第62話 ユスティーナと理想のお姉様3

 理想のお姉様探しは難航していた。

 そもそも寄宿学校住まいのため、おいそれとルーヴェ市内へ出歩けない。まだ社交デビューをしていないため、人との出会いがない。つまりは、あの美人なお姉様候補との再会の目処が立っていないということで。


 彼女がどこの誰かが判ればやりようはいくらでもあると思うのだ。偶然を装い三人の兄のうちの誰かに出会わせればいいのだから。彼女に婚約者がいれば……仕方がない。個人的にお友達になってくださいとお願いする。お姉様と呼ばせてほしいとお願いしてみるのもありだ。

 などと夢想する日々であった。


「そういえば、ティーナのお兄様、アルンレイヒに駐在するのね」

「ええ、そうみたい」


 ある日、同室のジネットが水を向けてきた。

 兄は父と同じく外交関連でフラデニアの政治に貢献したいと考えている模様だ。父も昔、外国住まいを経験したため、自身も一度は経験したいのだそうだ。母が聞いたままジネットに話した。

 ちなみに同席していた父はなぜだかニヤニヤしていたけれど。理由は教えてくれなかった。ただ「リディにとっては、ここが正念場なんだ」と言っていた。


「今年卒業する上級生のお姉様たちが悲鳴をあげていたわ」


 兄は父に似て顔がいいため、女性人気が高いのだ。しかも現在公爵位を引き継いでいるのだからなおのことだ。


「ティーナも寂しくなるんじゃない?」

「まさか。昔から関わりがなかった兄だもの。そこまでの感情はないわ」


 あっけらかんと言ったユスティーナであったが、案外その兄との再会は早くに巡ってきた。

 

 それは、ある初夏の日のことだった。

 寄宿学校に母から連絡が入った。

 なんと、兄が結婚したというのだ。

 結婚。そう、結婚である。婚約ではない。結婚したのだ。

 晴天の霹靂であった。


(え、結婚ってそんな電撃的にできることだったかしら?)


 一応できる。結婚契約書に署名して役所に提出すれば婚姻は成立できる。

 しかし、多くの場合は婚約期間を設けるものだ。一応我が家は公爵位を賜る貴族である。両親ともにガチガチに格式を重んじる、というわけではないけれど、それでも一応、公爵家としての手順は踏むはずだ。


 などと考えつつ、ユスティーナは手紙の文面に目を走らせる。

 兄の妻となった女性は、アルンレイヒに住まう男爵家のお嬢さんで、先に結婚はしたけれど、結婚式はこれから挙げる予定なのだそうだ。


 できればユスティーナにも、休暇をとって結婚式に参列してほしい。そう締めくくられていた。それから、結婚式が終わるまで他言するなとも。


(どうしよう! わたしにお姉様ができてしまったわ!!)


 ユスティーナ・レヴィ・リーヒベルク、十五歳。人生の一大事であった。



 両親の根回しもあり、寄宿学校の休暇はすんなり取ることができた。

 ルーヴェのターミナル駅舎から隣国アルンレイヒまでは、直通列車が通っている。

 外国旅行といえど、ハードルは高くない。馬車しかなかった時代と比べると、格段に旅行が楽になったとは、年配者の言である。


 今回、ユスティーナたちが目指すのは、フラデニアとの国境沿いである、トルデイリャス領である。この土地を治めるメンブラート伯爵家といえば、西大陸の名門として名を馳せている。

 リーヒベルク家もまあまあ歴史があるけれど、かの家は六百年だ。そこまで遡れる家は、大陸広しといえども多くない。名門と言われる所以である。


 長兄リディウスの妻となった女性は、そのメンブラート伯爵の姪とのこと。

 そしてフラデニア屈指のお金持ちであるファレンスト家の令嬢でもある。

 一応リーヒベルク家もそれなりに財産家であるが、フラデニア経済の牽引役と言われるファレンスト家とは張り合えない。


 どうしよう。前情報からして渋滞している。一体どんな女性なのだろう。仲良くなれるだろうか。だって、正真正銘初めてのお姉様だ。できれば優しい人だといいなあと思う。それから一緒にドレスを作ったり、お揃いの装身具を買ってみたり、一緒にサロンでお茶したりしてみたい。


 などと考えていたらあっという間にトルデイリャス領へ到着した。


 迎えの馬車に乗り到着したメンブラート伯爵家の屋敷に到着したユスティーナを待っていたのは、予期せぬ再会であった。


「わたしの理想のお姉様!」

「どうしたの、急に」


 口から出た声が大きくなってしまい、隣を歩く母が怪訝な顔を向けてきた。


「な、なんでもない」


 ユスティーナは慌てて取り繕う。

 一応公爵家の娘なのだ。外では猫を被らなくてはいけない。


 新郎新婦それぞれの親族との顔合わせの席で、リディウスの隣に座っていたのは、数か月前にユスティーナが女子歌劇団の劇場で見かけて、理想のお姉様認定した、あの女性だったのだ。

 二度見したが、見間違いではない。というか、あんな美人がそうそういるはずもない。彼女の母、ファレンスト男爵夫人も同じ顔をしていたけれど。ついでに夫人の弟だというメンブラート伯爵も同じ顔だったけれど。


(ど、どうしよう……。理想のお姉様が本当のお姉様になってしまった!)


 理想のお姉様改めフレアディーテは緊張を宿しているのだろう、やや硬い表情だ。

 その隣に陣取る兄リディウスはといえば。

 これまで見たことがないくらいにやけた顔つきである。あんな顔もできるのか、とびっくりした。


(どうしよう……。お母様を前にしたお父様と同じ顔をしているわ)


 これはこれで少しだけ引いた。何せ、父ときたら母のこととなると普段の理性的な言動が途端におかしくなるからだ。


 さて、理想のお姉様とどうやって仲良くなろうかと意気込んだものの、結婚式の場でのユスティーナはほぼ空気であった。

 新郎の家族枠という当事者から若干遠い立ち位置、しかも社交デビューもしていない十五歳となれば、大抵の場合蚊帳の外なのである。

 せいぜいが「今日からよろしくお願いします。お姉様」というくらいであった。

 もっと仲良くなりたいのに! なかなか話しかける隙がない。フレアディーテの側には彼女の家族と友人がほぼ付きっきりのため、一人で突っ込んでいく勇気がなかったのだ。


 これから交流する機会はあるとはいえ、彼らはしばらくの間はアルンレイヒ住まいになる。ということは理想のお姉様フレアディーテとは、年に一、二度しか会えなくなる。


 ユスティーナは晩餐会の席で母へ念を送った。できれば娘の存在を思い出してほしい。そしてフレアディーテとの会話のきっかけを作ってほしい。

 じーっと見つめるも、大人たちは大人たちで宴席を楽しんでいる。


「そういえば、娘のユスティーナはずっと女性の姉妹がほしいと言っていたんだ」


 助け舟を出してくれたのは父であった。


「あ、あの! わたしのことは気軽にティーニャ、いえ、ティーナと呼んでほしいです!」


 なんたることだ。噛んでしまった。

 しかしフレアディーテは緊張を宿した微笑みで頷いた。


「わたしのことはフレアと呼んでね。……ティーナ」

「あ、ありがとうございます! フレアお姉様!!」


 ああもう感無量だ。やっとできたユスティーナだけのお姉様だ。寄宿学校の先輩は後輩全員のお姉様だけれど、兄リディウスの妻であるフレアディーテはユスティーナだけのお姉様なのだ。

 控えめに言っても最高だ。仲良くなったらお揃いの装身具を買いたい。もしくは鞄。色違いのリボンも憧れだ。よし、全部やろう。秒で決めた。



 結婚式とその後の晩餐会はつつがなく終了し、兄とフレアは新婚旅行へと旅立っていった。

 フレアディーテは父と叔父から溺愛されているようで、滞在中二人の紳士はずっとこの世の終わりのような顔色をしていた。そしてそれを彼女の母がことあるごとに諫めていたのが印象的だった。

 過保護な父と叔父を持つと結婚するのも一苦労だなあと思った。


「ティーナはしばらくお嫁に行かなくていいからね」


 父も大概であったが。


 さて、ユスティーナは両親と共に列車に乗ってフラデニアへの帰路に就いた。

 再び寄宿学校生活を送ることになったユスティーナの目下の楽しみは次にフレアディーテと会う時に一緒にしたいことリストを作成することだった。


 季節が過ぎ、年が明け、フラデニアの建国記念がやって来た。

 なんと兄夫婦が帰国するというのだ。結婚式後に一度もフラデニア国王へ挨拶をしていないことを兄の上司が憂いて、帰国しろと促されたらしい。

 というわけでこの機会に領地へも赴くことにしたのだと両親から手紙をもらい、ユスティーナも久しぶりに領地へ帰ることに決めた。


 当日はリーヒベルク家で雇われている付添婦が寄宿学校まで迎えに来て、彼女と一緒に列車に乗り領地へと帰って来た。

 両親と兄夫婦は翌日帰郷の予定だ。一日早く戻ることにしたのは、まだ社交デビュー前で建国記念の夜会への出席資格がないのと、領地でフレアディーテをおもてなしする準備のためだ。


「早く帰って来ないかなあ」


 家政頭と執事に、くれぐれもフレアお姉様に失礼のないようにと念を押しまくり、ユスティーナはその時を待った。


 そうして両親と一緒に帰郷した兄夫婦の兄を押しのける勢いでユスティーナはフレアディーテの腕を取り、サロンへ連行……もとい案内しようとした矢先。


 兄リディウスがフレアの反対側の腕を取ったため、お姉様を挟んで兄妹の争いが勃発したのだった。

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