第15話 エヴァイスの執着と執愛
「ユディ、捕まえた」
夜、寝室に二人きり。
エヴァイスはユディルをさっと抱きかかえ長椅子の上に座った。
膝の上に横抱きになったユディルはしかめ面をして「離して」と抗議をしてくる。エヴァイスは離すものかという意思表示の意味も含めてユディルの額に口づけを落とした。
「ひゃっ」
小さな悲鳴と共にユディルが固まる。その頬が熟れたさくらんぼのように染まる。
「エヴァイス、何度も言っているけれどわたしは小さな子供じゃないのよ。どうしていつも膝の上に乗せようとするのよ」
「子供ではないけれど、ユディは私の妻だよ。」
「こんなこと普通しないわよっ!」
「ふうん、きみは他の夫婦に聞いたことがあるの?」
余裕をもって、ゆっくりとした口調で問いかけるとユディルは二の句を継げなくなり口をぱくぱくと開けたり閉じたりした。
「大人しく私の腕の中にいて、ユディ」
それでも納得できかねるユディルは頬を赤く染めて、こちらを睨みつけてくる。そういう態度の妻が可愛くて仕方がないエヴァイスはにこにこと微笑んだ。昔から彼女はエヴァイスに媚びることが無い。エヴァイスがこれまで出会った女性たちは皆彼が公爵家の跡取りだと知ると、途端に甘い声を出してきたり物欲しそうな視線を寄越してきた。貴族階級の娘たちは分かりやすくエヴァイスに対して媚びて見せる。
けれどもユディルはエヴァイスと対等に渡り合おうとする。
初対面の時は散々だった。まさか、歩いていたら上からスープが降ってくると思わなかった。にんじん嫌いだという彼女は、きらいなにんじんを食べたくないためこっそりスープを窓から捨てたのだ。運悪くそこにエヴァイスが通りかかった。エヴァイスはにんじんが好きな方だったし、どうしてそこまで毛嫌いするのか分からなかった。だからつい軽い気持ちで言ってしまった。髪の毛と同じ色をしているんだから好きになったらどうだ、というようなことを。すると彼女の態度が豹変した。突然に怒り狂ってエヴァイスの足を蹴ってきた。あのときはなんてじゃじゃ馬な娘だと思った。最悪の初対面だったのはお互い様のようで、その後ユディルはエヴァイスに会うたびにべぇっと舌を出してきた。
エヴァイスとしても可愛くない女だと思っていたはずなのに、会うたびに全身で自分に対する怒りをあらわにしてくるユディルのことをいつの間にか目で追うようになっていた。彼女はエヴァイスが何者であっても態度を変えることが無い。エヴァイスにとってそれがとても新鮮なことだったからだ。
笑う顔も可愛いのだが、自分に対してめらめらと怒りを燃やす彼女の瞳も可愛くて、また彼女を独り占めしているような感覚もあって、ついからかうような言葉を吐いてしまうようになった。あとは焼きもちも入っている。彼女には男の従兄がいて、そいつに対しても同じように一生懸命反抗をしているからだ。エヴァイスは控えめに称してもダングベール子爵家の息子たちが好きではない。
「今日は外出をしていたんだってね。買い物かな。それとも誰かと会っていた?」
エヴァイスはユディルの髪の毛をくるくると指で回しながら尋ねた。最近の日課だ。いい加減エヴァイスの膝の上に慣れてもいいのにユディルはまだ身を固くしている。エヴァイスは妻の緊張をほぐすために髪の毛に指を入れ優しく梳いて、口づけを落としていく。
ユディルのやわらかな白い肌に触れることのできる男は世界中でただ一人、エヴァイスだけ。そのことに喜びを覚える。
「……アニエス」
エヴァイスはユディルのうなじにそっと触れた。
「ひゃんっ……」
ユディルの髪の毛は肩のラインで切りそろえられている。そのためこういうことも簡単に行える。ここに印をつけたいが誰かに見られてしまうとなるとやめておいた方がいいか、とエヴァイスは名残惜しくなりながらうなじを何度も触った。そのたびにユディルは膝の上で体を揺らしている。声を出したいのを我慢しているのだ。
もっと啼かせたくてエヴァイスはユディルの耳を口に含む。
「きゃっ……」
ようやく欲しい反応が得られてエヴァイスは腕の中に閉じ込めた可愛い妻の反応を堪能する。耳たぶを舐めると分かりやすく肩を揺らし、吐息を吹きかけると背中をびくりと反らせる。
しばらく彼女の耳で遊んでいると、ユディルの体から力が抜けていくのを感じた。
「昔から仲がよかったね。確か、リーヒベルク公爵家の領地にも一緒に招いたことがあったっけ」
「……そんなことも、あったわね」
エヴァイスが夏の休暇にリーヒベルク公爵家の領地へベランジェ伯爵家を招いたら、ユディルから「アニエスのところに行くからわたしはいかない」なんてつれない返事が来たからだ。あれはユディルが社交デビューをする年のことだった。十七の年の夏のことで、エヴァイスはアニエスの実家である男爵家へ招待状を送った。少しでもユディルを独占したくて昔から涙ぐましい努力をしていた。
エヴァイスはユディルの唇を優しくふさいだ。柔らかな唇の感触をじっくりと堪能するように何度もついばむ。いまこうして彼女はエヴァイスの腕の中にいてくれる。そのことを考えると否が応でも胸が高鳴ってしまい、エヴァイスはしつこいほどにユディルの唇をむさぼった。
名残惜しく、ユディルの唇から離れる。
ユディルはくたりと力を抜かし、エヴァイスの胸へ体を預けてきた。その顔は耳までさくらんぼのように赤く染まっている。
ユディルは新鮮な空気を求めて何度も呼吸を繰り返している。エヴァイスはぎゅっと妻の体を抱きしめた。
いま、この場にこうしてユディルがいる。そのことがエヴァイスの胸に充足感を与えている。
一度目にユディルに逃げられたのは、あれは彼女が社交デビューをした年のことだった。
会うたびに口喧嘩をする仲になっていたユディルだったが、年を重ねるごとに美しく成長していった。太陽の日に照らされるときらきらと輝く髪の毛もきれいだと思ったし、溌溂とした彼女の表情も見ていて飽きない。
最初に出会った年から数年が経つ頃には自分にも時折笑顔を見せてくれるようにはなっていたけれど、それでもまだ意地を張っていることの方が多かった。
彼女の側に居ることができたら楽しいだろうな、と自然と考えるようになっていたエヴァイスは父の了承を取り、ベランジェ伯爵家へ正式に婚姻の打診をした。夏の休暇の最中のことだった。
その結果、彼女は宮殿へ逃げ、そのまま女官として働き始めた。髪の毛を切ってまで、ユディルは結婚することを拒絶したのだ。彼女に逃げられたとき。あのときのエヴァイスは崖から墜落したような心地になった。いつもからかってばかりだったけれど、嫌われてはいないと思っていた。互いに知った仲なのだし、貴族の結婚というのは家と家同士の繋がり。ユディルはいつもの意地を張りながらも、あなたで我慢してあげるわよとか言いつつ結婚を承諾してくれるものだと思っていた。
ユディルは思いのほか女官という仕事に馴染み、王太子妃付きとして選ばれ宮殿内を闊歩するようになった。自分を拒絶したのに、と恨みがましい視線を投げてしまうことも、彼女と顔を合わせるのも辛くてエヴァイスは彼女と距離を置くことを選んだ。経験を積むなどと嘯き外国へ旅立ち丸二年となる手前に、公爵家の跡取りがいつまでも外国に居るなと父からの手紙がきた。
父の手紙を読んだエヴァイスは一度帰国することを選んだ。
「ユディ、きみは私のものだよ。ようやく手に入れたんだ。絶対に離さない」
帰国をしたエヴァイスにリーヒベルク公爵は言った。さっさと結婚相手を見つけろ。そんなにも彼女がいいのなら、当たって砕けろと。幸いにもユディルはまだ独身だった。貴族階級の男たちはユディルを敬遠していた。縁談を厭い女官となった彼女は楽しそうに働き、そういう過去を持つユディルに正面から求婚しようとする猛者はいなかったらしい。ベランジェ伯爵は当然娘に縁談を、と望んでいたが手を焼いているようでもあった。ユディルに関する噂を集めると彼女は献身的に王太子妃オルドシュカに仕え、結婚はしなくても別にいいなどと公言しているとのことだった。
エヴァイスが帰国をした当時王太子妃は身籠っている最中だった。エヴァイスはユディルへの気持ちを拗らせていた。
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