第2話 社交シーズンのはじまり

 まったく予期せぬ出来事が降りかかってしまった。まさか自分の身に政略結婚が降りかかってこようとは。

 兄のかけおちを応援するどころではなくなった。ユディルは深く考えることもなく兄に応援の言葉を掛けた過去の自分の行為を呪った。おかげでユディルにお鉢が回ってくることになった。


 ユディルの心の中はどんよりした曇り空だが、外の天気は爽やかな青空で、庭園には大勢の人で溢れている。みな楽しそうなことで何よりだ。


ユディルは色とりどりのドレスで着飾った婦人たちとフロックコート姿の男性たちを眺めながら小さく頭を振った。老若男女問わず多くの人々で溢れるここは、フラデニア王国の国王のおわすルーヴェ・ハウデ宮殿の庭園。


 社交シーズンが始まったこともあり、多くの貴族たちが領地から王都ルーヴェへと出てきており、王妃主催の園遊会は大いに賑わっている。

 今年は特に例年以上に華やかな年になりそうだ。


 それというのも。


「ご出産おめでとうございます、王太子妃殿下」


 王太子妃オルドシュカが貴族に声を掛けると、みんな揃って今年の冬に生まれた小さな殿下誕生の喜びを口にしていく。王太子妃はその都度艶やかに微笑む。


「此度は本当に、本当におめでとうございます」

「我ら国民、新しい命の誕生を待ち望んでおりました」

「妃殿下おめでとうございます」


 園遊会で王太子妃は順番に招待客に声を掛ける。そのたびに祝いの言葉を返され、オルドシュカは楚々とした笑みでありがとうの言葉を繰り返す。


 豪奢なドレスで着飾った王太子妃の周囲には同じく、それぞれ色とりどりのドレスを身に纏った婦人たちが付き従っている。王太子妃付きの女官たちだ。今日のためにドレスを新調し、華美にならないよう気をつけながら髪をまとめた彼女たちは王太子妃オルドシュカの話し相手や身の回りの世話をする専用の女官。王族付きの女官はみな貴族階級の女性から選ばれる。


 その中に、夕焼け色よりも少し明るい赤毛を肩口のラインでバッサリと切りそろえた女官がいる。それがユディル・ディラ・ベランジェ伯爵令嬢だ。短い髪の毛のユディルは何かと目立つ。貴族の女性たちは髪が長いのが普通だからだ。市井では短い髪の毛の女性をちらほら見かけるのだが、貴族階級で短い髪の毛というのは稀、いやユディルしか存在しない。


 ユディルと顔を合わせる人間はユディルの容貌に一度は驚く。しかし三年近く宮殿勤めをしていれば好奇な視線を受け流す術くらい身に着けている。


 あらかたの貴族との挨拶を済ませたオルドシュカのために冷たい飲みものを渡して、彼女が嬉しそうに口をつけていると王族の婦人が近づいてきた。


「ごきげんよう、妃殿下。それから皆様方も」


 薄い金髪に白いものが混じり始めた彼女は先代国王の末娘フランチェスカだ。現在在位三十五年になる現国王の妹でもある。時候の挨拶を済ませた彼女はユディルに笑いかけてきた。


「ああやっぱりいいわねえ。その髪型」


 うっとりとした瞳はいつものこと。彼女は観劇が大好きで、そのせいで他国に嫁ぐことを嫌がり現在も独身を貫いている。前国王も六人いる娘すべての嫁ぎ先の面倒を見るのはたいへんだったのか、一人くらいは手元に残しておくかと考えたのか、フランチェスカの好きに任せた。フランチェスカは現在も宮殿の一角に住まい、主に芸術方面での文化育成と保護をメインとした公務に携わっている。決して観劇だけしているわけではない。


「ありがとうございます」

「また今度、女子歌劇団の公演に付き合ってちょうだいね」

「はい。よろこんで」

「ほんとうは、あなたが男役の衣装を着てくれたらとっても嬉しいんだけれど」


 短い髪の毛のユディルはしょっちゅうフランチェスカから男役の衣装を着てほしいと懇願される。ルーヴェでは最近女性だけの歌劇団が一大ムーブメントなのだ。役者が全員女性のため、当然男役も女性が演じる。女性が憧れる男性を演じる女優たちの人気はすさまじく、彼女たちの中にはかつらではなく本当に髪の毛を短く切る者もいるから、この数年ルーヴェ市民の中には彼女たちに憧れて短髪にする女性も現れ始めている。

 フランチェスカは髪の短いユディルに、男装をさせたくて仕方がない。専用の女官にと誘われたこともあるくらいだ。


「あはは……それは、考えておきます」

「うふふ。是非にね」

 フランチェスカは扇を口元に持ってきてほほほと微笑みつつ去っていった。


「相変わらず気に入られているわね」

 先輩女官でもあるリュシベニク夫人が声を掛けてきた。

「実際、フランチェスカ様のおかげでわたしが短い髪の毛のままでも許されていますから。ありがたい限りです」


 ユディルの髪の長さに眉を顰める年配者も、フランチェスカが「あら、いいじゃない」と言うことには逆らえない。当初は眉を顰めた宮殿女官長ですら仕方ない、としぶしぶ認めてくれたのだ。とはいえフラデニアはもともと文化発信元の国としても知られていて、人々も新しいものや流行には寛容なところがある。他の女官たちも面白い子ねとユディルの短髪を寛容に受け止めてくれている。


「ここはルーヴェですもの。新しい流行りはどんどん取り入れて行かないと」

 今度はカシュナ夫人がにこりと微笑んだ。

「じゃあカシュナ夫人もわたしと同じ長さにしてみます?」

「わたしは遠慮しておくわ」

「もう」


 誘ってみたらあっさりかわされてしまった。まだまだ貴族階級の女たちに短髪は根付きそうもない。やってみると髪の手入れが楽でお勧めなのだが。


「とはいえ、あなただって別に特別に短髪にこだわりがあるわけでもないのでしょう?」

 オルドシュカが会話に加わった。

 現在庭園内ではいくつものグループができあがり、それぞれが会話に興じている。ユディルたちはオルドシュカを天幕の下へと誘導する。


「最初のきっかけは持ち上がった縁談が嫌ってだけだったんですけどね。そのあとは、流れでしょうか。伸ばし始めたら縁談持ってこられそうっていうのもあったんですけど」

「最初の縁談がそんなにも嫌な相手っていうのも気になるところだけれど」


 オルドシュカの問いかけにユディルは「そこは、相手の名誉のために黙秘します」と毎度同じ答えを口にする。さすがに、自分の好みの問題でもあるから相手の名前は出せない。


(最初の縁談がまさか公爵の後添えとか聞いたら、そりゃあ逃げ出したくもなるってもんよ)


 口には出せないがユディルは心の中で呟いた。十七歳のとき、社交デビューを果たしたユディルに持ちあがった縁談があった。公爵家からの話で、両親もとてもびっくりしていた。何しろユディルは自他ともに認めるお転婆娘だったから。ユディルは自分の将来にかかわることが勝手に決められることをよく思わなくてつい両親の話を盗み聞きしてしまった。そして、聞こえてきたのが。


(まさか公爵の再婚相手だなんて。さすがに十七の娘にそれはちょっと……いや、盛大に駄目でしょ)


 話を聞いて驚いたユディルはこれだけやれば相手も引くだろうと考え、髪の毛を短くして親戚のおばを頼って宮殿に逃げ込んだ。そのあと運よくオルドシュカ付きの女官になることができた。あのときは伯爵家の娘でよかったと思った。


「けれども、ユディルもこのあいだ二十歳になったのでしょう。そろそろ、前向きに新しい出会いを探す頃合いだと思うのだけれど」

「うっ……」


 最近定番の話の流れになったユディルはあからさまに動きを止めた。結婚して五年ほど子供のできなかったオルドシュカだったが、ようやく身籠り、男の子を出産した。未来のフラデニア国王を産んだことで彼女は長年の重圧から解放された。自身が大仕事をやりきりすっきりしたのか、彼女は最近ユディルの結婚について色めき立っている。


「そ、それは……まあ。また今度」


 ユディルはそろりと後ろに下がった。

 オルドシュカと彼女に仕える女官三人の顔がこちらに注目している。ユディル以外の三人の女官たちはみな結婚をしている。二十四歳になったオルドシュカは右も左も分からず女官になったユディルを、暖かく見守ってくれていた。それは女官たちも同じで、時に厳しく時に優しく指導をしてくれた先輩方もユディルの今後はどうにも気になる模様。それというもの、この時代貴族の娘は社交界デビューをする十七前後には婚約者がいる者も珍しくないし、二十の年を越えてしまうと行き遅れと言われてしまうからだ。

 ユディル自身先日父から結婚しろ、と通告された身ではあるがまだ実感はわかない。


「わたし、ちょっとお花摘みに……」

 ユディルはそそくさとその場から逃げ去った。

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