しだけ低くなった。
じっと見下ろされ、ユディルは後ずさりしたくなる。
「そ、そうよ。だって、これはエヴァイスには関係のないことだもの」
「やっぱり伯爵に伝えてこようか」
エヴァイスが踵を返そうとするから、ユディルは彼を止める羽目になる。
「わああ! だめよ。お父様には言わないで」
「じゃあ夫には言ってみようか」
そこでその選択肢を突きつけてくるエヴァイスは悪魔か。
「……べつに、大したことじゃないのよ」
とりあえずそう前置いてみる。ここで彼が興味を失ってくれればいいな、と淡い希望を抱いたが、彼はそのまま先を促した。
ユディルは観念することにした。
「……子供の頃、アニエスと宝箱を埋めたのよ。すっかり忘れていたのだけれど、昨日子供部屋を見てて、そのあと庭を歩いていて思い出したの。大きくなったら掘り起こそうねなんて、約束をしたわ」
「なるほど。一人で掘り起こそうとしたわけだ」
「だって、第三者が発見したら、大変だもの」
おもにわたしの心臓が。ユディルは心の中で付け加えた。
「そういうわけだから、あなたもここから先は立ち入り禁止」
「そういうことなら、私が掘り起こすのを手伝うよ」
「今のわたしの話聞いていた?」
ユディルはくわっと目を見開いた。
「もちろん。ユディの大切な宝箱を見つけるんだろう? じゃあ、私が手伝わないと」
「いやいや……。むしろ全力で放っておいてほしいわ」
「力仕事は夫に任せておくものだよ」
エヴァイスは爽やかに言うと、シャベルを手に持ち、土を掘り始めた。
「ちょっと。何が出てくるか分からないんだから放っておいてほしいのよ!」
「むしろ私はきみの子ども時代の思い出を共有したい」
「しなくていいから!」
ユディルが何を言っても、何かに火のついたエヴァイスは止まらなかった。
焦れ焦れした様子でそれを見守っていると、エヴァイスが宝箱を掘り起こしてしまった。
「うわ。本当に出た」
「埋めたのはユディルとゴドルフ夫人だろう?」
びっくりして呻くとエヴァイスがくすりと笑った。
「いや、まあそうなんだけど」
色々と複雑な心境なのだ。察してほしい。
土に埋められていたのは、宝箱というか陶器の物入れだった。子供でも運べるほどの大きさで、大した容量もない。宝箱などそうそうも子供部屋に転がっていないので、手に入れられるもので代用したのだろう。
ユディルはなんとも不思議な気持ちになった。
幼いころの自分と十数年の時を経て対面をする。この妙な心地をどう表現したらいいのだろう。
エヴァイスが物入れについた土を払ってくれた。ユディルは腰を落とし、恐る恐る蓋に腕を伸ばした。
「って、あなたはあっちを向いていて頂戴」
「ユディ、私のことは気にしなくていいから」
エヴァイスは顔を動かそうとはしない。ここで押し問答を続けても不毛なだけだ。こういうときの彼は引いてくれない。結婚をして数か月、察するものがある。
あまり時間をかけているわけにもいかないため、ユディルは覚悟を決めた。
えいっと、蓋を開ける。
中に当時の自分にとっては大切なものが入っていた。
「あ、これ。失くしたと思っていたブローチ。それにりぼんも」
なるほど、ここに仕舞いこんだことをすっかり忘れていた。ユディルは懐かしさに目を細めた。輝石をあしらった伯爵家の娘に相応しい、それなりに値の張るブローチだ。ほかにも可愛らしい絵が描かれた指ぬきなどの裁縫道具も収められている。
その中に、花模様の封筒に目が吸い寄せられた。
ユディルはそれを摘まみ上げ、ひっくり返す。裏には名前が書かれてある。ユディルとアニエス、二人それぞれの名前だ。
ユディルと書かれた封筒を開けてみる。隣にいるエヴァイスのことなど、この時点すっかり忘れていた。
便箋をそっと開き、書かれた文字を追っていく。
「ええと、拝啓未来のわたしへ。うわ、出だしからして可愛い。うわぁぁ。くすぐったい」
ユディルはそう感想を言いつつ、無言で子供時代の自分からの手紙を読んだ。
『未来のわたしへ。あなたは今何をしていますか? もしかして、未来のわたしの隣には旦那様がいますか? 家庭教師もお母様も、お転婆が過ぎると、将来結婚が出来ないなんて脅かしてきます。それとこれとは関係ないのに!
ちなみに未来のわたしの旦那様はどのような人ですか? わたしは金髪にきれいな空色の瞳の王子様のような人がいいなあ、と思います。そのような人を捕まえることはできましたか?』
「いやぁぁぁぁ」
ユディルは悶絶した。読み進めるうちに顔から火が吹いてしまいそうだった。
(小さいころのわたし、ませすぎでしょう! え、ちょっと何が旦那様よ)
無邪気な子供の書く手紙は微笑ましい、という感想は自分とはまったくかかわりがないから言える感想だ。
これを書いたのが自分だと思うと今すぐに無意味に辺りを駆けだしたくなる。
「ユディはちゃんと金髪の男を夫に選んだから安心していいよ」
「きゃぁぁぁ!」
ユディルは隣から聞こえてきた声に、条件反射で叫んだ。
そういえばこの男が隣にいたのだった。
なぜかものすごく上機嫌な声である。
「ユディの好みは金髪に青い目の男性だったんね」
エヴァイスはほくほくした顔でユディルの手の内から手紙を取り上げた。
「あ。ちょっと、返して」
ユディルは恥ずかしさを爆発させてぴょんぴょん飛び跳ねた。エヴァイスがさっと、手紙を持つ腕を上に上げたからだ。長身の彼である。飛んでも跳ねても手紙を取り戻せない。
「だめ。これは昔のきみからの、私への恋文だろう?」
「なっ。ちょっ、えぇっ⁉」
「そっか。ユディは私のような男性と結婚がしたかったんだね」
エヴァイスは一人で納得をして、それから片腕でユディルを引き寄せた。
「なっ! だから、それは」
一方のユディルは恥ずかしさの限界値に達しそうで、今にも噴火寸前だった。
まさか、手紙にあんなことが書かれているとは思わなかった。大体、子供の言うことなんて、一日でひっくり返ることのほうが多い。ユディルだって、あのときはきっと何かの物語に流されただけだ。
そうに違いない。きっとアニエスと一緒に金髪碧眼の王子様が登場する絵本でも読んだのだ。だから、他意はない。そう、他意は。
それなのに、エヴァイスがとっても嬉しそうにしているから、これ以上否定するのも憚られて。
「ユディ、愛している」
耳元で囁かれて、こめかみに口付けをされて。
こんな風に愛情表現をされたら、ここは引き下がるしかないではないか。
それに、今となってはエヴァイスはかけがえのない相手でもある。
この人が喜んでいるのなら、まあいいか。恥ずかしいけれど。そんな風に思って、ユディルは夫の腕の中で大人しくなった。
しかし、それも次の瞬間には爆発した。
「これは私が後生大事に、そうだな、額にでも入れて書斎の一番目立つところに飾ることにするよ」
「やめて!」
ユディルは全力で叫んだ。
「どうして?」
「それはこっちの台詞よ。絶対に、絶対に、絶対にだめぇぇぇ!」
ユディル渾身の叫び声がベランジェ伯爵家の庭にこだました。
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