第14話:春野日向は驚く

 なんでもお願いを聞くと言った春野だったが、俺のお願いを耳にして戸惑ったような引きつった笑顔になった


 俺のお願いというのは、そんなに難しいことじゃない。


「春野。料理を嫌いにならないで欲しい」


 ──たったこれだけだ。


 ウチの料理教室に来て、せっかく料理を学びたいと思った春野の意欲ががれたとしたら、こんなに悲しいことはない。

 しかもそれが、俺がこの料理教室に居たからとなれば、悲しみがデカすぎて俺は失意のどん底だ。


 ウチの教室になんて来なくてもいいから、せめて料理のことは嫌いになって欲しくない。料理の楽しさを知る前に、料理から離れていかないで欲しい。

 それが今日、春野の姿を見ていて、ずっと気になっていたことだ。


「えっと……それだけ?」

「ああ、それだけ」

「そうなのね。秋月君が、私が困ることなんて言うから……てっきりもっと他のことを言うのかと思った」

「えっ? 他のこと……って?」


 春野が戸惑った顔をしたのは、どうやら今の答えが俺の本心なのかどうか、迷ったからのようだ。


 他のことって春野はどんなことを想像していたんだ? 俺がちょっと首を傾げていたら、後ろから母の声がした。


「こらー祐也! そんなの『僕とデートしてください』ってお願いに決まってるでしょーっ!」

「はぁっ? そ、そうなのか春野?」

「えっ? いや、あの……」


 春野はちょっと焦ったように両手を目の前で横に振っているけど、もしかしたら母の指摘は、当たらずとも遠からずだったのかもしれない。


 俺がそんなことを言うヤツだと思われていたのか……?


「何を言ってるの、祐也。そりゃ、こぉーんなに可愛いお嬢さんなんだから、そんなお願いをしょっちゅうされてるに決まってる。ねえ、春野さん!」

「あ、えっと……まあ……」

「ほら、やっぱり!」


 そうなんだ。モテるってのも、なかなか大変そうだな。


「だから祐也。春野さんにデートなんかお願いして、彼女を困らせたらダメでしょっ!」

「いやいやいや。なに言ってるんだよ。そんなお願いしてないし!」

「じゃああんたは、春野さんみたいな可愛い女の子とデートしたくないって言うの!?」


 おいおい、母よ!

 そんな答えにくい詰問をするなよ。


 したくないって答えるのは春野に失礼な気がするし、したいなんて言ったら彼女に引かれそうだし。どっちを答えても、変な空気にしかならねぇよー


 確かに春野は可愛くてスーパーモテモテ美少女だ。だけど、別にだからと言って、俺はデートして欲しいなんて思っているわけじゃない。


 ──いや、したくないわけじゃないけど。


「まあまあ先生。秋月君も困ってるみたいだし……」


 春野が苦笑いを浮かべながらも、暴走する母を制してくれた。

 この子、俺の気持ちを察してくれたんだ。

 なかなか気がつく。


「私が言った『他のこと』って、例えば正式なコースに来てくれとか、そんなことを思ったんです」

「いや、俺はそんなことは思ってない。春野はここに来るのに抵抗があるだろうから、別にウチの料理教室に来なくてもいいよ。だけど料理の楽しさを知る前に、料理を嫌いにだけはなって欲しくないんだ」

「秋月君……」


 春野は今の俺の言葉がぐっと胸に刺さったみたいで、真顔で俺を見つめている。これで俺のお願いを聞き入れて、料理を嫌いにならないでいてくれるだろうか。


 学校で見せることのない春野の姿を見れなくなるのは、ほんの少し残念ではあるが。でも春野の気持ちを考えたら、ウチの教室に通って欲しいなんて言えない。


「こら、祐也!」

「あいてっ! なにすんだよ!」


 横から母に、またバインダーで頭をボスンと叩かれて、思わず頭のてっぺんを手で押さえた。


「あんたはなんてことを言うのよ!? ウチの料理教室に来なくていいって? あんたはライバル教室の回しモンかいっ!?」


 ──バシッ。


「あいてっ!」


 母がまた俺の頭をバインダーで叩く。


「そんなんじゃねぇよ! 春野はきっと、同級生が講師をやってる教室になんか、来たくはないだろうって思ったんだよ!」

「あ、いや、秋月君。そんなことは……」

「そんなの祐也、あんたがちゃんと学校で内緒にしたらいいだろが! それともあんたはべらべらと喋りまくってるの? 『春野さんがウチの教室に来てるんだよー お前ら羨ましいだろー!』って」

「そんなこと、一切言ってないっつぅの!」

「あ、先生! ホントにそれは、秋月君は学校では、知らないふりをしてくれてるんです」

「あ、そうなの?」


 母はきょとんとして、春野の顔を眺めた。


「はい。秋月君は、本当に信頼のできる人です。学校でずっと見てましたけど、一切そんなことは言わないし、私と関わりがあるような素振りさえ見せないようにしてくれていました」

「ずっと……俺を見てた? やっぱ疑われてたんだ」

「えっ? あ……違う。違うよ、秋月君」

「いや、俺が春野の立場だったら、心配になるだろからなぁ。わからんでもない」

「あ、まあ、心配がなかったって言ったら嘘になるけど…… でもちょっと見て、秋月君は信頼できるって思った」

「ほんとに?」

「うん、ほんと。でも秋月君って、料理教室で講師をしてる時と、学校では全然雰囲気が違うなって…… 不思議に思って見てたの」


 そうなんだ。それにしても春野が学校で、俺のことを見ていたなんて意外だ。近くに寄った時も目も合わさないし、まったく俺のことなんか眼中にないって思っていた。


「でしょーっ、春野さん! 祐也ってさ。学校行く時はいつもだらしない格好だし、髪はぼさぼさだし、表情はどよーんとしてるし。もっとちゃんとしなさいって言うのに、全然聞いてくれないのよねー」

「そ、そうですよね……」


 ──あ、また母が横から口を挟んできた。いらないことは言わないでほしい。

 春野がうつむいて、口に手を当ててプッと笑ってるじゃないか。


「講師をしてる時はパリっとしてるし、表情も活き活きしてるし。イケメンのお父さんに似てるから、まあまあイケてると私は思うんだけどなぁーっ! 春野さんはどう思う?」


 そう訊かれて、春野は改めて俺の髪型と顔と服装とを、真剣な眼差しで交互に見た。

 学園のアイドルたる美少女に、こんな眼差しで見つめられたら恥ずかしくてたまらない。

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