第6話:春野日向は守られる

 俺がぶつかった女の子が振り向くと、それは春野はるの 日向ひなただった。

 そして間に割って入ったのは、春野と一番仲の良い女友達で、いつも春野のそばにいる高城たかしろ 千夏ちなつ


 その高城が眉間に皺を寄せて、俺をギロリと睨んだ。

 


「ちょっと秋月! 日向の大事な身体に、怪我をさせたらどうすんのよっ!!」

「ホントにごめん。ちょっとよそ見をしてた」

「ちょっとよそ見じゃないよ! 日向はこれから、アイドルとしてデビューする大切な身体なんだからねっ!」

「ちょっ、千夏!」

「あわよくば日向の身体に触ろうなんて、ほんっとに不届き千万な輩だわ」

「いや別に俺は、春野の身体に触ろうなんて気は、これっぽっちも思ってなんか……」


 高城に事実を伝えようとしたその時、横から雅彦が口を挟んだ。


「おい高城! デビューってなんだよ?」

「へへーん。日向はね。この前の土曜日に街でスカウトされたんだよっ!」


 高城は胸を張って、まるで自分のことのように自慢げに言い放った。

 さっきは焦っていたからスルーしそうになったけど、マジか?


「ちょっと千夏! まだ決まった話じゃないんだから、そんなこと言わないで!」

「でもあの時、スカウトさんはデビューを確約するって……」

「もういいからっ! ほら千夏、行くよっ!」

「ええーっ、待ってよ日向!」


 春野は高城千夏の手首をぐいっと掴んで、引きずるようして廊下を走り去って行った。

 土曜日と言えば、ウチの料理教室に来た日だ。そしてその前に、橋の上で憂いを帯びた表情の春野を見かけた。


 あの日、春野はスカウトされたってことか。



 それにしても──


 さっきの春野は、俺と目を合わせようとしなかったな。

 それほど、料理教室に来たことを、無かったことにしたいというわけか。



「おい祐也」

「えっ?」

「残念だな」

「何が?」

「春野は、もうお前の手の届かない所に行っちまったな」

「何の話だよ?」

「春野が本物のアイドルになるんなら、祐也の恋も絶対に叶わない」

「アホか。俺は春野に恋なんかしてないし」

「まあ春野がスカウトされてなくても、元々ノーチャンだったけどなぁ。いや、お前だけじゃないよ。春野と釣り合う男なんて、ちょっとやそっとじゃいないんだからさ。だから気にすんな」


 雅彦の指摘は的外れだけど、コイツなりに俺を気遣ってくれてるのはわかる。だけども俺が春野に恋をしてるなんて、勘違いも甚だしい。


「だから恋なんかしてないし、気にもしてないよっ!」

「何を言ってんだ。ボーッと春野を見てたくせに」

「見てねぇっつうの!」


 確かに俺は春野が立ち去る後ろ姿をボーッと見ていた。

 だけどあれは、ああこれで、もう春野がウチの料理教室に来ることはないなという事実を、ただ淡々と考えていただけだ。


 俺が春野に──恋なんてするわけがない。


「わかったわかった。またいい子を探せ」

「何度も言わせるな、雅彦。俺は別に彼女なんか欲しくもない」

「何度も言わせるな、祐也。彼女がいるっていいぞぉー」

「さあ、帰ろっと。いつまでもバカ言ってんなら置いてくぞ、雅彦」

「ま、待ってくれよぉー」


 これ以上話を続けると、雅彦ののろけ話が始まるのは間違いない。だから素っ気ない顔をして、雅彦の話を無視した。



 春野……日向か──


 それにしてもスーパーな美少女とおんなじクラスになったものだ。

 デビュー確約で街頭スカウトされるなんて。



 もう今後は彼女と関わることもあんまりないのだろうけれど、それでも春野と同じクラスだったってことは、将来ちょっとした自慢になりそうだ。今のうちにサインを貰っておこうかな。


 そんなことを思いながら、雅彦とバカ話をしながら帰宅の途についた。





 ──その翌日。

 登校したら、教室内は春野がスカウトされたという話でもちきりだった。


 そりゃあ人が行き交う廊下のど真ん中で、昨日、高城があれほど大声で話したんだ。周りに聞こえていても不思議じゃない。


 そしてこんなビッグな話が、口づてに伝わらないはずはない。特に女子なんか、こんな話は大好物だ。きっと女子って生き物は、スイーツと恋バナから栄養を摂っているんだろう。



 今日の春野の周りには、いつも以上に多くの女子達が群がっている。


「ねえねえ日向! いつデビューするの?」

「なんていうグループに入るの?」

「学校は辞めちゃうの?」


 中には「○○っていう男性アイドルと知り合いになって私に紹介して~」なんて、誠に自分勝手なことをぬかす輩もいる。


 春野は苦笑いを浮かべながら、みんなに「まだ決まった話じゃないから」と、何度も繰り返している。



 男子はと言えば、全員が遠巻きに眺めて、春野の話題を口々に言い合っている。


 ただでさえ高嶺の花感マックスで、今まででも気軽に声をかけられない男子が多かったのに。

 本当にアイドルとしてデビューするなんて、それはもうおそれ多過ぎて、顔を見るのも遠慮してしまうって男子が続出だな、これは。




 その日は授業が始まっても、なんとなく落ち着かない雰囲気が教室内に漂っていた。

 休み時間のたびに、春野の周りに人だかりができる。


 これじゃあ、この前の料理教室で手を握ってしまったことを謝るとか、とんでもなく不可能だ。

 俺はもう、春野に声をかけることなんか諦めた。

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