第50話:春野日向が作った肉じゃが★
日向はぱっちりとした目を細めてニコリと笑い、顔の横で可愛く手を振って、部屋から出て行った。
その姿があまりに可愛くて、階下まで日向を送って行くことも忘れたまま、俺はその後ろ姿を呆然と見送っていた。
「あ、そうだ。肉じゃが」
ふとそれを思い出した。日向が作ったと言っていた肉じゃが。冷めないうちに食べたい。
トレーをサイドテーブルから机の上に移して、箸を手にした。
「いただきます、日向」
日向の名前を口に出したら、胸の奥がなんだかキュッと締めつけられるような感じがした。不思議な感覚だ。
料理教室のメニューで作っただけなのに、なんだか日向がわざわざ俺のために作ってくれた手料理のような気がしてくる。
俺は肉じゃがを口に運んだ。
「うん、旨い!」
思わず言葉に出るほど旨かった。
甘過ぎずしょっぱ過ぎず、ちょうどいい味付け。じゃがいもは程よく柔らかくて、甘辛い醤油味がじゅわっと口の中に広がる。
身も心も和らぐように感じた。
「あの不器用だった日向がこんなに上手に作ったんだな……」
胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じる。危うく涙が出そうになった。
そしてわざわざ俺の所まで持ってきてくれた気遣い。もしかしたら今までの人生で一番旨い肉じゃががもしれない、なんて思ってしまった。
──それにしても……
日向は小宮山のことを、何とも思っていないようだった。それをまた思い返すと、頬が緩んでくるのが自分でもわかる。
あ、いや。バカだな俺は。
だから何だと言うのだ。
日向が小宮山のことを好きでもなんでもないとしても、だからと言ってイコール俺を好きだとかいうことでもなんでもない。
しっかりしろよ、俺。
日向にとって俺は友達だ。
変に期待してそれが叶わなかった時の落差に打ちのめされるなんてのは嫌だ。
世の中には変に楽観的なヤツらもいる。俺は臆病なのかもしれないけど……いや、臆病なんかじゃなくて慎重なんだよ俺は。
そうだ。そういうことだ。
「まあとにかく! 試験勉強をちゃんとして、恥ずかしくない成績を取ろう!」
自分で自分を鼓舞するように、知らず知らずのうちに声を出していた。
そしてその気合の入れ方が良かったのだろうか、それから夜まで俺はしっかりと勉強に打ち込むことができた。
◆◇◆◇◆
翌週の月曜日から中間テストが始まり、三日間はテスト期間だった。
俺はこの前の土日から、今まで以上に入念にテスト勉強をしたおかげで、テストにはまあまあ手応えを感じてはいた。
しかし結果が伴っているかどうかは、発表されるまではわからない。だから結果発表が待ち遠しくもあり、怖くもあった。
そしてその週末の金曜日には、早くも順位表が廊下の掲示板に貼り出された。
テスト結果が貼り出されたことを雅彦から聞いて、廊下の掲示板に向かう。そこには既に人だかりができていたが、その人だかりをかき分けて、一番前まで抜けた。
目の前にある掲示板に貼り出された、テスト結果の順位表が目に入った。
我が校では一学年約200名のうち、上位100名までが掲示板にその名を晒される。まず最初に順位表の一番上、つまり1位に目が行った。
──1位は日向だ!
「よっしゃ!」
「よし!」
俺が小さな声を出してガッツポーズをすると、同時に右隣からも小さな可愛らしい声が聞こえた。
声の方を見ると、掲示板に目を向けて嬉しそうに笑いながら、俺と同じく小さくガッツポーズをする日向が眼下にいた。
いつものことだろうに、1位を取ったことがそんなに嬉しいのだろうか。
俺の声に気づいたのか、日向も俺を見上げてちょっと驚いた顔をした。けれどもすぐに笑顔になって、聞こえるか聞こえないかの小声で「10位」と囁いた。
──ん? 10位? なんのこと?
貼り出された成績順位表に視線を戻して10位を見ると、そこには俺の名前があった。
日向は自分の1位に対して喜んでいるのではなくて、俺の10位を喜んでくれていたんだ。
10位……
一年生の間は最高が30位で、どうしてもその壁を越えられなかった。だから今回の結果は、飛躍的にジャンプアップに成功できて、これ以上ない結果と言える。
これは間違いなく日向のおかげだ。
努力家の日向に少しでも近づこうという気持ちが、試験勉強のモチベーションを高めたのは間違いない。
──もっと言えば、あの肉じゃがのおかげかもな。
そんなことに想いを馳せながら、成績表の10位の所をじっと見つめていると、ふいに右肩を誰かが押しのけてきた。
「日向~ どうだった? あ、また1位だね! おめでとー! やっぱ日向は凄いわ」
俺の肩をぐいぐい押しのけながら、日向との間に割り込んでくる。顔を見たら案の定、高城千夏だった。
触らぬ神に祟りなしだ。俺は早々に退散することにして、また人だかりをかき分けて後ろに下がった。
また明日は料理教室があるから、日向にはその時に祝福の言葉をかけよう。
──そう考えた。
◆◇◆◇◆
翌日の土曜日。俺はちょっと思うところがあって、昼間にあるものを買いに出かけた。
そしていつものように17時ちょっと前に料理教室に顔を出すと、ちょうど日向もやって来た。
今日の日向は、襟の大きなピンクのブラウスにフレアの黒いミニスカートという、このままどこかに出かけてもおかしくないようなお洒落な姿をしている。
今まで料理教室の時の日向は、初めて来た時からいつも、白いトレーナーにジーンズ姿という質素な姿だった。汚れてもいいように、そういう服装をしているのだろう。
──今日はどこかお出かけでもしていたのだろうか?
日向のような美少女は例え普段着のようなスタイルでも可愛いのだけれども、こうやって着飾るとその可愛さがさらに増して、一瞬目のやりどころに困る。
教室内に入ってきた日向は、俺の顔を見て満面の笑みを浮かべた。いつもよりもさらに可愛さが増した日向の笑顔……
「祐也くーん! 10位、おめでとっ!」
あ……俺が見とれている内に、日向に先を越された。日向のヤツ、素早いな。
「日向こそ学年トップおめでとう!」
「ありがと」
「俺なんか10位だから、全然大したことないよ」
「そんなこと無いって! 一年生の時より、20位もジャンプアップしたんだから、良かった良かった!」
「え……? なんで俺の一年の時の成績を知ってんの?」
「え……? いや、あの……えっと……うん、そうそう。だいたい30位以内の人は、名前くらいは見てたから……」
日向はちょっと顔を赤らめて、あたふたしながら理由を教えてくれた。
「あ、ああ。そうなんだ」
──あっ、そう言えば。
日向が初めてここに来た時に、俺のフルネームを覚えていることに驚いたけど、そういうことだったのか。
成績表の貼り出しを見て、俺のフルネームを知っていたんだな。
「あ、それとね、祐也君」
「うん?」
日向はニコリと笑うと、ショルダー鞄のファスナーを開けて、中を探り始めた。
しかしその時に他の生徒さん達がやって来たので、日向は「また後で」と言って、部屋の隅に鞄を置きに行った。
──いったい何をしようとしたんだろ?
ちょっと気にはなったが、それからすぐに料理教室が始まってしまったので、教室が終わるまで俺はそのことを忘れてしまっていた。
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