第14話 夫の妻操作術

 会合を終え帰宅をしたエヴァイスはまず最初に妻の居所を確認した。彼女はエヴァイスの顔を見るなりぷんすかと怒った。


「もう。なんだってこんなにもたくさんのドレスを発注するのよ」


 腰に手を当て、信じられないと怒っている。エヴァイスは妻が屋敷にいたことに安心した。なにしろ彼女は初夜に驚いて宮殿へ逃げてしまった前科を持つ。いや、その前にも一度エヴァイスの元から逃げた。あのときも彼女は宮殿へ逃げ込んだ。エヴァイスにとって宮殿とは苦い思い出を持つ場所でもある。


「どうしてって、社交の季節が始まったからだよ」

「それにしたって夜会用のドレスが一度に十着も届くとか……正気の沙汰じゃないわ」

 ユディルは首を横に振った。どうやら呆れかえっている模様だ。


「明日は領地からリーヒベルク公爵家に伝わる宝飾品が届く予定だよ。せっかくだから今風の意匠に変えようかと思って。伝統も大切だけれど、さすがに何十年も前に作られたものだとやぼったいからね」


 エヴァイスにとっては今がまさにこの世の春だ。

 ようやくユディルを自分だけのものにできて、毎日頬が緩みっぱなし。外でも気を抜くとついにやけてしまうのを必死に隠している。


「それはわかったけれど。それにしたってドレスは―」


 エヴァイスはユディルにさっと近づき、唇を塞いだ。自分のそれで塞ぐとユディルは抗議だと言わんばかりにエヴァイスの背中をばしばしと叩いた。しれっと無視をして彼女を腕の中に閉じ込める。


 小型犬がきゃんきゃんと鳴いているようでほんとうに可愛い。柔らかな唇を何度もついばむと彼女の唇がほどけていく。その隙を逃さずエヴァイスは彼女の口の中に押し入る。舌を絡ませると彼女がびくりとして逃げ腰になる。駄目だよ、と宥めながらエヴァイスは彼女を捉えて離さない。ユディルの呼吸ごと奪うように角度を変え、何度も何度も彼女の中をむさぼる。


 息継ぎをさせる間もなく何度も唇を重ねていると腕の中の妻から徐々に力が抜けていく。夕食もまだなのに、すでにエヴァイスの体は目の前の妻を欲している。今すぐに最後までがっつきたくなったが、さすがに今は駄目だろう。あんまりがつがつしては彼女がまた逃げてしまう。とはいえ、本格的な夏の休暇が始まれば容赦はしないけれど。


 唇を離すと、ユディルはエヴァイスに体を預け浅い呼吸を繰り返す。

「あ、あなたね……」


 呼吸の合間に抗議の声を上げることも忘れない。彼女の薄い茶色の瞳がしっかりとエヴァイスに向けられている。この瞳がいつからかとても愛おしいものに変わって、エヴァイスはつい彼女のことをからかってしまう。反撃してくるユディルがまっすぐにエヴァイスだけを見つめてくれるから。力強い彼女の瞳の中に自分だけが映っていることの至福感といったら。


 エヴァイスはユディルの唇に指を添わせる。ユディルの肩がぴくりと動いた。


「今夜はこのまま、寝台に行ってしまおうか」


 耳元で囁けばユディルは「ひゃぁ……」と小さく悲鳴を上げた。この数日で分かったことだが、彼女は耳元が弱いらしい。調子に乗って耳を甘く食むと「馬鹿エヴァイス」と返ってきた。

 この反抗的な態度が可愛すぎてつい深入りしてしまうのだ。


「それより……も、ドレスよ。こんなにもたくさん……贅沢だわ」


 ユディルはエヴァイスに主導権を握らせないために当初の抗議の内容に戻ることにした。

 エヴァイスとしては気を利かせたつもりだったのだが、彼女はお気に召さなかったらしい。


「今年はユディも外出の機会が増えるだろう? 揃えておいて損はないと思うけれど」


 今後はリーヒベルク夫妻として呼ばれる頻度も増える。現にエヴァイスの元にはすでにいくつもの夜会や催し物の招待状が舞い込んでいる。政治の仕事もあるため遊び耽るわけにはいかないが、仕事で関係のあるものには出席しておきたい。


「そうだけど……」

「私としては喜んでほしかったんだけど。あんまり好きじゃない意匠だった?」

「……今年の流行をきちんと押さえているあたり、エヴァイスの卒の無さに腹が立ったわ」


 面白くなさそうにユディルが口を開いた。ということは気に入ったということらしい。こういうところが意地っ張りなのだ。けれども可愛いところでもある。本音を言えば素直に喜んでほしいのだが。


「どれが一番気に入った?」


 背中に手を添えて彼女を促す。ユディルを驚かそうと思い、ドレスが届くことは彼女には内緒にしていた。

 侍女が真新しいドレスをいくつも運んでくる。それを彼女の前にあてがう。ユディルは「わたしは着せ替え人形じゃないのよ」と言いつつ、次々変えられるドレスを前にまんざらでもなさそうに時折瞳の中に嬉しさをにじませる。嬉しいのは嬉しいのだが、十着は多すぎるということらしい。彼女を手に入れられた喜びを表現した結果がこれなので仕方がない。エヴァイスは美しく着飾った妻をフラデニア中に自慢して回りたいくらいなのだから。


「うん。どれもきみにぴったりだね」

 エヴァイスは満足そうに頷いた。彼女は赤毛を気にしているが、顔つきが大人びているため濃い色のドレスがよく似合う。

「このドレスの青色は新しい技術で染められた新色だって仕立て屋が言っていたよ。少し紫がかったきれいな色だろう? 王宮舞踏会はこのドレスにしようか」


「そうね……。まあこれならたしかに……色も落ち着いているし」

「きみのドレスが決まったのなら、それに合わせて私もクラヴァットの色やカフスボタンをきめるよ。きみとおそろいにしようか」

「え、おそろい?」


 ユディルが驚いた声を出す。夫婦なのだからそれらしいことがしたいエヴァイスは彼女の瞳の色と同じピンを作ろうか、それともカフスにしようか考える。どちらも作ってしまおうか。


「私たちは夫婦になったんだよ?」

「そ、そうだけど……」

 彼女の手をそっと握るとユディルの頬が瞬時に赤くなる。エヴァイスから視線を外して、何かに耐えるように目をつむっている。


「王宮舞踏会は私たちの結婚を周知するいい機会だろう? それに、きみも今年は壁の花から脱却できるね」

「別に今年も壁の花で構わないもの」

 さきほどまで真っ赤になっていたユディルはつん、と横を向いた。くるくるとよく変わる表情だ。彼女らしい回答にエヴァイスはつい反応してしまう。


「ああもしかして、毎年壁の花に徹していたおかげでダンスを忘れてしまった?」

「失礼ね!」

「じゃあ私とも踊ってくれるね」

「もちろんよ! せいぜい尻尾を巻いて逃げないことね!」


 ということはユディルはエヴァイスとダンスを踊ってくれるらしい。素直に誘うよりも断然に効果がありエヴァイスは内心ほくそ笑んだ。しかしダンスが王宮舞踏会までお預けというのもつまらない。やはり一度くらいは教師を手配して予行演習も必要だろう。せっかく夫婦になったのだから思う存分いちゃつきたい。


「私は昨年帰国をして、本格的な社交期をフラデニアで迎えるのは久しぶりだからね。一応教師を手配する予定だけれど。きみはどうする?」

「わたしは必要ないわ。ダンスは昔から得意だったもの」

 その分刺繍と詩の暗記は苦手だということをエヴァイスはきちんと知っている。彼女は体を動かすことの方が性に合っているのだ。


「今さらダンス教師に駄目だしされたら恥ずかしいだろうしね」

「失礼ね。今だってしっかり褒められるに決まっているでしょう」

「本当に?」

 エヴァイスはわざと念を押す。

「もちろん」

「じゃあ私と勝負しようか。どちらがダンス教師から褒められるか」

「望むところよ」


 エヴァイスの挑発にすぐに乗ってくるところが可愛らしい。ここまで簡単に乗せられて、よく宮殿などというある意味魔窟で女官が務まっていたものだな、と感心してしまうが素直に口にすると向こう三日は口を利いてくれなくなりそうなので言わないでおく。そのかわり別のことを言う。


「今年、ダンスの最中何回きみが私の足を踏むか数えておくよ」

「失礼ね。何回あなたとダンスを踊ってもステップを間違えて足を踏むなんてことは絶対に無いんだから。せいぜい社交期が終わった後に悔しがればいいんだわ」

「へえ、じゃあいくつか夜会の招待状を貰っているけれど……私と出席する気はあるんだ?」

「当たり前だわ」


 望み通りの答えを得られたエヴァイスはほくほく顔で衣裳部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る