第8話 逃げ出した妻
衝撃の初夜のせいでユディルは寝不足だった。いや、目が冴えて眠れなかったという方が正しい。今日逃げないと大変なことになると思ったユディルは花嫁道具の中から一番簡素なドレスを見繕い、こっそりと屋敷を抜け出した。さすがに夜着のまま外出するわけにはいかない。
(オルドシュカ様は、わたしの味方だって言っていたもの)
今はもう、彼女しか頼れるものはいない。早朝、しんと静まりかえった屋敷から外へ出てまだ人通りもまばらな通りを歩いた。大きな通りに出て辻馬車を捕まえ、宮殿の手前まで乗せてもらう。
ルーヴェ・ハウデ宮殿には三年ほど住んでいた。宮殿で働く人間専用の出入りの門へ行き、衛兵に馴染みの女官の名前を告げ、取次を頼む。まだ朝早いため、それなりに待つことになりユディルは焦りからつい何度も身じろぎをした。
エヴァイスが連れ戻しに来たらどうしよう。貴族の結婚は家のための結婚で、巷で流行っている恋愛小説や劇のように壮大な愛の物語などはまやかしだ。自由恋愛など物語の中だけだと分かっているはずなのに、オルドシュカが比較的仲睦まじく王太子と暮らしているのでユディルも結婚に夢を見てしまったようだ。相手がエヴァイスだけれど知らぬ仲ではないしそれなりに上手くやっていけるかもしれない、と。
(いいえ。でも駄目だわ。あんなにも変な人だとは思わなかった。やっぱり、人は見かけによらないものね)
昨日の夜を思い出し、ユディルが顔を青くしていると、友人兼同僚の女官が門へとやってきた。驚く彼女に事情は後だと強く言い、中に入れてもらう。それから一緒にオルドシュカの元へ付いていってもらう。朝ご飯の後、ほんの少しだけでもお目通りできたら。
到着をした王太子妃の居住の間の手前で少し待たされた後、ユディルはオルドシュカに呼ばれた。
「まあ、あなたどうしたというの?」
オルドシュカは目を丸くしている。それは左右に付いている女官、ベレニーク夫人とリュシベニク夫人も同じであった。
「オルドシュカ様。お願いです。匿ってください」
「ええと……まずは何があったのか説明をして頂戴。あなた、昨日結婚式を挙げたばかりでしょう?」
「はい、そうなんですけれど」
ユディルはなんて説明をしていいか迷った。さすがにあけすけに話すのは恥ずかしい。しかし、全部を言わないと納得してくれなさそうだ。ユディルはしばし逡巡し、それから決意を固めた。
「実は……エヴァイスの特殊性癖が発覚をしまして……」
ぽつり、ぽつりと事情を漏らすと、まずはオルドシュカが「ええええっ」と淑女らしからぬ声を出し、ベレニーク夫人が「あら、まあ……」と顔を赤くしリュシベニク夫人も「人は見かけによらないのね」と呟いた。
「そ、それで……特殊性癖っていったい、あなたどんな目にあわされたというの」
心配と好奇心が半分ほどの割合といった声を出したオルドシュカはすぐに、顔を引き締め「事と次第によってはわたくし、あなたの味方になってよ」と力強く頷いたのだった。
一方その頃、リーヒベルク邸では朝からちょっとした騒動になっていた。なにしろ新婚二日目にして、若奥様が家出をしたのだ。
「ユディの行き先なんて、宮殿しかないに決まっているだろう」
初夜に新妻から膝蹴りを食らうという、とんでも経験をした夫エヴァイスは屋敷の中にユディルがいないことを確認すると、すぐに支度に取り掛かった。
まったく、彼女を手に入れるのにどれだけ回り道をしたと思っているのか。ようやく自分のものになったと思ったら、跳ねっかえりの
朝食も取らず従僕から上着を受け取ったエヴァイスは馬車を走らせ宮殿へ向かった。
「まったく。王太子妃殿下の女官なら、夜の事情にだって一応は精通しているはずだろう?」
それなのに、自分のことをここまで拒否するとは。やはり彼女は前回と同じようにエヴァイスから逃げ出そうとしているのだろうか。そこまで嫌われているのかと思うと切ないものがあるが、ユディルはもう自分の妻なのだ。
ようやく手に入れた彼女を逃がすものか、と心に決めエヴァイスはルーヴェ・ハウデ宮殿の正面の門に馬車を着けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます