第51話 夫は妻と男装プレイをお望みです3
「可愛い秘書さんを膝の上に乗せて、私も公爵家の跡取りらしく仕事でもしてみようか」
「完全に遊んでいるでしょう」
ジト目で見あげると、口付けが返ってきた。
「そんなことないよ。さあ、仕事をしようか」
エヴァイスは机の上に腕を伸ばした。
文箱にはエヴァイスの正式な秘書官であるオレールによって仕分けられた手紙が入れられている。
エヴァイスが手紙を手に取る。必然的にユディルも中身が目に飛び込んできてしまう。
さすがにそれはまずいと思い夫の膝の上から降りようとすると存外にたくましい彼の腕がユディルの行動を阻止する。
「この態勢だと仕事しづらいと思うのだけれど」
「そう?」
気を使うユディルにエヴァイスはどこ吹く風だ。
「それにわたしにも手紙の内容が見えちゃうし」
「夫婦なんだし、別に見られて困るような手紙なんてないよ」
「お仕事の手紙とか。ほら、あなた政治家なのだし機密情報とか書かれてあるんじゃないの?」
「そういう手紙は宮殿の私の机の上に置いてあるよ。ここにあるのはリーヒベルク家あてのものばかりだね。きみももうリーヒベルク公爵家の一員なのだから、見てもいいんだよ」
それとも、とエヴァイスの声が少しだけ低くなる。
「まだ、私のものになったという実感が湧かない?」
「そ、んなことないわよ」
ユディルは慌てた。彼はたまにそういう風に独占欲を発揮する。エヴァイス曰く、ユディルが一度逃げたことが原因らしい。
「じゃあ、ここにいてくれるね」
「わかったわよ」
ユディルはやけくそ気味に答えた。
仕方がないと割り切り、エヴァイスと一緒に手紙の内容を検めていく。彼は本当にユディルに見られても構わないようで、実際手紙には領地のことが書かれてあり、彼はときおりユディルに説明を付け加えてくれた。
領地からの報告の手紙や、各種招待状などを二人で確認をしていき、ときおりエヴァイスはユディルに意見を求めた。
膝の上に乗ったユディルは、思いのほか真面目なエヴァイスを見直した。てっきりごっこ遊びを続けると思っていたからだ。
ユディルは自分もリーヒベルク公爵家の妻として出来ることはしないと、と思い求められるまま、真摯に応対した。
手紙をすべて読み終わった後、ユディルは先ほど見直したことを後悔した。
エヴァイスがユディルのクラヴァットをほどきにかかったからだ。
「ちょ、ちょっと⁉」
抗議の声を上げているのに、エヴァイスは返事もせずにユディルの首元からクラヴァットをほどいた。
「男の子の格好をしたユディルを一枚ずつ剥いていくのって……背徳感満載で、くせになりそう」
(まずい……夫の言動が理解できない……)
ユディルは見上げた先にある夫のとってもいい笑顔に顔を青くした。
妻のドン引きに頓着しない夫は、上着の下に着ているベストの釦を片手で器用に外していく。その慣れた手つきに、なんとなく胸がもやもやして口に出してみる。
「慣れているわね。ずいぶんと」
「そうかな?」
「まさか……エヴァイス、そっちの趣味が―」
「無いからね! 私が欲情するのはユディだけだから」
「……」
そこを力強く言われると次の句に困るのでやめてもらいたい。
そうこうしているうちにエヴァイスはベストの釦と、下に着込んでいたブラウスの釦までも外してしまった。
「衣服をはだけさせる男装のユディ……。すごくそそられる」
「なに見下ろしてまじまじと感想言っているのよ!」
言われたほうはとてつもなく恥ずかしい。
涙目になり、羞恥に顔を赤くさせるユディルだが、その表情が余計に夫の欲情を煽ることになる。エヴァイスはごくりと息を呑む。
「ああ可愛いな。真っ赤なユディをこれから思う存分に愛でることが出来ることが幸せ」
今日一番の良い笑顔だった。
反対にユディルの顔は本日で一番に引きつった。男装だろうと、夜着だろうとエヴァイスの行動は大して変わらないのでは、と思ってしまったが口には出さなかった。
なにしろ夫からの口付けによって封じられてしまったので。
いつものように執拗に舌で責められると、ユディルの身体の奥が熱くなる。簡単に蕩けるようになった身体は、ここが書斎だということも忘れてエヴァイスに対して従順だ。
激しく口内を責めながらエヴァイスはユディルの胸元にしのばせた手を器用にユディルの下着の中に忍ばせる。柔らかな布製のコルセットを付けてしまったのが運の尽きだった。夜会用のしっかりした生地のものではなく、普段使いのコルセットはほどくのも簡単だし、あっさりと紐を緩めていった。
口づけの合間に声が漏らしてしまうのもいつものことで。
「可愛いね、ユディ」
「エヴァイス、ここ書斎……」
「知ってる」
書斎でこんなことを始めるだなんて。絶対にダメに決まっている。
ユディルの主張を聞いてもエヴァイスは触れる手を止めようとはしない。
潤んだ瞳で訴えても効果などあるわけもない。
エヴァイスは甘い視線でユディルを射止める。彼は妻の耳を舐め、そのまま首筋へと顔を埋める。
「可愛いね。ユディ。きみはなにを着ていたって可愛く私を誘惑するんだ」
夫が新しい扉を開いてしまった。
ユディルに内緒で男装の衣装を注文して、そのまま破廉恥な行為を……と思ったところでユディルは頭をぶんぶんと左右に振った。
「絶対に、絶対に二度と着ないんだからね!」
その日の夜、ユディルは寝台の上に座り込み、エヴァイスに向かってぷんすかと怒った。
「残念。とっても可愛かったのに。男装って可愛いね。あと二回ほどお願いが残っているわけだし、また着てもらいたいな」
「絶対却下よ!」
ユディルは絶叫した。
エヴァイスは小動物をなだめるようにユディルの頭の上に手のひらを置き、ぽんぽんと撫でた。
「ああ……どうしてわたしこんな変態男と結婚をしたのかしら……」
「私が変態なら世の男は全員思考回路がおかしいことになるよ」
「書斎でああいうことをしたら駄目なのよ」
「ああいうことって?」
「ああいうことよ!」
ユディルは顔を真っ赤にして叫んだ。
だいたい、書斎で欲情して、ユディルを抱きかかえたまま寝室に直行とかありえない。まだ日も高いのに、夫婦で寝室に籠って……とか。思い出しただけでも恥ずかしすぎて死にそうだ。
「だいたい、フランチェスカ様にだって二回目の男装をお披露目していないわけだし。だからエヴァイスもこれ以上は駄目よ」
「夫と殿下は別腹だと思うけど」
なおも食い下がる夫に対してユディルはぷんとそっぽを向いた。
エヴァイスは寝台の上に乗り、ユディルを押し倒す。
「あ、あなたね」
昼間に散々抱かれたユディルは警戒心を顔に浮かべる。
反対にエヴァイスはキッと夫を見上げる妻に恍惚とした表情を浮かべる。
「ユディ、可愛い」
「今日は―」
「わかっているよ」
エヴァイスはユディルの唇の上に指を乗せながら、くすくすと笑った。
手を出す気はないらしいが、それでも彼はユディルに触れたいらしく手のひらを彼女の頬に添えて何度も撫でていく。
「可愛いな。ユディは。食べてしまいたい」
可愛いと言われるのも何度目だろうか。たくさん囁かれたので分からない。
エヴァイスは飽きることなくユディルに可愛いと言う。最初は信じられなかったのに、徐々に慣らされ、最近は素直に彼の言葉を受け止めていた。
「……あなたも飽きないんだから」
素直に受け止めると自惚れているようにも思えて、ユディルは頬を染めながら夫から視線を逸らす。
「さて、今夜は大人しく寝ることにするよ」
エヴァイスはユディルの隣に横になった。
背後からユディルを抱え込む様に腕を回す。寒さがぐんと増してきた季節ということもあって、一緒の寝台で眠る夫のぬくもりが少しだけありがたい。
「あと二つ。何をお願いしようかな」
「男装だけは絶対却下よ」
「うーん……惜しい気もするけれど」
「ああもう。どうして昨日のわたしは四回も勝負をしちゃったのかしら。昨日のわたしを殴ってでも止めてやりたい」
「殴ったら痛いよ」
「それくらいに後悔しているってことよ」
エヴァイスがユディルのうなじに顔を埋めた。
「きゃんっ……」
ぺろりとうなじを舐められ、ユディルはひくりと声を出す。
「そうだな……。じゃあ三回目のお願いは、ユディは明日の朝食を私に手ずから食べさせて」
「わたしがあなたに?」
「そう。いつもの逆」
「そんなことでいいの? わたし……あなたのことだからてっきりまた変態的なお願いをされるのかと警戒していたのに」
そろそろエヴァイスに毒されてきたユディルは病気でもないのに、妻から物を食べさせて、とおねだりをする夫に対して快諾をする。なにしろ夫に手ずから食事を食べさせてもらうことが日常と化してしまった。
当初は恥ずかしくて突っ伏したい気持ち満載だったのに、何度も繰り返されたことによって知らずに耐性がついてしまったユディルだ。
「私は変態ではないよ」
「そう? まあいいわ。これで三つ目のお願いね。あとは一つよ。この調子でさくさくと四つ目のお願いも言って頂戴」
ユディルはくるりと体を反転させ、夫の方に向き直る。横になると視線が同じになって、彼の薄青の瞳と近しい距離になる。横向きのエヴァイスはユディルに向けて甘い視線を向けてくる。ユディルは彼女自身気づかないうちに同じものをエヴァイスに返している。
「四つ目は大事に取っておくよ」
「なあに、それ」
「まだ決めてないからね」
さあ、寝ようかとエヴァイスは話を打ち切った。
最後の一つは一体どんな願いになるのか。気になるではないか。じっとりと夫の顔を見つめるとエヴァイスはくすりと口角を持ち上げ息を吐いた。
「変なお願いはしないよ……たぶん」
「たぶんっていうのが余計よ」
「さあ、寝ようか。もうちょっとこっちへおいで。可愛い奥さん」
冬も近いんだからくっつかないと寒いよ、なんてエヴァイスは上機嫌でユディルを引き寄せる。
「つぎはあなたの苦手なもので勝負を挑むことにするわ。そういえばあなたの苦手なものって結局何かしら」
「さあ、寝ようか」
エヴァイスはとんとん、とユディルの背中をゆっくりとたたいた。幼子をあやすしぐさだ。
「もう。エヴァイス」
「ほら、きみも疲れているだろう?」
「疲れさせたのはどこの誰よ」
夫婦のじゃれ合いはそれなりに長く続いたのだった。
翌朝、エヴァイスは妻よりも先に目を覚ました。
同じ寝台で眠るユディルはまだ夢の中だ。
すうすうと健やかな寝息を立てる可愛いユディルを飽くことなく見つめる。
「私の苦手なものなんて、少し考えればわかりそうなものだろう?」
エヴァイスは横向きになり、体を少し持ち上げる。
「苦手なものっていうか、泣き所って言った方が正しいんだけれどね」
泣き所はきみだよ、とエヴァイスは囁いた。
妻はあいにくと熟睡中だ。
目の前のユディルがエヴァイスの弱点であり強みだ。彼女のためならどんな困難にも立ち向かえるし、逆に彼女が泣けばエヴァイスは即座に狼狽え負けを認めるだろう。
いつだってエヴァイスはユディルに振り回されてばかりなのだ。
昔から、エヴァイスを言葉と仕草一つでどうにでもできるのは世界でただ一人、ユディルだけなのだ。知らぬは本人だけである。
エヴァイスは眠っている妻の頬にそっと口づけを落とした。、
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