第59話 リーヒベルク公爵の無茶振り

 大学を卒業し、父と同じ道を歩むべく研鑽を始め三年が経過した。

 そうして思うのは、父の背中がいかに遠いかということでーー。

 そんなある日のこと、リーヒベルク公爵家の長男、リディウスは父の書斎へと呼ばれた。


「リディ、爵位継がない?」


 書斎に入室し、対面で着席した途端ににこやかに尋ねられたリディウスは、「はあ?」と口を半開きにしたのち、固まった。


「公爵位があった方が仕事もやりやすいだろう?」

「……ちょっと意味が分からないのですが……父上?」


 リディウスはかろうじてそれだけ言った。

 季節は初秋。穏やかな陽気で、気温が高すぎるわけでもない。例年通り、過ごしやすい。

 ということは、つまり目の前の父の頭が暑さで茹っているわけでもなく。

 正気ですか? という意味を込めて父を見つめる。


「リディも立派に育っただろう? 私はそろそろ引退してユディと海の見える屋敷でのんびり暮らそうと思うんだ。二人きりで」


「…………」


 ああ、今日も父は絶好調に母を溺愛している。

 常日頃から妻を愛していると公言する父、リーヒベルク公爵である。時には息子を甘やかす態度にすら嫉妬心を露わにする、残念なところを持ったお人である。


(ああ、これさえなければ尊敬する父なんだけどな……)


 内心ため息を漏らしつつ、リディウスは正面の父を見据えた。

 そして父の呑気な台詞に対してきっちり突っ込みを行う。


「まだ引退という年ではないでしょう。大体、なんですか。海の見える屋敷でのんびり隠居生活とは。そんなの陛下が許すはずがないでしょう。ついでにユスティーナのことはどうするんですか。まだ十二歳なんですよ。父として社交界デビューを見届けたいと思わないんですか。彼女だって父親が公爵であった方が箔がつくというものでしょう」


「ユディは私と結婚する前から、将来は海の見える丘の上の家に住んでのんびり暮らすのを夢見ていたんだ。妻の夢を叶るのは夫の重要な役割だと思わないかい?」

「……」

「それに、これからは若者の時代だろう。陛下も王太子殿下に仕事を任せる範囲を増やすと仰せだよ。年寄りはさっさと隠居するから、自分の能力を信じて頑張りなさい」


 父がにこやかに言った。清々しさに溢れた笑顔であった。


「何いいこと言った、みたいな顔しているんですか。年寄りっていうほどの歳でもないでしょうが。それから、ユスティーナのことはどうするのです?」

「ティーナのデビューの時はもちろん私とユディが全力でサポートするよ。彼女の嫁入り支度金もきちんと分けて準備してある。ああでも、変な男にはやりたくないなあ……。私たちの地位目当てで近付いてくる男なんか言語道断だ。ろくでなしにやるくらいなら、私とユディとティーナ三人で平和に暮らした方がいいと思うんだ。結婚は息子たち三人に任せて」

「ちゃっかり息子の私に重荷を背負わせないでください」

 

 リディウスはこめかみをぴくぴく震わせながら言った。

 この父は本気だ。本気でさっさと隠居して母を構い倒すつもりなのだ。社交から遠ざけて海の見える丘の上に立つ館に閉じ込めて。


 リディウスが物心ついた頃から毎年休暇の折に訪れていた館である。父の代で購入したことは知っていたが。まあ、母絡みなんだろうなあとは感じていたが。


「生前の爵位の継承は何かと面倒ですよ。揃える書類やら国王陛下との面談やら……」

「そのあたりはしっかり準備を進めているよ。私が公爵位を譲る相手は長男リディウスだからね。そう煩雑な手続きにはならないよ」


 根回しはバッチリというわけだ。

 こういうところは抜かりがない父なのである。仕事面では尊敬する父が、母がかかわると途端に大人げなくなるのだ。

 父曰く、母を愛してるから、とのことなのだが。

 ここまで腑抜けになるのなら、リディウスは恋などしなくても構わない。貴族の結婚など契約なのだから。今はまだ仕事で経験を積みたいため考えられないが、いずれ時期がくれば家格が釣り合うどこかの家の娘と見合いをすることにでもなるだろう。


 自分のことは置いておいて。

 今は降ってわいた爵位継承である。

 父の意思が揺るぎないのは理解した。

 しかし、全て父の思い通りになるのは癪に障る。

 大体、自らを年寄りなど言うけれど、目の前に座るリーヒベルク公爵は全くもってそんなことはない。まだまだ現役である。

 

 父が息子に知らせてきたということは、確実に母にはこの件を相談してはいない。

 そもそも母は父の過剰な愛情表現から逃げるのが常なのだ。おかげでしょっちゅう痴話げんかをしている。父曰く、夫婦仲良好の秘訣らしいが。これは両親だけの特殊事項だろう。


「この件はまだ母上に相談してもいないのでしょう?」

「……」


 指摘をすると沈黙が返ってきた。


「母上は素直に海辺の街に引きこもらないと思いますよ。ティーナのこともありますし、ルーヴェの華やかさも恋しいでしょうしね」

「もちろん月に一度くらいはルーヴェに出てくることはやぶさかではないよ」

「それでも、息子に爵位を押しつけて何を考えているの、くらいの説教はしてくるでしょうね。父上は、円満継承をお望みでしょう?」

「なるほど。リディは何を条件にしたいんだい?」

「さすがに領地の面倒までは見きれませんからね。そちらの方は父上たちにお任せします」

「若い頃から領地の人間とのパイプを作っておくのも大切なことだと思うよ」

「もちろん私も責任は理解していますよ。しかし、丸投げは困ります」

「……仕方がない。二割は引き受けよう」

「何言っているんですか。七割は父上の仕事です」

「多くないか? ユディといちゃいちゃできないだろう」

「息子の前で何言っているんですか」


 このあと不毛な押し問答が続き、父は海辺の町改め領地に引きこもることになった。ちなみに領地関係の仕事は公平に五割ずつということになったのであった。


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