第31話 従兄からの知らせ1
ユディルは手紙の返事を書きながら感慨深げに日付を見つめた。
リーヒベルク公爵家へ嫁いで早二カ月が経過をした。アニエスに紹介される形でユディルも順調に主婦友達を増やしている。未婚令嬢たちからはそっぽを向かれているけれど、夫を持つ婦人方とはそれなりに友好関係を築いているユディルの元には最近では茶会の招待状なども舞い込むようになっていた。
この時期避暑に出かけている者も多いが、今年は秋に大きな式典が控えていることもあり政治家や軍人の妻の多くはルーヴェに留まっている。なによりも、ルーヴェはにぎやかで華やかだ。夏の時期は毎夜オペラ座や劇場で芸術性の高いものから娯楽主義まで幅広い演目が上演されているし、音楽家たちはその腕を競うように演奏会を開く。
ユディルもたまには女友達と観劇に出かけたり、フランチェスカのお供で女子歌劇団の公演を観に行ったりもした。
読んでいない手紙はないかと文箱を確認すると未開封の封筒が一通出てきた。
「あら、叔母さまから?」
封筒を裏返すと叔母であるダングベール子爵夫人の名前が書かれてある。父の妹でもある彼女のことはユディルは嫌いではない。子爵と息子はアレだが、夫人はやさしくお人好しでいい人だ。いい人過ぎてダングベール子爵みたいな男に丸め込まれて結婚してしまった。母親は優しいのに、どうして息子のルドルフがああなったのか。やはり父親の血が濃いんだろうな、とユディルはしみじみと思う。
そのダングベール子爵夫人からの手紙はなんてことはない、次男が出演する舞台を一緒に観に行きましょうというものだった。アランは役者でルーヴェの中堅どころの劇団に所属をしている。貴族の道楽息子を地でいっており、しかし顔は夫人に似て甘いためご婦人方によくモテる。とくに既婚女性はアランに母性本能をくすぐられるらしく、サロンではもてはやされているが、ユディルとしては若いうちはそれでいいけれど、年を取ったらどうするんだと心配になってしまう。けれどもそれはユディルがどうこう思っても仕方のないことなのでひとまず叔母に返事を書くことにする。
アランの舞台は娯楽性の追求というよりも芸術に重きを置いている作品が多く、これまで何度か観に行ったことがあるがどれもよく分からない内容だったことは内緒だ。
叔母に同行する旨返信をしたためて、そのほかの手紙と一緒に屋敷の者に渡した。
そして当日。叔母と一緒にアランが出演する舞台を鑑賞したユディルは、従兄には申し訳なかったが睡魔と戦うことに必死だった。ユディルとしてはメーデルリッヒ女子歌劇団の演目のような、ヒーローとヒロインが紆余曲折波乱万丈の末にドラマチックに結ばれ大団円を迎える分かりやすいもののほうが好みに合う。
「アランてば、一生懸命頑張っていたわね」
「はい。頑張っていましたね」
「屋敷の部屋でもずっと稽古をしていたのよ」
上演終了後のダングベール夫人の感想は大体いつも同じなので、おそらく叔母も劇の内容については好みに合わないのでは、とユディルは踏んでいる。
それでも上演期間中、切符を買って何度か足を運ぶのだから叔母は息子のことが大好きだ。
上演後ユディルはダングベール夫人に連れられてアランの楽屋へ寄った。叔母はルーヴェ市内の行きつけのサロンへ息子を連れて行き食事をさせてやるところまでを観劇の日の流れにしているからだ。アランと時候の挨拶を交わしていると楽屋にルドルフが現れた。弟のことなんてまったく興味も持たないルドルフがわざわざこんなところに顔を出すことが珍しくユディルは目を丸くした。
しかし、ルドルフが自分の母親に軽く挨拶をし、すぐにユディルを連れ出そうとしたところで彼の目的が自分にあることをユディルは悟った。ダングベール夫人は「じゃあ先にサロンへ行っておいでなさい」と柔らかな声を出して二人を見送った。叔母の前で変な対応をすることも憚られたユディルは仕方なくルドルフと一緒にサロンへ向かうことにした。
「それで、一体何の用よ? まさかとは思うけれど、わたしのコネを期待しているわけじゃないわよね」
サロンの個室へ通されたユディルは険しい声を出した。主に上流階級を顧客に持つサロンがルーヴェ市内にはいくつか存在する。ルーヴェ市内の一等地の大きな広場に面したサロンは二階部分はオープンスペースとなっているが三階は個室のみで、いまユディルたちが座るのは個室の席だ。アランと一緒の時は息子が気兼ねなくくつろげるように、叔母は個室を予約する。
「俺は父上とは違うからな。自分の才覚でのし上がってやるぜ」
その無駄な自信はどこからくるのだろう。ユディルは押し黙ったまま冷たいコーヒーの上にのっかったクリームをスプーンですくって口の中にいれた。泡立てたクリーム入りの冷たいコーヒーがいまルーヴェでは流行っている。
「さて、母上たちが来る前に本題だ」
ルドルフは上着の内ポケットから封筒を取り出し、にんまりと目を細めた。
「まさかアルフィオが駆け落ちをしたとは思わなかった」
「何を言っているのよ。お兄様は領地の事業の視察のために外国に行っているって前にも話したじゃない」
ユディルは即座に反論をした。もちろんこれは作り話なのであって、真実兄は駆け落ちをしたのだが目の前の従兄に知られるわけにはいかない。
「ごまかさなくてもいいんだぜ。あいつに平民の恋人がいたことは裏も取れているし、人の口に戸が立てられないってね。聞こえてくる噂っていうのはあるものさ」
「跡取り息子がちょっと外国に行ったくらいで駆け落ちだなんて。みんな暇人ね」
ユディルの言葉には取り合わずルドルフは先を続ける。
「さて。この手紙だが、おまえの兄、アルフィオから届いたものだ」
「なんですって」
ユディルは目の色を変えた。
その反応に、ルドルフが瞳を細める。ユディルは正面に座る従兄にこほんと咳払いをした。
「手紙にはこう書いてある。家を出たはいいものの、騙されて持ち金をすべて取られてしまい、このままでは売られてしまう」
「……つくり話に決まっているし、そもそも人身売買は違法よ」
「どうやら質の悪い人間から金を借りてしまったらしい。よくある話といえばよくある話さ。人間落ちるときはあっという間だからな」
ルドルフは得意そうに手紙の内容を話していく。ユディルは彼の話す内容を聞いて息を呑んだ。まさか、そんな。ユディルの顔が瞬く間に白くなる。しかし、落ち着けと己を叱咤してユディルは口を開く。
「……その話が本物かどうかなんてわからないわ。お兄様は領地経営のための視察旅行に行っているのだもの」
「ふうん。だったら、旅行中のお兄様に連絡でも取って無事を確認すればいいだろう?」
ルドルフは意地悪に目元を歪める。ユディルは悔しくて押し黙った。絶賛行方不明中の兄の居所なんて分かるわけがない。次の言葉を探しているユディルの様子を見てルドルフは笑みを深めた。
ユディルは従兄を睨みつけ呼吸を整えて言葉を紡ぐ。
「それで。あなたの話が真実と仮定をして、どうしてお兄様は従弟のルドルフに手紙を書いてきたのよ。窮地を助けてほしいのなら、まず実家であるお父様たちに手紙を書くはずだわ。わたしでもいいけれど」
「そこは男としてのプライドだろう。大見得切って家を出たのに助けてほしいなんて言えるわけないだろ」
「……」
ユディルは内心唸る。確かに、意地を張りたくなる気持ちは分からなくもない。ユディルだって結婚が嫌で宮殿へ逃げ込んだとき、絶対に帰らないと誓った。仕事に慣れなくて夜泣いたこともあったが、かといって両親に泣きつくという発想は無かった。自分で出て行った手前恥ずかしかったからだ。だから、ルドルフの言うことも一理あるとユディルは感じた。アルフィオだって駆け落ちをしたのだから、無一文になってすぐに両親に援助を求めるのは気が引けたのかもしれない。
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