第33話:春野日向は練習する
今日のレッスンは、まず最初に味付けの話をすることにした。
調理台の前に二人で並んで、実践の前にレクチャーをする。
「味付けの話だけど……」
「う……うん」
日向はごくりと唾を飲み込んで俺の顔を見つめる。何か大変な秘訣でも聞けるとか思っていないだろうな。別に大した話をする訳でもないんだが。
「レシピどおりにやる。まず最初はこれだ」
「えっ? それ……だけ?」
「いや、これだけじゃないけど、一番大事なのはこれ」
「あ、まあ……そうよね」
やはり日向は大変な秘訣を聞けるものだと思っていたようだ。なんだか拍子抜けしたような顔をしていて、ちょっとおかしい。
「調理実習なんだから、多分プリントでレシピが配られると思う。そこに書かれている調味料の量を、勝手に変えたり適当に計ったりしないで、必ずその通りにすること」
「あ、はい。わかりました」
「目分量で計ったり、ちょっとくらい違うけどいいか、とか適当にしないことな」
「はい」
「じゃあ今から練習しよう」
「れ、練習? 調味料を計るって、そんなに難しいの?」
「いや別に。難しくはないけど……やり慣れておかないと、当日戸惑ったり手つきが覚束なかったりするだろ」
「ああ、なるほどねー」
俺は目の前の調理台に計量スプーンや軽量カップを並べて、それらを使って醤油や砂糖などの調味料を計る練習を日向にさせる。
「どう? 計量スプーンの使い方わかる? 体験教室の時に教えたろ? 中学でも調理実習で習ったはずだし」
「えっと……そう……だね……」
日向は「あはは」と乾いた笑いをしている。
──コイツ……あんまり覚えていないな。
「わかった。もう一度説明するよ。そして手馴れた感じでやれるようになるまで練習しよう」
「はーい」
俺がやれやれといった表情をわざと作ったら、日向はペロッと舌を出して肩をすくめた。
「いや、あの……」
調子が狂うから、そういう可愛いリアクションはやめてくれ。
俺が戸惑う姿を見て、日向は楽しそうな笑顔を浮かべてる。
くっ……おちょくられてるよな、俺。
でもまあ、楽しそうだから良しとするか。
俺は戸惑いながらも、説明をし始める。
粉末の調味料は計量スプーンで山盛りにすくった後に、へらですり切りにする。
大さじ1/2はすり切りした後に、へらで半分を取り除く。
こんなのは知識さえあれば、誰でも正確に測ることは簡単だ。だから反復練習をして、手馴れた感じになればそれでいい。
醤油とか液体の大さじ1/2は、普通は目分量でやることが多いけど、日向にはちゃんとした量を体感してもらうことにした。
少量を計れる計量カップで大さじ1/2の正確な量を計って、大さじに入れる。そしてその量をちゃんと目で見て覚える。
日向は初めのうちは恐る恐る作業をしていた。
しかし元々飲み込みが早いこともあって、5分もしたらかなり手馴れた手つきで計量できるようになった。液体の量も、かなり正確に計量できている。
やっぱすごいな日向。
不器用だなんてとんでもない。
ちゃんと基本を押さえていけば、飲み込みはかなり早い方だぞ。
こういうのを手早くできれば料理慣れしているように見えるし、調味料の量を正確にすれば味のブレが少なくなる。
つまり調理実習で料理上手に見せるために、大きな武器となるわけだ。
「調味料の量をレシピ通りにやれば、変な味にはならない。ただし煮込む物は、キッチンタイマーを使って煮込み時間も正確にするようにな」
「はい」
「じゃあ次は、ちょっとした工夫で料理上手に見える工夫を教えるよ」
「へぇ……なに?」
日向はわくわくしたような、期待に満ちた目で俺を見つめる。
楽しそうな笑顔だ。こんな笑顔を見ると、こちらまで楽しい気分になる。
そして──すっごく可愛い。
日向が学校でもみんなを魅了する理由は、単に美人なだけじゃない。
きっとこういう可愛い表情もあるんだ。
そりゃ、こんな笑顔で見つめられたら、どんな男だってきゅんとするよな。
あ、いや──どんな男だってって言ったけど、お、俺は違うからな。
うん。決してきゅんとなんてしてないし。
してないんだからな。
「そそその工夫はだな」
「うふふ」
「ん? どした?」
「あ、いえ。だって祐也君、急になんか焦ってるんだもん。どうしたの?」
「いや、たまたまどもっただけだよ。別になんにも焦ってなんかないし」
「そっか。ごめんね。焦ってるなんて言って……」
あ……
日向がしょぼんとした。
俺が不機嫌になったと思ったのかな。
申し訳ないことをした。
「いや別に謝るなよ日向。大丈夫だからさ。さーて、その工夫とはっ!」
「うんうん。なにかなぁー? わくわく!」
俺がわざとおちゃらけて見せると、日向もそれに合わせてくれた。
ああ、なんていいヤツなんだよ。
「それは……盛り付けの仕方だ!」
「なるほどっ!」
「食材を盛り付ける時は、できるだけ立体的にしたら、綺麗に見えるんだよ」
「立体的?」
「そう。普通は何も考えずに、平らに盛っちゃうよね。それを、例えばこのキャベツの千切りをお皿に盛る時は……」
そう言って、皿に置いたキャベツの千切りに両手を添えて、小さな山のように形を作る。
「こうやって寄せて、山のように立体的に盛り付ける。そしてお皿にはできるだけ空間を作るんだ」
「あっ、なんかお洒落!」
「だろ? 洒落たカフェや洋食屋、それに和食の店でも、お皿いっぱいに広げて盛り付けたりしない。皿に空間を作ることで、綺麗に見える」
「へぇー! なるほどねー! そっかぁー!」
日向は大げさに感心して、皿を見つめている。
「ちなみにキャベツの千切りは、切った後に冷水に通してあげるとシャキシャキ感が増す」
「へぇー!」
「調理実習でちょっと工夫してこんな風に盛り付けたら、料理上手に見えること間違いなしだ」
俺がニッと日向に笑いかけると、日向も「そうだね!」とニッと笑い返した。
俺が言うことに日向が共感してくれる感じがなんだか嬉しい。
そして同じ目標に向かって一緒に頑張っているという感覚が何とも言えず心地いい。なんだか俺自身も、教えていてわくわくするし、めっちゃ楽しい。
「料理って色々なコツや工夫があって面白いね」
「だろ?」
初めて日向がここに来た日に思った願い。
『料理が嫌いにならないで欲しい。いや、好きになって欲しい』
日向の楽しそうな笑顔を目にして、その願いが叶いつつあることに、俺の胸には安堵と嬉しさがじわりと広がった。
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