第3話 結婚相手の条件

 お手洗いに行った帰り道。ユディルは辺りを見渡した。王妃主催の園遊会は大盛況だ。今日の日のために準備をしてきたのだから晴れてくれてよかった。

 ユディルは改めて会場内にいる男性たちの顔を吟味する。


(結婚ねぇ……。たしかに今のままではまずい。お兄様が爵位継承権を放棄しちゃったんだから次の伯爵を継ぐ人間が必要になるのは分かる……)


 フラデニアの法律では貴族の爵位は男性しか継ぐことはできない。今ベランジェ伯爵になにかあれば爵位は長男であるアルフィオの元に行く。しかし、彼は廃嫡の書類に署名をし、それを親と公証人に託して出奔をした。そうなると次に伯爵家を継ぐ権利があるのは父の弟であるバルトロメウス。順当な継承だが、問題がある。叔父は結婚はしているけれど子供はいない。


(はぁぁぁ~。叔父様の次が問題なのよね。叔父様の次となると叔母様の息子であるルドルフかもしくはアランにいくのか、はたまた別の遠縁か。そうなるとお母様をきちんと立ててくれるかどうかも分からないし。そりゃあお父様がわたしに結婚しろって言うわけだわ)


 兄、アルフィオの駆け落ちは現在のところ伏せられている。彼の廃嫡が世間に知られる前にユディルは後ろ盾のある、しっかりとした家の息子と結婚しなければならなくなった。なにしろ貴族の爵位継承というのはとても繊細で、人々の思惑の孕む問題だからだ。当主の嫡男がいれば問題ないのだが、直系男児がいない場合というのが問題だ。一族の血を引く男性たちの中から爵位を継ぐ者を決めなければならないが、親族それぞれが自分にうまみのある男性を推してくる。そうなると継承は大いに揉めることになる。


 ベランジェ伯爵が心配しているのもここだった。自分の弟に爵位が行くのは順当なのだが、問題はその後だ。叔父には子供がいない。父の妹は子爵家に嫁いでおり、その息子が権利を主張するだろう。ベランジェ伯爵家の血を継いでいるのだから、予想の範囲内だしベランジェ伯爵は選択肢のひとつとして甥のルドルフかアランでもよいか、と考えている節があるがそれは最終手段だとも思っている。ここの兄弟はどちらも性格に少々難があるのだ。


「おいユディ。こんなところにいたのか。相変わらずだな、その髪。まあ、派手な赤毛が目立たなくておまえとしてはましかもしれないけど」


 噂をすればなんとやら。

 従兄のルドルフが声を掛けてきた。隣には彼の父でもあるダングベール子爵もいる。彼はユディルの父の妹の息子だ。親子は同じ金茶の髪をしている。二つ年上のルドルフはもうすぐ大学を卒業する。


 子爵の方は息子よりも横に育った体をいくぶん重そうに揺らしている。ルドルフの弟のアランは今日は来ていないようだ。来ていたら分かる。母に似て優しい顔立ちをしている彼は売れない役者兼詩人をしている。趣味道楽に耽る典型的な貴族の末息子を地でいっている。女性受け(おもに既婚女性)だけはいいから、いればどこかで歓声が上がっているはずだ。


「ルドルフ。いつの間に」

「おまえがぼんやり歩いていたんだろうが」

「ああそう。わたし、忙しいの。王太子妃殿下の元へ戻らないと」

 ユディルは面倒な男二人に構わず歩き去ろうとするが、ルドルフがユディルの腕を掴んだ。

「まあそう言うなよ。父上がおまえに話があるんだと」


 勝手に触ってきたルドルフにユディルは眉を顰めた。小さなころから付き合いのある従兄とはいえ、成長し互いに大人なのだ。こういう気安い態度は慎むべきなのにこの男は相変わらずだ。この男は昔から年下の従妹であるユディルを我が物顔で虐げようとする。そういうところが大嫌いなのだが、あいにくと伝わってくれない。


「なんでしょうか」

 ユディルは腕を動かしてルドルフの手を振り払う。

「王太子妃殿下の元に戻るなら私も是非伺おう。ユディル、もう何回も言っておるだろう。私をもっと王太子夫妻に売り込めと」


 同じ主張をされたユディルはげんなりとした。結婚をしてから長年身籠ることのなかったオルドシュカにフラデニア貴族社会は冷たかった。元々彼女はフラデニアの南東の隣国レイティス公国の王女だった。完全なる政略結婚だったが、夫婦仲は悪くはなく周囲はこれならそう遠くないうちにめでたい知らせを受けるだろうと考えていた。しかし、夫婦仲は良好なのにオルドシュカは一向に身籠らなかった。そうこうするうちに嫁いできて数年が経過をした。ここまでくると最初の楽観論はどこへやら。周囲のオルドシュカに対する風当たりは強くなる一方で、しかも王太子に別の女をあてがって、できた子供をオルドシュカが産んだことにしてしまおうなどという強硬論まで持ち上がる始末。


 目の前の叔父だって、昨年まではオルドシュカに仕えるユディルのことなんてちっとも構っていなかったのに、小さな殿下が生まれてから手のひらを返した。未来の国王を産んだオルドシュカに今の内からゴマをすっておけとばかりにユディルに橋渡しを頼むのだ。


「オルドシュカ様はご多忙なので」

「なんのための園遊会だ。貴族との交流を深める場だろう」


 だったら自分一人で行け、と言いたくなる。ダングベール子爵家はこれといって可もなく不可もない普通の貴族。もちろん王族とのコネクションなど無い。大した実力の無い子爵だがユディルを使えば自分にも日の目が当たると信じているところからして小物だ。


「おい、俺の父上が頼んでいるんだぞ。それとも、ベランジェ伯爵家のお嬢様はお高くとまっているって、そういうことか? ユディのくせに生意気な」

「小さいころから可愛がってやっただろう。年上の指示には従っておくべきだぞう」

「ま、こんなおまえでも貰っておいてやったら、次に王太子妃殿下が子供を産んだときの乳母くらいにはなれるかもしれないしなぁ。どうだ、俺といますぐ結婚でもするか」

「絶対にお断りよ」


 ユディルは反射的に答えた。

 やっぱり、こいつとの結婚なんて絶対に無理だ。人を下にしか見ていない赤毛を馬鹿にしまくった態度の男を夫になどできるはずもない。仮にルドルフと結婚をしたらベランジェ伯爵家はいいようにされるだろう。


「ふん。冗談だよ。おまえみたいな貧相な赤毛の女の行き遅れ」

 それに俺は強情女なんて好みじゃないしな、とルドルフに言われてユディルは頭の血管が切れそうになった。こっちにだって選ぶ権利というものがある。

「お互いに意見が一致したところで、もう話も終わりね、ごきげんよう」


「まて。ユディル」

 子爵が追いすがる。


 ああもう、しつこいなと思ったその時。


「ユディ、妃殿下が探していたよ」


 別の男性が会話に入ってきた。ユディルはその声の主を認めて苦い顔になる。今日はどうして次から次へと嫌な奴がやってくるのだ。ああそうだ、園遊会だからだ、と脳内で突っ込みが入った。


「リーヒベルク卿」

 ルドルフが苦い顔をして近づいてきた青年の名を呟いた。

「ユディ、ほら急いで」

「そうね。じゃあ叔父様、ルドルフ、ごきげんよう」


 ユディは面白くなかったけれど、相手の助けに乗ることにした。リーヒベルク卿ことエヴァイス・レヴィ・リーヒベルクにはあの親子も敵わない。なにしろ彼は由緒正しいリーヒベルク公爵家の嫡男で、将来有望な政治家として何かと注目を集めているから。

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