第4話 女にも虚勢は必要です

 ユディルはエヴァイスと並んで歩き出す。すると、周囲の耳目を集めているような気がしてきて、少しだけ居心地が悪くなる。眉目秀麗な公爵家の嫡男に注目をしている女性は多いのだ。既婚未婚に関わらずエヴァイスは人々の関心を集める。


「従兄とは相変わらず仲いいんだね」

「あれのどこを見て仲がいいだなんて言えるのか……理解に苦しむけれど」

 エヴァイスの言葉を受けてユディルが苦い顔をする。ただ絡まれていただけだ。

「そのわりには……いや、いいや」

 ユディルは早歩きでオルドシュカの元に戻ろうとする。なぜだかエヴァイスも横を歩いて付いてくる。


「どうしてあなたも付いてくるのよ」

「ユディと一緒ならお嬢さん方が話しかけてこないから」

「あなたがわたしにちょっかいをかけてくるからわたし、いろんな子に睨まれるのよ」

「みんな私と仲良くなりたいらしい」

「あなたの性格知らないからそういうこと言えるのよ。みんなリーヒベルク公爵家の肩書に騙されているんだわ。本当のあなたは嫌味な男だっていうのに」


「私は優しい性格をしているよ」

「優しい性格をしている人間は初対面の女の子に向かってにんじん色の髪の毛なんて言わないし、赤毛を馬鹿にしないわよ。馬鹿エヴァイス」

「それは誤解だ。私はきみの髪色と似た色のにんじんが食べられないのかって尋ねたんだ。べつにユディのことを馬鹿にしたんじゃなし、きみの髪の毛の色は好きだよ。美味しそうで」

「それが馬鹿にしているっていうのよ」


 二人は歩きながらぽんぽん言い合う。ユディルが彼と出会ったのは十四歳の頃のことだった。彼はルドルフともまた違う天敵のような男だ。

 ユディルは昔からにんじんが大の苦手だった。独特の青臭さと味が小さいころから大嫌いで、それなのに大人たちは好き嫌いは駄目だと言ってユディルににんじんを食べさせようと頻繁に食卓ににんじん料理を乗せた。その日の昼食も例にもれずで、にんじんのポタージュスープが出された。嫌なものは嫌、料理方法を変えても味まで変えられないではないか。


 ユディルはポタージュスープの入った器を抱えて部屋から出た。使用人がいなくなった隙に別の部屋へと移動をして、窓の外にスープを捨てた。悪いことだと思ってはいたが、それでも苦手なものは苦手。お庭の養分にでもなってください、と念じながら捨てていると下から「うわぁっ」と男の人の声がした。運悪く下を通っていたのは父の客人の息子で、公爵令息のエヴァイス。ちょうど大学の夏季休暇中で、ベランジェ伯爵家の領地を訪れていたのだ。


「わたし、あのときちゃんと謝ったじゃない。たしかに、スープを窓から捨てたのは悪かったと思ったし。あなたはわたしの被害者だったから。それなのに、そのあとの言葉は余計だったわ」


 この男はユディルの髪を見て、自分と同じ色の食べ物だから親しみも湧くだろうとか言ったのだ。気にしている赤毛を馬鹿にされたと頭が沸騰したユディルはそのあと思い切り彼の足を蹴ってやった。赤毛を馬鹿にする人間は誰であろうと成敗の対象だった。まあ、そのあと家庭教師と両親にこっびどく叱られたのだが。


「きみが赤毛をそんなにも気にしているだなんて知る由も無いだろう? あのとき初対面だったんだから」


 エヴァイスはユディルに向かって毎度おなじみの言い訳を口にする。このやり取りはすっかり定番と化している。初対面の不幸な事故だけれど、ユディルの癇に障ることにエヴァイスはそれはもう見事な金髪なのだ。太陽の光のような混じりけの無い金色の髪を彼が持っていることもユディルのコンプレックスを刺激する。


「そこは空気で察しなさいよね! なによ、ちょっときらきらの金髪だからって。赤毛を馬鹿にし過ぎなのよ」

「それこそ被害妄想ってものだろう。だいたい、そのあとユディは私に一発蹴りを入れたんだからおあいこだと思うけれど」

「そのあともおてんば娘とか言って人のことからかってきたじゃない」

「本当のことだろう? 十四にもなって蹴りを入れるとか」

「う、うるさいわね」


 二人は初対面の時からこうやって喧嘩ばかりしている。

 ユディルにとって赤毛を揶揄されることは一瞬で気分を害される酷い屈辱のようなものだった。物心ついたころから従兄のルドルフに赤毛を馬鹿にされ続け、そして物語でも悪役に限って赤毛なのだ。例えば恋愛小説や舞台の中でヒロインを苛める悪役令嬢は大体赤毛だった。そのおかげで自分の髪にすっかり自信を無くしたユディルである。


「ユディはいまもすぐに足が出るから私は心配だよ」

「あなたに心配してもらわなくても結構よ」

「いや、きみじゃなくてきみに蹴られた人間がさ」

「今すぐにあなたのこと蹴り倒してあげましょうか?」

「いや。遠慮しておくよ。今私が怪我をしたらお嬢さんたちが悲しむし」

「それって、今年の王家主催の舞踏会で自分はいろんな人からパートナーに望まれているって自慢かしら?」


 二人は笑みを保ったまま嫌味の応酬合戦を繰り広げる。息の合った掛け合いだが、あくまで小声。周囲からは仲の良い二人にしか見えず、年頃の令嬢たちは遠巻きにやきもきしつつ二人を見守っているのだがユディルは気が付かない。


「今年も壁の花確定なら、一曲くらいなら踊ってあげてもいいよ」

「おあいにく様。わたしだって相手の一人くらいいるんですからね」

「へえ。どこに? まさか小説の中とか言うんじゃないだろうね?」

 ユディルは立ち止まり、ぴしりと宣言をする。


「わたしだって、伯爵家の娘なのよ。いつまでもわがままが許されないことくらいわかってるもの。今年は、あなたにもよいご報告ができそうね」


 少し優雅に、それでいて確信めいた口調で微笑むとエヴァイスの纏う空気が変わった。


「ちょっと待て。どういう意味だ、ユディ」


 さきほどの余裕の色を完全に落とした彼は瞠目してユディルを見つめる。こんなにも余裕のないエヴァイスの顔を見るのは初めてかもしれない。ユディルの心がとてもスカッとした。


「そのときが、来たのよ。わたしにも。だからこれからは心配してもらわなくても結構よ。一応あなたもわたしの遠縁なのだから、結婚式の招待状は送って差し上げるわ。では、ごきげんよう」


 ユディルはドレスのスカートを優雅に持ち上げ礼をして立ち去った。

 完全に行き遅れだと思い込んでいるユディルが結婚の話をほのめかしたのが相当に衝撃だったのか、エヴァイスはユディルに反撃することもなく呆然としていた。いつも人のことをおてんば娘とからかっていた男の、ああいう呆けた顔を見ることができてユディルはとても爽快な気持ちになった。

 しかし、得意気に言ってはみたものの相手にはまるで心当たりがない。しかもベランジェ伯爵家の爵位継承に有利になる、力を持った家の男性が必須要件。


(心当たりが無くたって、女にだってはったりが必要なのよ!)


 男っ気の無いユディルに結婚話が出ていると知ったときの彼の表情ときたら。亡霊にでも会ったかのように顔から色が抜け落ちた。人をさんざん馬鹿にするからだ。ユディルだって貴族の家の娘なのだからその気になれば縁談の一つや二つ舞い込むはずなのだ。


 エヴァイスにここまで大見得をきってしまったのだから、ユディルも腹をくくるしかない。あれだけのことを言っておいて結婚式の招待状がいつまでも届かなければ、ほれみたことかと更に馬鹿にされることは必至。それだけは絶対に避けたい。


(よし。あとはお父様になんとかしてもらおう)


 条件をいくつかつけておけばあとは父親であるベランジェ伯爵がどこからかお眼鏡にかなう男性を見繕ってくるだろう。


 後ろなど振り返ることもなく歩き去ったユディルは、呆然と彼女を見送ったエヴァイスが顔面を蒼白にしながらも「嘘だろう……ユディ」と呟いたことも、彼がその後急いで王太子妃と面談の約束を取り付けたことも知る由も無かった。


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