第53話 ユディルの里帰り1
一年の終わりが近づいて来た頃、ユディルはエヴァイスと共に里帰りをした。大抵の貴族は秋の収穫から春が始まるまで、領地で過ごすものである。
今年結婚したユディルたち夫婦も、一度それぞれの領地に顔を見せようということになった。
ユディルがベランジェ伯爵領へ帰るのは十七歳以来である。
髪を切ってルーヴェ・ハウデ宮殿に逃げ込み、王太子妃殿下付きの女官として働き始めたら、忙しくて実家への足が遠のいた。
その実家までの移動距離だが、予想よりもずいぶんと短くてびっくりした。
なんと、この三年の間に実家の隣の領地まで列車が開通したからだ。
「列車は早いわね。あっという間だったわ」
「線路もずいぶんと伸びたね。そろそろベランジェ伯爵領にも届くんじゃないかな」
「そうなると里帰りが楽になるわ」
列車から降りたユディルはエヴァイスと歩き出す。
鉄道は何度か利用したことがある。王都ルーヴェを起点に放射状に線路が伸びており、開通当初こそ、上流階級の人間は信用に値するのかと訝しんでいた。けれども馬車とは比べ物にならない速さを前に、人々は早々に意見を翻した。
大きな事故が無かったということも大きい。
ユディルも、領地とルーヴェを往復する際利用したことがあった。初めて列車を見た時の驚きは今でも忘れない。
フラデニアは国策として鉄道網の整備に力を入れている。隣国アルンレイヒとの直通列車の整備もその一環だ。
もちろん、大前提でアルンレイヒとの良好な関係が必要となる。ともに国力が拮抗していることもあってか、この数十年両国間に目立った軋轢はない。
「お迎えに上がりました」
駅舎を出た広場の前に伯爵家から遣わされた馬車が停車していた。伯爵家の御者が恭しく首を垂れる。
従僕が荷物を積み込み、準備ができたところで馬車が走り出す。もう少しで実家へ到着する。
「こうして夫婦で伯爵領へ向かうと、感慨深いものがあるね」
「それよりも……わたしにはあなたの不埒な行動の方が問題だったけれど」
馬車よりも広い一等個室に二人きり。エヴァイスはユディルを構い倒した。膝の上に乗せられ、色々なところをまさぐられ、ユディルは身を守ることに必死だった。
「不埒って?」
エヴァイスがユディルの膝の上に手を置いた。ゆっくりと撫でまわされ、眉をぎゅっと眉間に寄せる。
「そういう手つきよ。一等個室は広いのに、わざわざわたしを膝の上に乗せようとしたり、変なところを触ってきたり。あなたね、いくら個室とはいえ、列車は公共の空間よ」
「ユディは私の可愛い妻だから」
苦情を言うと、いい笑顔で言い切られた。
「そういう問題じゃないと思うわ」
未だにユディルの考える夫婦と、エヴァイスのそれとでは何かこう、解釈の違いがある。結婚をしてから、愛情表現の方法を変えた(結婚前の表現方法もはた迷惑だったが)エヴァイスに、ユディルは未だに慣れないのだった。
とりあえず、不埒に人の膝を撫でまわす彼の手をユディルはぺりっと引きはがしておいた。まあ、無駄だったが。
夫婦そろって実家に帰ることほど恥ずかしいことは無い。短い時間の間にユディルは痛感した。
何しろ両親の前でもエヴァイスはほぼ通常運転なのだ。
伯爵家の城館に到着をして、客間に通され、両親と向かい合わせで座り、近況報告をしただけでユディルは大変に疲れた。主に精神面での疲労であった。
それに、実家に帰ってきて、夫婦同じ部屋をあてがわれるというのもなんだかものすごく気恥ずかしい。自分の部屋があるのに、もうそこを使うことは無いのだ。
(なんだか、お嫁に行ったっていう実感がものすごく湧いて来たわ)
こういう些細なことで、自分がエヴァイスの妻になったことを実感するのだと、今日改めて感じた。
客間から見える庭の景色一つで、ここが知らない場所にも思えるから不思議だ。
生まれ育った城館なのにそんなことを考えるのは、ここが主にお客様のための場所で、自分の生活空間から離れていたからだということに思い至る。
(そういえば、わたしの部屋はいまどんな風になっているのかしら)
普通は結婚前に感傷に浸ったりするのかもしれないが、ユディルの場合それがなかった。なにしろ婚約期間が十日間という超特急な結婚だったのだ。
当然実家に戻っている暇も無かった。
せっかくだからこの滞在中に一度自分の部屋に行ってみよう。よし、決めたと思っていたら、部屋に戻ってきたエヴァイスが口を開いた。
「せっかくだからユディの部屋を見てみたいな」
「どうしたの、藪から棒に」
何の前振りもなく、突然に言われたため、ユディルはびっくりした。
「私ときみは夫婦だから。今なら、きみの部屋に入っても怒られないだろう?」
「それは、そうかもしれないけれど」
独身時代に部屋が見たいとか言われたら、だいぶ失礼な人間ということになるだろう。
「ちなみに、ルドルフはきみの部屋に入ったことがあるのかな?」
「え、ルドルフ?」
きょとんとすると、エヴァイスの瞳とかち合った。なぜだろう。目が笑っていない気がして、ユディルの背中が少しだけぞわりとした。
「たしかに、ルドルフはわたしの部屋に入ったことがあるけれど……子供部屋よ。大きくなってから移った部屋には入れたことが無いわ」
従兄のルドルフとは、物心ついたころからの仲なのだ。
従兄とは厄介なもので、性格の不一致であろうと、容赦なく一緒に行動を促される。何しろ父の妹の息子だからだ。
当然、叔母の里帰りにルドルフとアランもくっついて来たし、そういうとき大人たちは子供たちに向かって「一緒に遊んでおいで」と無茶ぶりをする。
「じゃあ行こうか」
「どこへ?」
「きみの子供部屋と、大人になってからの部屋に」
「だからどうしてそういう流れになるのよ」
「ルドルフが入って私が入れないのはおかしい。私はきみの夫だ」
「……」
彼の中ではそういうことらしい。
ユディルはあきらめの境地に至った。これは何を言ってもダメなやつだと悟ったのだ。
「まあ、別にいいけれど。あなたって変なところであいつと張り合うのね」
「彼とは昔からライバルだったからね」
「へえ……初耳だわ」
少し目を丸くすると、彼は淡い微笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか」
「子供部屋なんて面白くもなんともないと思うけれど」
現状ユディルは彼と同じ部屋で寝起きをしているわけだし、昔使っていた部屋だって整理整頓がされているはず。ユディルにとっては過去のことで、そこまで頑なに拒否する事案でもない。
言い換えればユディルはそれくらいエヴァイスに心を許しているということだ。
ユディルはエヴァイスと一緒に部屋を出て、城館内を歩いた。
行き先は子供部屋。客室棟と反対側にある、主人一家の居住空間。子供部屋は大人たちの住まいよりも上の階に設えれていることの方が多い。
子供時代は兄と一緒の部屋だったことを思い出す。
「懐かしいわね」
子供部屋は記憶にある通りだった。
淡い色の壁紙に、全体的に背の低い調度品に、小さな寝台。
乳母と乳母付き侍女たちはすでに退職してしまったが、在りし日の光景が脳裏に浮かんだ。
「ここでユディが育ったんだね」
隣に立つエヴァイスが感慨深い声を出す。
「公爵領に行ったら絶対にあなたが育った部屋も見せてもらうから」
「もちろん構わないよ」
意趣返しのつもりも込めたのに、エヴァイスにはちっとも響かなかった。
ユディルは部屋の中を見渡して、足を進めた。本棚には絵本などがそのまま残されている。
手に取ってぱらぱらとめくってみる。
(そうそう、この絵本、好きだったのよね)
ユディルは懐かしさに目を細めた。兄がいることもあってか、幼いころのユディルは男の向けの本も読んでいた。
本をぱたんと閉じたユディルは道具箱に近づいた。部屋の主がいなくなったあと、使用人たちによってきちんと整理整頓されており、愛用の品物たちがきちんと収められている。
「でも、悔しいな」
「なにが?」
懐かしさで、つい色々と手に取って眺めていると上からエヴァイスの声が降ってきた。
「きみとルドルフは年も近いし、ここで一緒に遊ぶこともあったんだろう? 私がきみに正式に対面した時、きみは十四歳だったから。もっと幼いころのユディにも会ってみたかった」
親戚といってもエヴァイスとは遠縁で、しかも年が六歳も離れている。子供の頃の年の差は案外に大きい。同性同士ならまだしも、このくらい年が離れているとなかなか顔を会わせる機会もない。
「そういえば、子供の頃のあなたの話って聞いたことが無かったわ」
「ユディは私のことなんてちっとも興味を持ってくれなかったからね」
やや拗ねたような物言いが帰ってきた。
「まあ、昔はほら。あなたのこといけ好かない男だと思っていたわけだし」
何しろ初対面があれだった。
「私はきみのこと、可愛くて仕方が無かったのに」
「あなたちっともそんな素振りを見せてくれなかったじゃない」
「一応全力で可愛がっているつもりだったよ」
「どの辺がよ」
思わずキッと睨みつけると、エヴァイスがとろけた顔を作る。
「ほら、この可愛い顔。私だけを真っ直ぐに見つめてくるその顔が見たくて、私はよくきみにちょっかいをかけていた」
「はた迷惑極まりないわ」
見た目だけは王子様なのに。この男の愛情表現はどうにも斜め上をいっている。
金色の髪の毛に、薄青の瞳。それはまさに絵本の中によく登場する王子様そのもので。
けれども、口を開けばいじわるなことばかりで。
(王子様か。昔、アニエスとも理想の王子様について話をしたことがあったっけ)
領地が隣同士ということもあってアニエスとは小さいころからの幼なじみだ。当然、この部屋にも幾度も来たことがあるし、お泊りだってしたことがある。
色々な遊びをしたな、と思い返したユディルは何か、大切なことを忘れているような気がしたのだった。
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フェアリーキスさまで試し読みページが公開されました。
Web版との違いを探してみてください
https://www.j-publishing.co.jp/fairykiss/book-15244/
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