【8/28書下ろし次世代編発売予定】子づくり結婚! ~公爵令息はちょっぴりツンな新妻を溺愛したい~

高岡未来@9/24黒狼王新刊発売

本編

第1話 兄のかけおち

 王太子妃付きの女官として働くユディルの元を父であるベランジェ伯爵が訪れたのは、初夏の日差しが青々とした新緑の木々を照らす、ある晴れた日のことだった。急に会いたいなどと人の都合も聞かずに宮殿に押しかけてきた父である伯爵は、ユディルの小言を聞き流し、一通の封筒を手渡した。


「なあに、これ?」


 ユディルは受け取った封筒に眉を顰める。開けた形跡があり、裏を返すと兄、アルフィオの名前が書いてある。


「いいから読みなさい」


 ベランジェ伯爵が固い声を出し、目線でユディルにさっさと手紙を取り出せと指示してきたのでユディルはこれ以上の文句を諦めて封筒の中から便箋を取り出した。これでもユディルは忙しいというのに。一体この手紙がなんだというのだ。便箋は一度ぐしゃりと握りつぶされたのか皺が寄っていた。

 ユディルは文面に目を走らせ、しばらくしたのち口をぽかんとあけて、それから立ち上がり叫んだ。


「駆け落ち⁉ ナニソレ! 聞いてないっ‼」

「手紙にはユディルに励まされたと書いているが」


 娘の前に座るベランジェ伯爵の恨みがましいうめき声が聞こえてきたが、ユディルの耳には入ってこない。心臓がばくばくと脈打っているところを必死に宥めて、もう一度便箋の文字を追った。


『拝啓、父上。

 親不孝な息子をお許し下さい。私には愛する人ができました。しかし、彼女はこの国の人間ではありません。外国人で、彼女は貴族階級でもありません。信じる神も違います。しかし、私と彼女は愛し合っています。けれども、この愛を貫き通すとしても、この国の貴族社会は彼女を受け入れることを拒否するでしょう。ですので、私は彼女と共にこの国を去ることにしました。廃嫡をしてくださってかまいません。廃嫡の書類を同封しておきます。控えは公証人の元に預けてあります。

中略―

最後に、ユディルによろしくお伝えください。彼女の励ましがあって、この決断を実行する勇気を持つことが出来ました。ユディルの幸せを祈っています―』


「なぁぁぁんですってぇぇ‼」


 ユディルは叫んだ。女官として勤め始めてから、わたしは女優だと心に言い聞かせて嫌味を聞き流す術も身に着けたし、猫を三匹くらい被る術も身に着けた。会得した術を取っ払うくらいにユディルは仰天した。年に数度会うか会わないかという間柄だった兄、アルフィオに恋人がいたことも驚きだったし、駆け落ちしたのも信じられない。しかも、手紙の中で兄はユディルに励まされたと言っている。ユディルは頭の中でいったいいつ自分がアルフィオのことを励ましたのかと思い返し、そういえば珍しく兄がたまには屋敷に帰ってこいとか連絡を寄越してきたから半月ほど前に王都ルーヴェにあるベランジェ伯爵家の街屋敷に帰ったことを思い出した。


「手紙にはユディルに励まされたと書いているが」

「ちょっと待って! わたし、いつ励ましたのよ⁉ 何にも聞いていないわよ」


 ユディルは必死になって兄との会話を思い出す。確かあの時兄アルフィオはユディルの王宮勤めについて珍しく褒めていた。持ち上がった縁談が嫌でバッサリ髪を切って親戚を頼り宮殿に逃げ込んだユディルは女官としての働き口を見つけ、もうすぐ丸三年。王太子妃付きの女官として日々忙しく立ち回るユディルに対して、なにか憧憬のような瞳を向けてきて確かこう言った。「ユディは、思い立ったら一直線なところがあるからね。たまに眩しいよ」と。


(たしか、そのあと……、お兄様ったら私にもそういう生き方ができるだろうかって自問するんだ、とかなんとか言うから……わたし……)


 ユディルは、脳内で兄妹の会話を再現する。目の前に妹がいるのに、どこか心ここに非ずで、少し遠くを見ているような雰囲気だった。だから、てっきり父親と領地経営の意見でも対立しているのかと思って叱咤激励したのだ。


 そういうことを父に言うと、ベランジェ伯爵は「で、なんて言ったのだ。おまえは」と先を促すから素直に吐いた。


「たしか……目の前にやりたいことがあるなら、やればいいのよ。酷い縁談だってやりようによっては逃げきれるってことをわたしは十七の時に学んだわ、的なことをガツンと一発」

「なんてことを言ってくれたのだ! あれでアルフィオは駆け落ちを決意したんだぞ」

「だってぇ、そんなこと一言も言ってくれなかったもの」


 娘の主張を聞いたベランジェ伯爵は椅子の背もたれに体重を預けた。なにやら、少し老けたような気がする。


「それで、他にあいつはなにか言っていなかったか?」

「ええと……わたしは強いね。とか、これからもそうやって強く生きていくんだろうねとかなんとか」


 これといって具体的な話もせずに兄妹は適当に世間話をして別れた。たまには話でも、とアルフィオのほうから誘ってきたのに、そういえば具体的に今自分は何をしていてとか、そういう話は一切なかったことをユディルはいま思い出した。


「やれやれ……アルフィオからなにも聞いていないのか」


 困った、と父は何度もため息を吐いた。

 ユディルとしてはあの兄に恋人がいること自体が初耳で、胸の中は大いに騒がしかった。兄の恋人は外国人で貴族階級でもなく、しかも信じる神も違うとのこと。最近ルーヴェで流行っている恋愛小説の様ではないか。しかも、駆け落ちをしたのだ。爵位よりも愛を取ったのだ。そんな情熱的なことを、あの兄がするとは。言ってくれたら協力は惜しまなかった。


「あいつが街の娘にのぼせているのは掴んでいた。愛人ならともかく、正妻になど出来るはずも無いと釘を刺しておったのだが……」

「なっ。お父様だけずるいわ。わたしもお兄様の恋人に会いたかった」


 四つ上の兄とはもちろん恋愛話などしたこともないし、いつもすました顔をしていたあの兄が恋人相手だとどういう顔をするのか想像もつかない。なにより、彼は一体どんな女性を選んだというのか。だって兄は何もかもを捨てて恋人だけを選んだのだ。なんて情熱的なのだろう。


「おまえは呑気にルーヴェで流行っている恋愛劇や小説みたい、素敵とか思っているかもしれんがな。これは大問題だ」

「いやね。分かっているわよ。問題よね」

 図星を指されたユディルは大げさに首を上下に振った。さすがは父、娘の思考回路などお見通しだった。

「そうだ。大問題だ、あいつがショックで寝込んでしまうくらいに問題だ」


 伯爵夫人、すなわちユディルの母は寝込んでしまったのか。無理もない。手塩にかけて育てた伯爵家の跡取り息子が行方をくらませたのだから。

 と、そこでユディルの中で胸騒ぎが起こった。アルフィオはベランジェ伯爵家の長男で、将来はベランジェ伯爵家を継ぐ身の上だったのだ。その兄が、廃嫡の書類まで同封してかけおちすることを選んだ。


(ま……まさか……)


「はあ……。ようやくおまえも事の重要さが理解できたようだな」

 ベランジェ伯爵は長い息を吐いた。

「おまえがこれまで自由にしてこられたのは、アルフィオがいたからだ。彼が出奔した今、我がベランジェ伯爵家は円滑な爵位継承のために、策を講じなければならない。ユディル、おまえは伯爵家のために今すぐに結婚相手を見つけろ」


「う……」

(嘘でしょぉぉぉっ!)


 兄のお鉢がユディルに回ってきたことを理解した彼女はその場で頭を抱えて心の中で盛大に叫んだ。



あとがき

新連載はじめました

https://kakuyomu.jp/works/1177354055050310955

『黒狼王は身代わりの花嫁を寵愛する』

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