第20話:春野日向は本音を明かす

 学校の調理実習で恥をかかなくて済むように、料理教室に来ようと思ったのかと春野に聞くと、彼女は違うと即答した。


 まあ春野が本当のことを言おうがどうしようが、俺には関係ないか。


 ──とは言うものの。


 もしも本当は、春野が調理実習で恥をかきたくないと思っているのなら……


 いやそれどころか、もしも何でもできるイメージを保つために、料理上手なところを見せたいと思っているのならば、それなりの教え方というものがある。


 ここはちょっと、春野の本音を聞いておいた方がいいな。


「なあ春野。さっき言ったことは本当か? 俺は講師として、普通の手順で普通に料理を教えるつもりだ。だけどもしも春野に何か目標があるなら、俺はそれに協力したい。どうだ?」

「えっ……?」


 春野は少し戸惑った視線で俺の顔を見た。その目線はなぜか俺の髪の毛に行って、また俺の顔に戻ってくる。そしてまた髪の毛を見て、俺の顔を見る。


 そして春野は少し頬を赤らめてうなずいた。


 なぜだかわからないけれど、春野はこの教室に来ている時には、俺の髪型と顔を交互に見ることが何度もあった。


 ──なんでだ? 


 俺は学校ではぼさぼさ頭によれっとした着こなしの制服だけど、ここでは清潔感を出すために髪は整髪剤で整えているし、服装も洋食料理人のような服をパリッと着ている。


 ちょっと背伸びしたようなこんな格好は、やっぱり俺には似合ってないんだろうか。この格好が少し恥ずかしくなってきたけれど、今さら仕方がない。


「なあ春野。学校の調理実習で、みんなにいいところを見せたいんじゃないの?」

「えっと……」


 春野はバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。

 やっぱり春野は、なかなか本音を出してくれそうにない。


 仕方ないか。春野と俺の距離感は、その程度だということだ。


 ──それにしても俺って……


 学校では他人と話すのは面倒くさいと思うくせに、こと料理に関することとなると、お節介になるし、饒舌になってしまうな。


「うーん……私が料理下手なのは秋月君には知られてるんだし、今更ごまかしても仕方ないか。うん。そう、秋月君の言うとおり」


 ──えっ?


 春野が俺に本音を明かしてくれた。

 しかも思いのほかあっさりと。


 俺の思い過ごしかもしれないし、自意識過剰なのかもしれないけど、なんだか春野が俺を特別扱いしてくれたような気がして、ちょっと嬉しい。


 なるほど。やっぱそうなんだ。春野は調理実習で、クラスのみんなにいいところを見せたいんだ。


「春野。調理実習って、5月のいつごろなのか知ってる?」

「あ、うん。第三水曜日の家庭科実習の日。えっと……5月20日かな」


 ──ということは……

 今日は4月25日だから、一ヶ月もない。


 前回目の当たりにした、春野の料理の超絶下手さっぷり。

 あれを調理実習が行われる5月までに……つまりたった一ヶ月弱で、恥ずかしくないところまで、春野の腕を引き上げないといけないということか。


 いや、恥ずかしくないどころか……

 春野のスーパー美少女なイメージを守るために、料理が上手いというレベルまで持っていくとしたら。


 それは──なかなか困難なミッションだ。


「実習で作るメニューは何か知ってる?」

「それがわからないんだ。先生に聞いたんだけど、当日のお楽しみだって言って、教えてくれなかった」

「なるほど、そっか。……で、春野は、どれくらいのレベルを求めてるんだ?」

「どれくらいのレベルって?」

「いや、その……調理実習の時に、クラスメイトに見せる料理の腕前さ。まあ普通ってレベルなのか、料理上手って腕前なのか、それとも料理界の巨匠並みなのか」

「きょ……巨匠ぉ!? 一ヶ月で、そんなところまで上達できるの?」

「あ、いや……料理界の巨匠っていうのは、もちろん冗談だ。たまたまそんな言葉を思いついただけ」

「えっ……?」


 春野は大きな目をぱちくりさせて、びっくりまなこになっている。


「秋月君って……冗談を言うのね?」

「そりゃ俺だってたまには」

「へぇ~そうなんだ。意外~」


 春野は目を細めて、拳を口に当てて、楽しそうな笑顔でクスクス笑っている。俺が冗談を言うのって、そんなにおかしいのか? 食いつき過ぎだろ。


 まあ確かに、女子の前で冗談なんて言ったことはないかもしれないな。


 春野には、真面目くさった人間だと思われているのだろうか?

 俺の自己イメージも真面目で誠実な男だから、それでいいと言えばいいんだけど……なんだかちょっと悔しい。


 でもまあそんなことよりも、春野の話だ。


「で、どうなんだ春野? どんなレベルを求めてるんだ?」

「そりゃあ本当は料理上手に見られたいけど……そんなのは難しいでしょう?」

「あっ、いや……」


 春野の言う通りだ。それは簡単ではない。かなり厄介なミッションだ。

 だけど春野のスーパーなイメージを守るためには、料理が上手いというレベルまで持っていく必要がある。


 今の口ぶりからすると、春野が本当に望んでいるのはそういうレベルだってことだ。


 前回の体験教室で、春野は想像を絶する不器用さを見せた。その春野を、たった一ヶ月でそこそこ料理上手に見せるなんて、果たして可能なのだろうか。


 春野の顔を見ると、少し苦笑いを浮かべている。


「まあ約束はできないけど、できる限り、春野が料理上手になれるように、俺もがんばって教えるよ」

「ホント!?」


 春野は俺の言葉を耳にして、驚いた表情を浮かべる。


 そして急ににこりと微笑むと、飛び上がるような動作でぴょこんと頭を下げた。

 頭の動きと少し遅れて、栗色の髪の毛の襟元が、ふわりと持ち上がるように揺れる。


 シャンプーの香りだろうか。少し甘い香りが漂って、なんだか少しクラクラした。

 ──もちろん悪い意味ではなくて、魅力的ないい香りに意識を持っていかれそうになったのだけど。


 そして春野は顔を上げて、にっこりと満面の笑みを浮かべる。


「よろしくお願いいたします! 秋月せんせっ!」

「あ……」


 春野がこくんと小首を傾げた姿があまりに可憐で、俺は言葉を失ってしまった。

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