第41話 妻が帰ってきました(しばらくどこにもやりません)

 長い一日を終えたユディルが女官用の部屋に戻ると共用の居間にココベラがいた。

「本日のあれはわたくしに貸しをつくったつもりですの?」


 まだ喧嘩腰のココベラにユディルは内心ため息をついた。まったく、こういうことを言うためにユディルのことを待っていたというのか。固い声でユディルに突っかかるココベラに、彼女の同期の令嬢二人が「では、わたくしはこれで失礼しますわ」と言い、そそくさと席を立った。居間にはココベラとユディルが二人きり。ユディルに対してココベラはまだわだかまりがあるのだろう。


「わたくしの失敗を陰で笑って、さぞ愉快でしょうね」


 ココベラは尚もユディルに突っかかってくる。ユディルのことを嫌っていたのに、自分の失敗をその本人に庇われて誇りがズタボロになったのだと想像に難くない。それでもユディルとしても言っておかなければならないことがある。ユディルは息を吸い込んだ。


「失敗は誰にだってあるわ。だからわたしは失敗を笑うことはしない」

 自分だって新米の頃は失敗の連続だった。今だってたくさんの人に助けてもらいながら頑張っている。

「な、なにを偉そうに……」

「けれど、オルドシュカ様に仕える女官なのなら、自分の仕事に責任を持ちなさい。同じ失敗は二度と繰り返さない。そのためにどうすればいいのかきちんと自分の頭で考えること。これが一番大切よ」


「男を漁るために皇太子妃付きの女官になったくせに偉そうに」

 言うことを言ってやるとココベラが悔しそうに歯ぎしりをした。

「それは、ご自分がそういう意図で宮殿へやってきたから?」

「なっ……」

 ココベラの顔が朱に染まった。


 ユディルだって最初の動機はしょうもないものだった。結婚から逃げるために女官になった。けれども女官という仕事には責任が付きまとう。女官の失敗は主であるオルドシュカの顔に泥を塗ることになるのだ。生半可な気持ちで女官は務まらない。新人だったユディルだって何度も失敗をして、そのたびに先輩たちから怒られた。働くことの大変さをこの宮殿で学んでいった。そして同時にやりがいも得ていった。大切で宝物のような時間でもあった。


「それにね、わたしはあなたを助けるために男装をしたのではない。オルドシュカ様のためにしたこと。それだけよ」


 ユディルはにこりと笑った。

 自分の仕える相手はオルドシュカだから。彼女のためにできることをしたまでだ。それを誇りに思いながら、ユディルの同僚たちは働いている。


「な、によ……偉そうに……」


 ココベラの最後の強がりは、けれども覇気のないつぶやきのようなものだった。

 ユディルはこれ以上ココベラの相手をすることを放棄して「あなたも早く寝なさい」と言って自分の寝室へと入った。本番はこれからなのだから。


 寝室には手紙を届けられていて、差出人はやっぱりエヴァイスでユディルは頬をほころばせた。封を開けて中身にざっと目を通したユディルはその場に崩れ落ちた。


「ってどうしてエヴァイスが今日の男装を知っているのよ……」


 いったいどういう情報網なんだこれは、と突っ込みたい。

 手紙には『可愛いユディの男装を是非とも見たい。騎士装束を脱がせるっていうのも倒錯的で燃え上がるかもしれないね(一部抜粋)』と書いてあって、いや絶対に駄目だと心に誓った。





 屋敷に届けられた手紙に目を通したエヴァイスは少しだけ悔しい気持ちになった。

 本日届いた手紙の送り主の名はアルフィオ。エヴァイスの義兄は手紙の中で妻が身籠ったことを知らせてきた。文面は全面的に幸せに満ち溢れ、気の早いことに彼は男と女両方の名前候補をそれぞれ十は用意し、どれがいいかなあとエヴァイスに意見を求めてきた。


 エヴァイスとしてはそんなもん知るか、そちらで勝手に決めろという心境だ。

 まったく、人の気も知れないでのろけを聞かされるこちらの身にもなってほしい。


 しかし義兄の知らせは喜ばしい。ベランジェ伯爵家の後継問題がどうなるかはまだ分からないが、切り札というものはここぞというときに明かすのが最も効果的だ。子供が無事に生まれたらアルフィオの意向も踏まえつつベランジェ伯爵に明かすことになるだろう。


 十月も中旬に入り、ルーヴェは元の静けさに戻りつつある。

 フラデニア国王の即位三十五周年記念式典は無事に終わり、招待客たちもそれぞれ帰国の途についた。諸事情で残っている賓客もいるのだが、公式行事もすべて終わった今、宮殿はどこか物悲しい。


 皆が一つの行事に向かって歩んできたのだ。エヴァイスもまた外交に携わる政務官として隣国との交渉の場に付いた。事前の打ち合わせや資料の読み込み、執務官とのやり取りで休みらしい休みを取ることもなく駆け抜けてきた。


 エヴァイスの妻ユディルもこの期間だけは女官復帰して宮殿の奥のオルドシュカ付きの女官部屋で寝起きをしていた。

 広い寝台で一人きりで眠ることは苦行以外のなにものでもなかったが、ユディルが溌溂と仕事をしているのを見るのもエヴァイスは好きだ。ずっと頑張って働いていたことを知っているため、期間限定の別居に耐えることにした。


「けれど、さすがにこれ以上は駄目だよ。ユディ」

 エヴァイスは宮殿へ馬車を走らせる道中独り言ちた。


 式典が終わっても一向に帰ってこないユディルにそろそろ自分は発狂してしまいそうだ。なんでも東の隣国から遣わされた王太子の一行にけが人が出たということでよりにもよってユディルが世話役として駆り出されてしまったのだ。男のけが人ならそのへんの通りすがりの男にでも任せておけと知らせに来た女官相手に怒鳴りそうになったのだが、表ざたにできない理由があるそうで世話をする相手は女性だという。


 こういう不測の事態が発生するのも多くの賓客を招いて行われる式典特有のことでもあろう。

 宮殿にたどり着きエヴァイスは待ちきれないとばかりに馬車から飛び降り、ユディルの元に急いだ。ようやく今日彼女がエヴァイスの元に帰ってくる。自然と足早になるのも仕方がないというものだろう。


 王太子妃の居住区近くの小さな部屋に通されたエヴァイスの元にオルドシュカがやってきた。

「長い間ユディルを貸してくれてありがとう。とても助かったわ」


 短い時間ではあるが王太子妃自らがエヴァイスの元に顔を見せるのは破格の待遇であると言える。彼女は王族として公務で忙しくしている。それだけユディルのことを可愛がっている証でもあるし、彼女の後押しもありユディルを手に入れることができたエヴァイスにとっては恩人でもある。


「妻も妃殿下のお役に立てたことをとても喜んでおりましょう」


 エヴァイスの言葉にオルドシュカがほんのりと口元を緩めた。しかしこれ以上は駄目だと笑顔に力を込めておく。狭量だなんだと言われてもエヴァイスはユディルのことが大好きで、出来ることならずっと屋敷の奥の奥に彼女を閉じ込めておきたい。


 オルドシュカと短い雑談を交わし、最後に妃殿下は瞳をきらりと光らせた。

「そうそう、わたくしユディルに贈り物をあげたのよ。式典の後まで引き留めてしまったお礼ね。ふふふ、夫婦で楽しんで頂戴な」


 そう言って退出をしたオルドシュカと入れ替わるようにユディルが部屋へと入ってきたからエヴァイスは素早く立ち上がり久しぶりの再会に彼女を腕の中にかき抱いた。


「おかえり、ユディ」


 腕の中に閉じ込めればようやくユディルが戻ってきたという実感がわいた。このまま横抱きにして早く屋敷へと連れて帰ってしまおうなどと考えているとユディルも珍しくエヴァイスの背中に腕を回して、小さな声で「ただいま」と囁いた。


 可愛すぎる仕草にエヴァイスはここが宮殿の一室だということも忘れてユディルの唇に覆いかぶさった。柔らかな妻の感触に理性が焼ききれ、一心不乱にむさぼった。式典の最中は碌に会うこともできずに、またその後も女官として隣国の貴人の世話役に勤しんでいたユディルをやっと手の中に取り戻した。

 十分にユディルの唇を味わい尽くして離すと、彼女の潤んだ瞳に再び理性が吹っ飛びそうになる。


「帰ろうか、屋敷へ」

 耳元へと届けた言葉にユディルがこくりと頷いた。

「そういえば妃殿下から今度は何を頂いたの?」

 純粋に問うとユディルの肩がびくりと動いた。それからしばらく固まったのち。


「ぜ、絶対に使わない!」

「ええと。何を?」

「エヴァイスは何も聞いたら駄目!」


 なぜだか顔を赤くしたユディルは繰り返し首を横に振るばかり。



 実はオルドシュカから贈られたのは、夫婦の夜のお楽しみに一役買うという謂れの媚薬で。ユディルが隠していたそれをエヴァイスが見つけてしまうのだが、それはまた別の話。


☆--☆☆--あとがき☆☆--☆

本編完結です。


フェアリーキスさまより書籍化決定です

(R18版となります)

発売日等は追ってお知らせします。


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