第12話 夫の態度がおかしいです

「えっ……でも」

「夫婦で初めて迎えた朝だしね」


 エヴァイスは水差しを持ち上げてガラスのカップに注いだ。レモンでほんのりと香りをつけたそれを受け取ってユディルはゆっくり飲み干した。思いのほか喉が渇いていたようだ。


(そ、そりゃあ昨日あんなにも……)


 と、考えその先を思い出さないように思考を停止させる。今更ながらに、彼とのあれやこれを思い出して、どういう顔を作っていいのか分からなくなった。彼はユディルのすべてを見たのだ。


(ひゃぁぁぁ……)

 顔に熱が集まってきて、たぶん今のユディルはさくらんぼよりも赤いに違いない。


「どうしたの、ユディ、痛む?」

「え、いえ。あ……多少の違和感は……」


 改めて問われると、自分は彼といたしてしまったのだと痛感した。それにしても行為の後はどういう顔をすればいいのだろう。エヴァイスは特段変わったところがなく、普通にユディルに話しかけてくる。なんだか悔しい。ではユディルも同じように平然と彼の顔を見ればいいのに、なぜだか胸の奥がこそばゆくて、ちらちらとしか彼の顔を見ることができない。


 戸惑っていると、使用人が朝食を持ってきた。

 寝台の上に簡易テーブルが設えられ、その上には温められたパンと卵料理、冷たいオレンジジュースなどが置かれていく。


「ユディ、口を開けて」

「え……」

 パンを小さくちぎったエヴァイスがなぜだか待ち構えていて、ユディルは「じ、自分で食べられるから」とそっぽを向いた。


「ユディ」

 もう一度名前を呼ばれた。

「わたし、もう二十歳なのよ。子供扱いしないで」

「可愛い妻にパンを食べさせてあげるのが夫の役割というものだよ」


 その言葉を聞いたユディルの時が止まった。一体どうしたというのだろうか。これまで彼がこんなことをユディルに言ったことがあっただろうか。いや、無い。脳内で自己完結をしたユディルはまじまじと夫を見つめた。


「どうしたの?」

「今日のあなた……へんよ」

「そうかな」


 エヴァイスはまったく身に覚えがなさそうにきょとんとしている。いや、おかしいだろう。いつもユディルのことを可愛げが無いとかお転婆も大概にしろとか言っていたのはどこの誰だ。目の前のあなたでしょ、と言ってやりたい。


 ユディルは簡易テーブルの上からパンを取った。それをちぎって自分の口に運ぶ。すると今度は彼の腕が背中に回されて、彼の方に引き寄せられた。


「あなたね。今は朝食の時間よ」

「そうだね」


 なぜだか彼はにこやかに返事をした。一方のユディルは落ち着かない。夫の腕のぬくもりが背中から伝わってきて、どうしてだか頬のあたりがむずむずしてしまう。しかもエヴァイスは回した腕を時折動かしてユディルの背中を優しく撫でていく。エヴァイスの存在をものすごく近しく感じてしまい食事どころではなくなってしまう。先ほどの口付けといい、身体の奥に小さな火が灯るようだった。


「わたしに構っていないであなたも早く食べたらいいじゃない」

 このままではらちが明かない。ユディルはびしりと夫に注意をした。するとエヴァイスはあろうことかユディルがちぎったパンのかけらにぱくりと食い付いた。


「ひゃぅ」

 ぺろりと指も舐められてユディルは変な声を上げてしまう。

「ちょっと!」

 ユディルが抗議の声を上げても彼は楽しそうに笑みを深めるだけだった。どうしてこんなことになっているのか。ユディルは混乱する。それでもキッと彼を睨みつけてやる。


「そういう顔をされたらますますきみを苛めたくなるな」

「どういう意味よ」

「そのままの意味。ユディは私が公爵家の人間だと知っても、他の人間と違って媚びを売ってこなかっただろう。それどころか、きみは私の肩書なんてまるで気にしない。だから私はついきみに構いたくなるんだ」


 エヴァイスがユディルの頬を優しく撫でた。なぜだか背中がぞくりとした。見つめ合った瞳の奥にユディルには理解できない感情が浮かんでいる。これは一体なんていう名前のものだろう。


「それって、わたしが生意気な女だって言いたいの?」

「違うよ。私はそんなきみが昔から可愛くて仕方が無いんだ。私だけを見てほしいからついからかってしまうくらいには、私はきみに夢中なんだよ」

「……っ」


 艶やかな声を出されて、ユディルは喉の奥で悲鳴を上げた。彼の言うことのすべてが理解できなかった。可愛いってどういう意味だろう。夢中って、ようするにユディルをいじめることに夢中だということか。


「だから昨日も言ったけれど、私はきみを離さないし逃がさないよ」


 ユディルは朝食を食べることも忘れて、すぐ目の前にいる夫の顔を見つめ続けた。決して見惚れているとかそういうことではない。なぜだか分からないけれど、目を逸らすことができなかったのだ。

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