第72話:春野日向は素を出したい★

「あのさ、じゃあさ、祐也君」

「なに?」

「前に言ってたでしょ?」

「何を?」

「祐也君も私も、学校で素を出せたらいいねって話」


 そう言えば、そんな話をしたことがあるな。日向は何を言いたいんだろう?

 目に涙を浮かべたままニコニコとする日向を、俺はぽかんと見つめた。


「それと素を出せたら、私たちの関係も隠さずに出そうねって言ってたよね」

「そ……そうだった……かな?」


 俺たちの関係と言ったって、前に話した時は、料理教室で講師と生徒として関わりがあるという程度だった。


 だけど今は……


「ねえ、祐也君」

「なに?」

「学校で、いつを出す? つまり私たちの関係」

「ええーっ!? いつって……」

「だって来週から二学期が始まるよ」

「お、おう。そうだな」

「二学期の初日?」

「ええっ!? いきなりーっ!?」

「ダメ……?」

「ダメって言うか、心の準備がまだ……」

「そっかぁ……」


 日向はしょぼんとしている。悪いなとは思うけど、やっぱり心の準備は必要だろ。


「そんなに早く、俺たちの関係を公表したいのか?」

「うん。だってさ。関係を内緒にしてたら、どこかに遊びにも行けないし……」


 確かに、それはそうだ。K市みたいに、誰にも会わない遠方にばかり行くわけにもいかない。それに遠方であっても、何度も出かけたらそのうち誰かに見られるかもしれない。


「本当は夏休みに、祐也君とお祭りとかプールとか行きたかったんだけど……私たちの関係を内緒にしてるから誘えなかったのよね……」


 そうだったのか。それは日向に悪いことをした。

 もしも日向から誘ってくれたら出かけようなんて、俺はなんて受け身で身勝手だったんだろう。ホントに情けないなと、今になったらそう思う。


「じゃあさ。これからは気にせず遊びに行って、誰かに見つかったら公表するってのはどうだ?」

「ええーっ……コソコソしてるみたいで、なんかやだなぁ。それに公表するまで、学校では話もしづらいし」

「別にわざわざ公表しなくても……普通に学校で俺たちが話をしたら、自然と回りも気づくだろう?」

「少なくとも千夏には言わないといけない」

「ああ、俺も雅彦には言わないといけないな」


 付き合いだしたことを誰かに言うなんて、普通はここまでだよな。お互いの仲の良い友達にだけは言うって感じ。だけど日向は、なぜかそれ以上の公表を考えているようだ。なんでだろ?


「でも、他の人にもちゃんと伝わるようにしないと……ほら、なんか私って、割と噂とか広がりやすいみたいだし」

「あ……そっか」


 日向は学校では学園のアイドルとして超有名人だ。確かに中途半端に内緒にして噂に尾ひれはひれが付くくらいなら、俺と日向が真面目に付き合いだしたことを、ちゃんと伝えたほうがいい気がする。


「それとね……私と祐也君が付き合ってることを……えっと……あの……」

「ん? どうした?」

「みんなにも知ってもらいたいな……なんてね。えへっ」


 頬をピンク色に染めて、日向は上目遣いで俺を見ながらぺろっと舌を出した。

 その愛らしい言葉と姿が俺の脳を直撃して、今俺の頭は爆発した。間違いなく爆発した。頭の中がくらくらして何も答えられない。


 そうなのか。日向は俺と付き合ってることを……みんなに知ってもらいたいんだ。なんと可愛いことを言うんだよ日向は。


「えっと……祐也君は……やっぱりそんなのは嫌かな?」

「いやいやいや! 全然嫌じゃない! うん! ちゃんとみんなに公表しよう。俺も腹をくくるよ!」

「ホントに? いいの?」

「おう。それが日向の望みなら」


 ──そうだよ。俺は日向が後悔しないようにするって決めたんだから。こんなことくらいでオタオタしててどうするんだ。


「うん、ありがとう! それと祐也君も私も、ちゃんと素を出せるようにしようね」

「あ……そうだな。そういう約束だったな」


 俺が素を出すって、いったい何をどうしたらいいんだ?


「私は苦手なものは苦手って、ちゃんと言えるようにする。祐也君は……あっ、そうだ! いいことを思いついた!」


 日向は何かを閃いたみたいで、ぱぁーっと表情が明るくなった。何を思いついたのだろう?


「二学期が始まって一週間くらいしたら、二回目の調理実習があるでしょ?」

「ああ、それくらいの日程だったかな」

「私たちが付き合ってるのを公表するのは、その日にしない?」

「えっ? なんで?」

「面白いから」


 日向はそう言って、ニッと笑った。まるでいたずらっ子の笑顔だ。そしてその日の計画を嬉々として俺に説明してくれた。

 その計画の中には、調理実習の日に俺が料理の腕を披露することまで入っている。


「えっ? そんなことまでするの?」

「うん。祐也君の素を出すんだから、それでいいでしょ?」

「あんまり気が乗らないなぁ」


 渋る俺の顔に向かって、日向は人差し指をすっと伸ばしてくる。なんだろう?


 日向は人差し指の先で、俺の鼻の頭をきゅっと押さえた。鼻の頭に、日向の指の感触が広がる。


「だって祐也君。私はあなたの素敵な姿を、みんなにも見てもらいたいの」


 そのまま日向は美しい二重の目を細めて、ニコリと笑う。ピンクの唇が艶々している。ああ……なんて可愛いんだよ。鼓動がドクンと跳ねて、胸の奥がきゅうっとした。


 ──そんなことをされたらもうダメだ。これを世間では萌え死にっていうんだろう。

 俺は既に死んでいる。

 だから俺の口からは、自然とこんな素直な言葉が出た。


「あ……ああ。わかったよ」

「やった! 楽しみだなぁ……」


 小さくガッツポーズをした日向は、ホントに楽しそうに笑っている。


「あ、そうだ。その日までは、学校が始まっても、今までどおり祐也君と私は関係のないフリをしようね。その方がサプライズがあって楽しそう」

「わかった」


 日向って案外子供っぽいというか……こんないたずら好きな所があったなんて意外だ。


 ──いや、俺はまだまだ日向っていう女の子の、ほんの一部しか知らないのだろうなと思う。

 これからもっと日向のことを知りたい。そして日向にも俺のことをもっと知って欲しい。きっとそういうことも含めて、それが付き合うということなんだろう。


 そんなことを考えていたら、自宅の方から日向のお母さんと母が戻ってきた。かれこれ一時間近くも二人で話していたようだ。

 日向のお母さんもすっかり落ち着いて、穏やかな笑顔になっている。


 そして日向とお母さんは、二人とも笑顔で仲良さげに帰っていった。

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