第19話:春野日向は思い立つ

「そう言えば祐也。お前のおふくろさん、料理教室を経営してるんだったな」

「えっ……そ、そうだけど。それが何か?」


 雅彦の言葉にギクリとする。

 コイツ、春野がウチの料理教室に来てることを、何か知ってるのか?


「だったら祐也のおふくろさんって、ものすごく料理が上手いんだよな?」

「さ、さぁどうかなぁ? ずっと母の手料理で育ってるから、上手いとか考えたことがないなぁ。まあもちろん下手じゃないと思うけど」

「いや、上手いっしょ。だって祐也の弁当をいつも見てて、おかずの種類は多いし、彩りも綺麗だし、旨そぉーって思ってたんだ」

「あっ、ああ。まあな」


 自分が料理をすることは雅彦には言っていないから、コイツは母がすべての弁当を作っているものだと、頭から信じて疑わないが……


 実は俺の弁当は、母が作る場合と自分で作る場合が半々だ。


 雅彦が旨そうって言ってくれている弁当は、いったいどっちなのかと考えたら、なんだかちょっとおかしい。


 まあそれは、どっちでもいいんだけど。


 そんなことよりも、雅彦がウチの料理教室の話をしたのは、特に春野とは関係なさそうでホッとした。


「なあ祐也。料理上手なおふくろさんの息子なら、そりゃやっぱり料理上手なお嫁さんの方がいいだろ」

「はっ? いきなりお嫁さん? そんなの考えたこともない。彼女って話じゃないのか?」

「彼女と付き合うとさ、ちょっとはそんなことも考えるじゃん。もしも将来、この子と結婚したら、なんて」

「雅彦は気が早いな。俺はそんなこと、考えたこともない。まだ高二なんだぞ」

「そりゃ祐也は、女の子と付き合ったことがないんだから、考えたことがなくて当たり前だ」

「うぐっ……」


 くそ腹立つ。どうせ俺は、女子と付き合ったことなんてないよ。

 でもまあ雅彦の言うとおりではあるな。だけれども俺は、料理の上手い下手は彼女にしたいかどうかにまったく関係ない。


 そしてお嫁さんにしたいのがどんな女の子かなんて、考えたこともない。本当に雅彦ってやつは、気が早いというかなんというか。


「まあ調理実習の時には、誰が料理が上手かわかるけどな」


 ──ん? 調理実習?

 雅彦の言葉に、俺は一瞬耳を疑った。


「調理実習? ウチの高校、調理実習なんてあるのか?」

「ああ、あるよ。二年の一学期と二学期に一回づつ」

「そうなのか? 雅彦はよく知ってるな」

「アマンが言ってたんだよ。あいつ、この高校の一個上にお姉さんがいるんだ」

「そう言えばそんなこと言ってたな」

「5月と……9月だっけかな」

「へぇ……そうなんだ」


 ウチの高校に調理実習があるなんて、まったく無意識だった。しかも一回目は二年生の五月だなんて、あと一ヶ月ほどしかない。


 その時には当然春野の料理の腕に、みんなの注目が集まるに違いない。そうなると春野の下手な料理の腕が、白日のもとに晒されてしまうということだ。


 ちょっと待て。こりゃヤバいよな。

 調理実習なんてもんがあることを、春野は知っているのか?


 学校ではいつも、春の日差しのような明るい笑顔で過ごす春野には、そんなことはまったく頭にないように思えた。




★☆★☆★


 前の体験教室から一週間が経ち、土曜日になった。今日は春野が正式なコースに参加することになって、初めて料理教室に来る日だ。


 春野が参加するのは初心者コース。

 手がかかる生徒さんが多いので、いつも多くても三~四人の少人数で実施している。

 

 俺はいつものように髪を整髪剤できっちりと整えて、白いコックコートに着替えて、教室への扉を開いた。


 教室内には、既に生徒さんが四人来ていた。

 先日の体験教室に来ていた真面目そうな女子大生の二人と、二十代半ばくらいの女性が一人。そして春野日向だ。

 いつもの花柄ピンクのエプロンと三角巾が可愛い。


 春野は俺の顔を見ると、いつも学校で見せるような笑顔を浮かべて「こんにちは。よろしくお願いします」と丁寧に会釈した。

 ちょっと他人行儀すぎる気もするけど、同じ高校のクラスメイトだとは言え、個人的に親しいわけじゃない。


 前回の体験教室では色々と関わることもあったから、もう少しフレンドリーな感じになるかもと思ったけれど、春野にとって俺との距離感なんて、まあこんなものなんだろう。


 ──そう再認識をした。


「あっ、そうだ春野」

「ん? なに?」


 急に俺が話しかけたものだから、春野はきょとんとした顔で、軽く小首を傾げる。さすがの美少女がするそんな仕草は、超絶可愛いく見える。


「ウチの高校って、二年の5月と9月に調理実習があるらしいんだよ。知ってたか?」

「えっと……ああ、うん。知ってる」


 春野が調理実習のことを知っていたなんて意外だ。


 ──あ、いや。待てよ。もしかして……


「学校で調理実習があるから、恥をかかなくて済むように料理教室に来ようと思い立ったのか?」

「ええっと……なんの話かな? 私は別に、そんな付け焼刃みたいなことは考えない。純粋に料理を習おうと思っただけだけど?」


 春野のヤツ、しらばっくれるつもりか?

 涼しい顔で答えているつもりだろうけど、今一瞬目が泳いだ。


 これは……春野の本音は、やっぱり違うんじゃないかという気がした。

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