第51話:春野日向は贈り物をする★
その日の料理教室が終わり、他の生徒さん達が帰った後も、なぜか日向は帰ろうとせずに教室の中にいた。
日向はキッチンの奥で片付け物をしている母の方をチラッと横目で見てから、俺の方に近寄って来た。手には何か小さな紙袋を持っている。
「あの……祐也君」
「ん?」
「これ……」
日向は明らかにプレゼントに見える、綺麗なリボンが付いた紙袋を俺に向かって差し出した。
──何かプレゼントを貰うようなことがあったっけ? 誕生日でもクリスマスでもないし。
「なに?」
「私が調理実習で上手くやれるようにしてくれたお礼と、祐也君のテスト10位躍進のお祝いを兼ねたプレゼント」
「ぷっ、プレゼントっ!?」
「うん。お礼なんて今さらで、遅くなってごめんね」
「お礼なんていいのに……」
そう言いながらもその心遣いが嬉しい。
俺は日向が両手を伸ばして差し出した紙袋を受け取り、開けてみる。中からは夏の晴れ空みたいに爽やかなブルーのコックタイが出てきた。
コックタイというのは、俺がいつも講師用としてして着ている洋食料理人の服装、つまりコックコートの首元を飾るネクタイやリボンのような装身具だ。
「これを……俺に?」
「うん。ブルーは誠実や信頼を表す色だから祐也君にぴったりだし。それに……それを着けたら、あの……その……祐也君が益々爽やかに見えて、いいかなぁって思って」
──益々爽やか? 俺が?
いや、俺は元々爽やかなんかじゃないぞ。
学校では髪もぼさぼさだし、たぶん覇気の無い顔をしているし。
「あ、えっと……料理教室の祐也君は爽やかだし」
「へっ?」
俺がぽかんと口を開けて戸惑っていたからだろうか。日向は俺の考えていることにどんぴしゃでフォローを入れてくれた。
日向にそう言ってもらって、また胸の奥がキュッとする。
「ねぇ、祐也君。ちょっと着けてみてよ」
「あ、ああ。わかった」
俺がコックコートの襟元にその爽やかなブルーのコックタイを着ける。すると日向は納得したように「ふむふむ」とか言いながらコクリとうなずいた。そして目を細めて嬉しそうな声を上げた。
「わーっ、やっぱり私の思ったとおり、すっごく似合ってる!」
「そ、そうか?」
「うん!」
「あ、ありがとう……」
確かにコックタイをするとお洒落に見えるとは思うけど、そんなに嬉しそうな顔をするほどイケてるのかな?
それとも……お世辞?
「あ、もしかして、今日ここに来る前にこれを買いに行ってくれてたのか?」
「ううん、違うよ。それはネット通販で買った」
「あ、そうなのか。今日はいつもよりも可愛い服装をしてるから、てっきりここに来る前にお出かけしてたのかと思った」
「えっ……? いや、あの……お出かけなんかしてないよ」
そうなのか。じゃあなんで今日は可愛い服装をしているのだろうか?
日向がなぜかあわあわと焦って顔をプルプルと横に振っている所に、キッチンでの片付けを終えた母が出てきた。
「家の方の片付けをしなきゃいけないから、先に戻っとくね。お二人さんはごゆっくり」
「ああ、わかった」
母は俺たちの横を通り過ぎる時に、前を向いたままにやにや笑って、何やら独り言を呟いた。
「ホント、男って鈍感で困るわぁ……ごめんね日向ちゃん」
なんのことだ? 俺が鈍感?
言ってることの意味がわからない。
しかし日向は恥ずかしげな表情で母をチラッと見て、「はい」と答えた。
日向には通じてるようだ。なんのことなんだ?
そう思っていると、母はまた呟くように何かをぶつぶつと言った。
「男性にネクタイを贈るのは、あなたに……あっ、皆まで言っちゃダメか……」
──はっ?
今、何を言った?
ちょっと、よく聞き取れなかった。
「あっ、そうだ祐也君!」
「えっ?」
考え込んでる俺を制するように、突然日向が声を出した。
「それね、コックタイって言うんだって!」
「お、おう。し、知ってる……」
「あっ……えっと……そ、そうよね。祐也君なら知ってるよね。あはは」
なんかよくわからないけど、日向がちょっとキョどってる。でも、こんな心遣いをしてくれるなんて嬉しい。さすが日向だな。
「うん。日向、ありがとな。嬉しいよ」
「う、うん。どういたしまして」
日向は視線を横に外しながら、照れたような笑みを浮かべた。
「あっ、そうだ。お返し……ってほどじゃないけど、日向にご馳走したいものがあるんだ。すぐに用意するから、そこに座って待ってて」
「えっ? ご馳走?」
「あ、いや。食事じゃなくて飲み物だけどね。日向に飲んで貰おうと思って、今日の昼間に買って来たんだ」
「へぇ。なんだろ?」
「まあ、とにかくそこで座って待っててよ。なんなのかは後のお楽しみだ」
「う、うん」
日向が調理台の椅子に腰掛けるのを見届けながら、俺はキッチンに入った。
そしてお湯を沸かす準備をしてから、専門店で今日買ってきたばかりのそれを冷蔵庫から取り出して、ミルにかけた。
ガリガリという音が響き渡る。
「あ、この香り……コーヒー?」
「ああ、そうだよ」
コーヒー豆をミルで挽くと香ばしい香りが漂って、すぐに日向にバレてしまった。
この前日向は、コーヒーは苦くて苦手だと言っていたのに、なぜ俺がコーヒーを準備しているのか、不審に思っているかもしれない。
だけど──日向は喜んでくれるだろうか?
喜んでくれたらいいな。
コーヒーポットにフィルターを敷き、挽いた豆をそこに入れる。そしてポットのお湯を円を描くようにゆっくりと注ぐ。
するとコーヒーの香ばしい香りが、さらに室内に広がった。
豆の粉末がしっかりとお湯を吸って、ポットの中に液体が落ちるのを待ってから、またゆっくりとお湯を注ぐ。
コーヒーのハンドドリップは、焦っちゃダメだ。ゆっくりと丁寧に。
やがて二人分のコーヒーが出来あがり、カップに注いで日向が待つ調理台の上にコトリと置いた。
「コーヒー……よね?」
「うん、そうだよ。日向は前に、コーヒーは苦手だって言ってたろ?」
「う、うん」
「それはちゃんと覚えてるよ。別に意地悪してる訳でもない。そのコーヒー、ぜひ日向に飲んで貰いたいと思って、今日専門店で買って来たんだ」
「コーヒーの専門店で?」
「うん。口に合うかどうかわからないけど、ちょっと飲んでみてよ」
俺がそう言うと、日向はちょっと不安そうな顔で、コーヒーカップに恐る恐る口をつける。
日向はコーヒーを口に含んだ後に、コクンと飲み干す。
「えっ……? なにこれ? 美味しい!」
「だろ? 日向の口に合ったみたいだな。良かった」
俺がそう言うと、日向は小首を傾げて不思議そうな顔で俺を見つめた。
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