第24話:春野日向は努力家

 本日の料理教室が終了した。

 春野は帰り支度をするために、いつもの花柄ピンクのエプロンと三角巾をテーブルの上で丁寧な手つきで畳んでいる。


 春野は今日一日、キャベツの千切りに始まって、大根の輪切りや短冊切りなど、包丁使いの練習ばかりして過ごした。おかげで包丁の使い方は、かなり様になってきたように思う。


 それにしても、やっぱり春野は大したヤツだ。

 彼女は今日、文句一つ言わずに、面白くもないであろう包丁の練習を、ただただ黙々とこなしていた。


 正直言って俺だったら、あっという間に投げ出していたな。

 うん、間違いない。


 春野の姿を見て、俺が普段からいかに努力が足りないか、ひしひしと自覚させられた。

 他人に気を遣って喋るのが面倒くさいなんて言って、友達を増やそうともしない自分は、情け無いヤツだ。


 俺ももっとがんばらなきゃ!

 ──という気持ちが芽生えるものの、そんな簡単にはいかないよなぁ……とも思う。


 いや本当に、春野って子は凄い。

 尊敬しかないよ。


 学校のみんなが知ってる春野は、華やかで、軽々と何でもスーパーにこなす美少女。カーストトップに君臨する、みんなが羨む才能を持った特殊な人間。

 もちろん誰でも努力さえすればそうなれるわけではないから、確かに春野には天才的な能力があることは間違いない。


 けれどもそれらはすべて、春野のこの真摯で努力家な部分があってこそのことだと、俺は知ってしまった。

 そう思ってエプロンを鞄にしまう春野を見ると、今まで以上に彼女がキラキラと輝いて見えた。


「……ん? 秋月君? どうしたの?」


 布製のショルダー鞄をよいしょと肩にかけて、春野が俺の方を向いた。


 ──しまった。

 俺がぼんやりと見ていたのを、春野は不審に思ったに違いない。


「あ、いや……お疲れさん。面白くない包丁使いばっかで疲れたろ?」

「ううん、そんなことない。どんどん自分が上達するのがわかるから、面白かったよ」


 春野はニコリと笑顔を浮かべて、「ありがとう秋月君」と付け加えた。

 その笑顔のキラキラ具合に、また鼓動がドキリと高まる。


 ──いかんいかん。あんまり春野の魅力に当てられる訳にはいかない。


 今はこうやってウチの料理教室に来てくれて、接する機会もある。けれどもそこから離れたら、やっぱり春野が高嶺の花であることは間違いないんだ。


 料理教室に来なくなれば、俺と春野が接する機会なんてのは、ほとんど無くなるだろう。


 そこを勘違いしてはいけないぞ、俺。

 春野と俺は、所詮は住む世界が違うんだからな。

 春野と仲良くなったなんていい気になってたら、後で実はそうでもなかったんだと気づいてガックシくるに違いない。


 ──俺は自分にそう言い聞かせる。




「今日もありがとうございました!」


 帰り支度を整えた春野が、玄関で靴を履いて俺と母に会釈した。

 他の三人の生徒さんが先に玄関を出て、春野もそれに続いて出ようと玄関ドアの取手に手をかける。


 ところが彼女は急に取手から手を離して振り向いた。


「あっ、そうだ、秋月先生!」

「「はい?」」


 俺と母が同時に声を出す。

 それに気づいて母と俺は顔を見合わせた。

 母はプッと笑って春野に問いかける。


「どっち?」

「あっ、ごめんなさい。由美子先生のつもりで声かけました」

「あ、はい。どうしたの、春野さん?」

「来週は料理教室、お休みをいただきたくて……」


 来週の土曜日は、ゴールデンウィークの真っ只中だ。


「家族旅行に行く予定なので、来れないんです」

「ああ、そうなのね。わかった」

「ホントすみません」

「いいよー そう言えば他の生徒さんも休みたいって言ってたから、来週は教室自体お休みするわ」


 母は俺を向いて、ニヤッと笑った。


「ウチも家族旅行にする?」

「いや、いい」


 俺が即答すると、母は拗ねたように口を尖らせた。


「ええーっ!? 祐也、冷たいなぁー」

「ゴールデンウィークは父さんが単身赴任先から帰って来るんだから、二人でどっか行ってこいよ」

「あっ、そうだねー 父さんと二人で、ラブラブデートするわ!」

「はいはい、お好きにどうぞ」


 どうぞご勝手に、って感じだ。


 父と母も雅彦達と同じくバカップルだと思う。

 まあだけど結婚して何年も経って、バカップルでいられるのは凄いことかもしれないけれど。


「秋月先生」

「「はい?」」


 あ、またやってしまった。

 春野の言葉に、母と俺が同時に答えた。俺達親子はまた思わず顔を見合わせる。


「あ、いや……由美子先生って、ホントにご夫婦の仲がよろしいんですね」

「まぁねぇー」


 母は否定することもなく、手のひらを頬に当てて嬉しそうに答えた。やっぱりバカップルだ。


「春野さんちはどうなの?」

「えっ? いや、あの……ウチは……」


 春野は言い淀んだ。もしかしたら何か事情があるのかもしれない。

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