第7話 初夜と膝蹴り
そもそも十七歳の頃のユディルに持ち上がった縁談というのが誰であろうエヴァイスの父親である現在のリーヒベルク公爵だった。両親の内緒話を立ち聞きしたのだから間違いはない。彼らもそれなりに困惑していたからだ。
だからユディルはそんな結婚できるか、と背中の真ん中まであった髪の毛をばっさりと切って逃げた。場所がルーヴェ・ハウデ宮殿だったというだけだ。ついでにいうなら女官の仕事は楽しかった。ユディルは寄宿学校に入ったことはなかったけれど、女官として宮殿で寝泊まりをしていたため、寄宿学校暮らしというのはこういうものなのかなとも思った。
「それなのに……どうしてこうなった……」
結婚が決まって十日で挙式とかありえない。結婚式の準備というものはもっと時間がかかるはずなのに。花嫁道具を選ぶのも、花嫁衣装にあれこれ悩むのも全部すっ飛ばして本日本番を迎えてしまった。
花嫁のためのドレスはどういうコネなのか超特急で仕上がった。ユディルは仮縫いのときに試着をして、次に目にしたのは結婚式当日のことだった。せめてもう少しドレスの意匠について意見を言いたかった。一生に一度のことなのに、どうして自分の関知しないところですべてが進んで行ってしまったのか。
ユディルとエヴァイスの結婚が発表されるとルーヴェの上流階級は阿鼻叫喚の嵐だったとかなんとか。ユディルは忙しすぎて気にする暇も無かったけれど、今日結婚式の後の晩餐に出席をしてくれた友人がこっそりと教えてくれた。
「はぁ……。なんだか、いろんなことがありすぎて疲れた……」
現在ユディルはリーヒベルク公爵家がルーヴェに所有するお屋敷の一室で盛大にため息を吐いている。目の回る忙しさから解放されてようやく意識が覚醒した。
すべてが終わって、気が付いたらユディル・レヴィ・リーヒベルクになっていた。人生何が起こるかわかったものではない。今回ばかりは心底そう思う。
「ユディ」
「ひゃいっ!」
「もしかして、緊張している?」
感慨にふけっていたら突然声を掛けられてつい変な声をだしてしまったユディルだ。
もしかしなくても、それなりに緊張しているユディルはせめてもの矜持で夫となったエヴァイスに強い眼差しを送った。さすがに新居をこの短期間に用意することはできなくて、ルーヴェ市内にある公爵家の屋敷で新婚生活を送ることになっている。
今更ながらに二人きりという状況に胸が早鐘を打つ。
(子作りくらい、どうってことないわ。オルドシュカ様だって通ってきた道なのよ!)
ユディルは王太子妃付きの女官として夜の知識も持ち合わせている。最初に教えてもらったときは仰天して、色々とショックだったけれど子供を作る行為についてはその辺の深窓の令嬢よりも精通しているつもりだ。
ユディルは高らかに宣言をする。
「そんなことないわ。さあ、やることをやってしまいましょう」
「え……ああ、そうだね」
互いに寝間着姿で、場所は夫婦の寝室。エヴァイスの金色の髪が少しだけ湿っている。こちらを見つめる瞳の中に熱いものを感じ取ったユディルはどうしてだか逃げ出したい衝動に駆られた。大きな獣に見つめられた小動物の気持ちがなんとなく分かった。
自分から目を逸らすと負けなような気がして、ユディルはエヴァイスの瞳を見つめ続けた。彼はユディルのすぐそばにやってきて、それからゆっくりと口の端を持ち上げた。
「ユディ」
(あれ? なんか、いつもと違う?)
口を開けば意地悪なことしか言わない彼が、今日はユディルに対して優しい笑みを浮かべている。彼はそっと腕を伸ばしてユディルの頭の後ろに触れた。赤い髪をくるくると持ち上げ、彼の指が耳をかすめる。
くすぐったくて、思わず吐息を漏らす。エヴァイスはユディルを寝台の上に押し倒した。いよいよ始まるのだわ、とユディルは覚悟を決めた。伯爵家の円滑な爵位継承のためにも、自分の使命はまず子供を産むこと。
正直、簡単なことではないことくらい十分にわかっている。ユディルが仕えるオルドシュカは結婚後長い間子供が出来ずに悩んでいた。後継ぎをと望む声に応えることが出来ずに、そして陰であの女の胎が悪いと罵られ傷ついていた。ユディルは気丈に振舞うオルドシュカが心を平静に保てることだけを考えて仕えてきた。あんな奴らの言うことに耳を貸しては駄目、外野がうるさいのよ、と何度も憤った。
「ユディ、別のこと考えている?」
「え、そんなこと……」
ぎくりとしたが、彼はそれ以上何も言わずにユディルの頬に口づけを落とした。ふわりとした口づけを頬とこめかみに受けて思わず目をつむる。結婚式の口付けは、本当に触れたかどうかわからないくらい、ふわりとユディルの唇をかすめるものだった。
その彼が、今ユディルの唇を塞いでいる。ユディルの唇を何度も何度もついばみ、一向に止みそうもない。ユディルは胸の奥をざわめかせた。どうしてだか彼のことが知らない男のように思えた。長い口づけに苦しくなったユディルは新鮮な空気を求めて唇を小さく開いた。
その瞬間を狙っていたかのようにエヴァイスの舌がユディルの口内に侵入した。突然のことに驚いたユディルは彼を押しのけようと腕を動かした。それなのに、びくともしない。しかもエヴァイスはユディルの口内を好き勝手に侵略していく。
口づけをしているだけなのに、ユディルの身体から力が抜けていく。
エヴァイスはユディルの体の上にゆっくりと手のひらを置き、寝間着の上から触れていく。
(えっ! ちょっと、ちょっと待って……)
口づけに意識を取られているうちにこの男は何をしているのか。ユディルは慌てたがどうすることもできない。おかしいと思った。ユディルの知る夜の営みと全然違う。それなのにエヴァイスは片方の手で器用に寝間着のボタンを剥いでいく。
エヴァイスの顔が離れて、彼は今度はユディルの首元に顔を埋めた。ざらりとした舌の感触を受けて背中がびくりとした。いつの間にか寝間着の胸元が大きく開いている。白い肌の上にエヴァイスが被さる。
ユディルは混乱の極みにあった。
どうして子作り行為をするのに、エヴァイスはユディルの肌に顔をうずめているのか。
それに自分の身体のはずなのに、何かが違う。
夫の優しい動きに合わせて、ユディルの身体が変になっていく。
身体の奥に熱が宿り、熱くなっていって、先ほどから変な声を幾度も出してしまう。それを至近距離の彼に聞かれているかと思うととても恥ずかしい。歯を食いしばって耐えようとするのに、閉ざしきれない口の端から甘えるような高い声が漏れてしまう。
もしかしたら妻になったユディルを、夫は別の方法でいじめようとしているかもしれない。
(な、なんで……なんでこんなことになっているの? ちょっと待って!)
どうして、こんなことを彼は繰り返すの。
だって、子作りって男の性器を女性の膣に受け入れて、それで終わりだろうに。こんな行為にどんな意味があるというのか。
「やだぁ……、ねえ、エヴァイスこれ、違う!」
ユディルはここにきて怖くなった。
自分にのしかかる男が全く知らない人のように思えてならなかった。エヴァイスはユディルの訴えに耳を貸すこともなく、ユディルの夜着の裾をたくし上げる。太ももに手を這わされていよいよユディルは恐慌状態に陥った。
「やだ! エヴァイス止めて。ど、どうして、こんな必要ないことするのよっ! ……エヴァイスの変態!」
ユディルは渾身の力を込めて夫となった男を押しのけようとした。
一方の変態呼ばわりされたエヴァイスは、初夜で恥ずかしがっている妻の叫び声にようやく顔を上げた。目が合った瞬間、エヴァイスはうろたえた。ユディルの瞳に涙が盛り上がっていたからだ。気を緩めた次の瞬間みぞおちに強い衝撃が来た。真下から膝蹴りが入ったのだ。それはもう思い切り。景気よく。
「うっ……」
予期せぬ攻撃にエヴァイスの胃の中から空気が抜けていく。ユディルはその隙に彼の下から逃げ出した。寝台から転げ落ち、立ち上がりかけて力が抜けた。けれども一生懸命叱咤して寝室から逃げ出した。
(どうしよう……夫が変態だった……)
ユディルはなりふり構わずとにかく逃げた。幸いにもいまは六月。多少肌寒くても凍え死ぬことはない。どこか適当なところに身を隠して、それから朝一番で逃げなければ。だって、まさかエヴァイスがあんなにもおかしいことをするなんて思ってもみなかったし、予想もしていなかった。ユディルは夫を置き去りにして、使用人用の屋根裏部屋へと潜り込んだ。
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