番外編

第42話 フラれた彼は拗らせている 前編

 人は耐え難い衝撃を受けると、逃避をする。

 趣味であったり、酒であったり、女であったり。

 エヴァイスにとってそれは仕事だった。そして、彼は失恋相手から物理的に距離をとることを選んだ。可愛い可愛い想い人の顔を見ることはできなくなるが、その可愛い幼なじみがエヴァイスから逃げたのだ。髪を切ってまで。


 貴族の結婚は義務のようなもので、エヴァイスは、ユディルが自分との結婚を、口ではなんだかんだと言いながらも受け入れてくれると信じていた。

 エヴァイスにとってユディルにちょっかいをかけるのは、可愛い子犬がきゃんきゃん吠えてくるのを見るのが愛しくてたまらないという愛情表現の一種だった。


 ユディルにしてみればそんな愛情要らないと言われるかもしれないけれど、己だけをまっすぐに見つめて吠え返してくるところがたまらなく可愛らしいし愛おしい。

 それにいつも怒らせているわけではない。元気のないときや落ち込んでいるときに怒らせるのは控えていた。本気で嫌われたくないからだ。

 ユディルはエヴァイスに対してたまには笑顔を見せてくれていたわけで、彼としては彼女の従兄のルドルフよりは嫌われていないと自負していた。


 ユディルにしてみたら甚だ迷惑な想いのぶつけられ方をしていたのだが、エヴァイスはユディルのすべてが愛おしく可愛く思っている。それがたとえ、彼に対する怒りの顔であっても。もちろん、結婚をして晴れて自分だけのものになった暁にはどろどろに甘やかして愛でて四六時中いちゃいちゃするつもりだった。叶わない夢と化したのだが。


 ユディルに振られて、とりあえず仕事に逃避をしてちょうどタイミングよく外国への駐在の話に乗っかり、やってきた異国の地でそろそろ丸二年が経過をする頃合い。

 エヴァイスは貴族の家の嫡男として生を受け、義務のように政治家を志した。領地経営のみ行う貴族も少なからずいるのだが、公爵家は代々多くの政治家を輩出してきた。


 エヴァイスもリーヒベルク家に生を受け公爵家の嫡男たれと教育を施され、王家のためにその力を発揮することについて何の疑問も持たなかった。大学を卒業し、父に連れまわされ社交をこなし、政治家としての第一歩を踏み出した。外交方面に注力をしたのは、語学が堪能だったのと、向いていたから。そして現在異国の地に流れ着き、失恋を盛大に拗らせている。


「エヴァイス様。フラデニアから手紙と新聞が届きました」


 フラデニアから連れてきた秘書兼従者のオレールがいささか古いフラデニアの新聞を卓子の上に置いた。外国暮らしということもあり、祖国からの情報伝達には時間差がある。数日前の新聞と手紙が置かれ、エヴァイスは暇つぶしも兼ねて新聞を手に取った。

 せっかくの外国駐在という身分を生かし、異国で羽目を外す輩も少なくはないのだが、エヴァイスは火遊びとは無縁の清廉な日々を過ごしてきた。


「おまえも今日は好きに過ごしていいよ」


 何か入用があれば屋敷の召使で事足りる。今日はとくに予定も入っておらず、オレールがいなくても問題はない。

 居間でいささか自堕落に長椅子から足をはみ出しながらエヴァイスは新聞のページをめくっていく。


 オレールは出来る秘書だ。エヴァイスの意をくみ取り、あらかじめ新聞からは社交欄のページだけ抜かれていた。これはエヴァイスがこの国に駐在を始めてからの決まり事でもある。社交欄には上流階級の家の動向が掲載される。ということは、エヴァイスがしつこく想いを寄せているユディルの結婚ももれなく掲載されるというわけで。


 己の心の平安のために、エヴァイスは社交欄から目を背け続ける生活を続けている。

 祖国の出来事を新聞で後追いした後、エヴァイスは手紙に目を通していく。あらかじめオレールが開封し、選別済みのためエヴァイスの手元に届くのは彼にとって必要な情報のみである。


(珍しいな。父上からだ)


 国を出て父とは年に数度しか連絡を取り合っていない。男同士というものはそれくらい淡白だ。エヴァイスは地力の手紙に目を走らせていって、それから渋面を作った。

 リーヒベルク公爵からの手紙には、一人息子への帰国を促す旨がしたためられていた。エヴァイスは一応公爵家の跡取りで、一人息子だ。リーヒベルク家公爵は現在六十近い年齢で、政治の一線からは退き、相談役として時折ルーヴェ・ハウデ宮殿へ赴く生活を送っている。


(そろそろ身を固めろ……か)


 分かってはいたが、なんていうか心が重くなる。

 貴族の結婚に個人の感情は不要だ。必要なのは家格が釣り合うかとか政治的に対立をしていないかとか、この家と縁を結べば何かしらの利益があるとか、そういった類のもの。

 一応スペアはいるが、従弟は貴族の跡取りとしての教育を施されていない。エヴァイスに万が一のことがあればリーヒベルク家は少なからず慌ただしいことになるだろう。身もふたもない言い方をすればエヴァイスに種馬になれということだ。


(情緒もなにもないな……)


 ふう、とため息を吐いてエヴァイスは父からの手紙を放り出す。

 行儀悪く長椅子に寝転がり、目を閉じると浮かぶのは可愛い可愛い遠縁の少女の姿。明るい色の髪の毛をまっすぐに伸ばし、素直で元気にエヴァイスに挑んでくる愛らしいユディル。


 ついに覚悟を決めなければならない時が来たというわけだ。

 帰国をしたらエヴァイスは父だか他の親族の紹介で見合いをし、妻とするのだろう。

 その相手はユディルではない。

 今も恋しく思っている可愛い彼女ではなく、他の誰かなのだ。


 あのときから二年近くが経過をしているのだ。ユディルだってさすがに結婚をしているか婚約者がいるだろう。ベランジェ伯爵家は歴史のある由緒正しい家柄だ。

 知らずにため息が漏れ、エヴァイスはふて寝を決めこむ。


 帰国をして人妻になったユディルに会う覚悟など、そう簡単に出来るはずもない。もうあと二、三年は外国に逃避をしていたかったが、それも許されないらしい。

 エヴァイスはその日一日うじうじと過ごし、気分が盛り上がらないまま数日が経過をした。


 手紙の返事を書かなければ。けれどまだ書く気が起きないと恋文をしたためたいのにうじうじと悩む思春期の少女並みに動けずにいると再び父から手紙が届いた。


 開けてみると、手紙には『ちなみにユディル・ディラ・ベランジェ伯爵令嬢は現在もまだ独身で決まったお相手もいないみたいだよ。頑張れ☆』と簡潔な一文が書いてあった。


 エヴァイスは父の遊び心というかいじわるな時間差攻撃に地団太を踏みたくなった。父はこうやって日々息子をからかうのだ。遊び心があるとは本人の談だが、ちくしょうと思った。この数日間のじめじめした心の内を返してほしい。

 父からの手紙をびりりと破らなかったことを褒めてほしい。


 父へのイラっとした感情が収まると、エヴァイスは頬がにやけるのを止めることが出来なくなった。

リーヒベルク公爵は前回の手紙で、エヴァイスの帰国に向けて根回しを済ませたと書いて寄越してきた。大事な公爵家の跡取りをいつまでも外国にやっておく気はないという公爵の意思の表れでもあった。


 遠からずエヴァイスは帰国をすることになる。

 それからは。

 結婚をするならユディル以外に考えられない。女々しいと言われても仕方がない。エヴァイスはユディルがいいのだ。彼女を自分のものにしたい。怒った顔も笑った顔もどちらも大好きなのだから。




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