第52話:春野日向は興味を示す

 日向は俺が淹れたコーヒーをひと口飲んで、驚いたような声を上げた。


「えっ……? なにこれ? 美味しい!」

「だろ? 日向の口に合ったみたいだな。良かった。それは苦味が少なくてフルーティな味わいの『ガテマラSHB』っていうコーヒー豆を、少し浅煎りにしてもらったんだ」

「ガテマラ……? 浅煎り……? フルーティって、何かフレーバーが入ってるの?」

「いや、フレーバーを入れるフレーバーコーヒーってのもあるけど、それは違うよ。豆が元々フルーティな味わいなんだ」


 日向はきょとんとしている。コーヒーの世界はなかなか難しいので、丁寧に説明することにした。


「フルーティって言ってもフレーバーコーヒーとは違って、はっきりとフルーツの味がするわけじゃない。何となくそんな味がするんだよ」

「あ、うん。確かに」

「コーヒー豆って産地やブランドによって、苦味、酸味、甘味が違うんだよ。有名なモカなんかもフルーティで、酸味の強い豆なんだ」

「へぇー モカは聞いたことがあるけど、そうなのね」

「喫茶店とかで出されるのは色んな豆を調合した『ブレンドコーヒー』が多いけど、特定の豆を一種類だけ使った『ストレートコーヒー』なら、自分好みのものを選んで飲めるからいいんだよ」

「へぇ~! ストレートコーヒーかぁ!」


 日向は感心してうなずいている。どうやらコーヒーに興味を持ってくれたようで良かった。


「それで豆を煎る時間を長くすると深煎りって言ってコクが出るけど、その分苦味も増すんだ。日向は苦いのが苦手って言ってたから、お店にお願いして少し浅煎りにしてもらった」

「私のために、わざわざ……?」

「うん。日向は苦手だって言ってたけど、コーヒーって色んな味があるし、色々と試したら好きになってもらえるんじゃないかと思ってね」

「そうなんだ……ありがとう祐也君」

「コーヒーってなかなか奥が深いから、苦手のままにしておくのはもったいない」

「うん。やっぱり祐也君って凄いなぁ!」


 日向は長いまつげと綺麗な二重が美しい瞳を爛々と輝かせて、俺の話を聞いてくれている。


「あ、でも……俺も偉そうに言ってるけど、実は中学までは日向とおんなじで、コーヒーはちょっと苦手だったんだよなぁ」

「えっ? そうなの?」

「うん。だけど中学3年の時に、親にコーヒー博物館に連れて行ってもらってさ。そこで色々コーヒーのことを知って、興味が出たのと……そこで自分でコーヒー豆を焙煎する体験をして、それを飲んだら凄く美味しくって、それからコーヒーにハマったんだ」

「コーヒー博物館……なんてあるんだ。焙煎体験なんて面白そうだね」

「うん。コーヒー豆の大手メーカーが開設してるんだけどね。なかなか面白いよ」

「それ、どこにあるの?」


 日向は興味津々といった様子だ。


「ああ、K市だよ」


 K市は俺たちが住む街から、急行電車で1時間半ほど行った所にある大都市だ。ちょっとした小旅行くらいの感じになるので、普段この街の高校生が気軽に遊びに行くことはほとんどない。


 K市はお洒落なイメージの大都市だから、みんなが憧れるデートスポットなんかも数多くある街だ。


「へぇ、K市か。行ってみたいなぁ」

「うん、そうだな。今度、友達と一緒に行ってみたら?」

「私の女友達に、わざわざK市までコーヒー博物館を観に行こうなんて子はいないよ」

「ああそっか。じゃあ親は?」

「お母さんも、そんなの興味ない」

「そっか……」

「でも、行きたいなぁ、コーヒー博物館」


 日向は口を尖らせている。せっかくコーヒーに興味を持ってくれたのに、かわいそうに。一緒に行ってくれる人はいないんだな。


「それは……残念だな」

「行きたいなぁ、コーヒー博物館」


 よっぽど気に入ったのか、日向はまだ行きたいと繰り返している。でも一緒に行く人がいないなら仕方ないよな。それとも日向は、一人で行くつもりか?


「行きたいなぁ、コーヒー博物館」


 ──日向のヤツ、まだ言ってるよ。諦めが悪い性格なのか?

 日向は口を尖らせてそう言いながら、なぜか俺の顔を真剣な眼差しでじーっと見つめている。


「行きたいなぁ、コーヒー博物館。楽しそうだなぁ」


 ん?

 もしや……俺に、連れて行けと言いたいのか?

 いや、まさか違うよな。K市まで日向が俺と一緒に行くなんて、あり得ないだろ。そんなの、まるでデートみたいじゃないか。

 もしも知り合いに見られたらどうするんだ。エラいことになるぞ。


 まあ、K市まで行けば、しかもコーヒー博物館なんて、誰も知り合いには会わないだろうけど……


「行きたいなぁ、コーヒー博物館。もっとコーヒーが好きになりそうだなぁ」


 ──あ、いや。この日向の訴えるような目と甘えるような口ぶりは……やっぱり俺に連れて行けと言っているような気がしてならない。

 そんなにコーヒー博物館を気に入ったのか? そうだとすると、せっかく日向がコーヒーに対して持ってくれた興味を大切にしたい。


「な、なんなら、一緒に行くか?」

「えっ? うん! やったーっ!」


 日向は急に満面の笑みになって、ガッツポーズまでしている。やっぱり俺に、連れて行けと言いたかったんだ。


 それにしても、こんなに子供のように無邪気に甘える日向の姿を初めて見た。学校はもちろんのこと、料理教室でも見せたことの無い態度。

 服装と言い、今日の日向はどうしたんだろう? 何かいいことでもあったのか?


「ねぇ祐也君。いつ行く? 明日?」

「へっ? あ、明日?」

「うん。善は急げって言うし」

「えっと……あ、いや。焙煎体験は予約がいるから、ちょっと待って」

「えっ……? あ、うん。ごめん。嬉しくてついつい先走っちゃった」


 日向は「てへへ」と照れ笑いしながら頭を掻いている。そんなに楽しみなんだな、コーヒー博物館。

 そこまで興味を持ってくれるとは思ってなかったけど、俺が好きなコーヒーに日向も興味を持ってくれたことは嬉しい。


 俺はスマホを取り出して、コーヒー博物館のサイトで焙煎体験の予約状況を見た。すると残念ながら二週間先までは予約がいっぱいだ。

 

「どうする?」

「じゃあ、その日で」


 予約が取れる直近は再来週の日曜日だったので、スマホからその日に二人分の予約を入れた。


 こうしてなんと俺は日向と二人で、K市のコーヒー博物館まで出かけることになったのだった。

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