第58話:春野日向は中華街に行く

 大学生のお姉さんに、日向と俺が「お似合いのカップル」なんて言われた。

 そんなことを言われて、日向は否定するかと思ったら、なぜかふふふと笑ってる。


 アイドル並みに可愛い日向と俺みたいに地味な男なんて、きっと不釣り合いだよな。お似合いなはずはない。なのに日向は怒りも否定もしない。それって俺を傷つけないためだよな。日向ってやっぱり優しい。

 だから俺は、日向のその優しさを無下にしないように笑顔を返す。


「そっか、俺か……じゃあ良かった。う、嬉しいな」

「うん」


 俺の言葉に、日向は嬉しそうにこくんと頷いてくれた。


「あ……こ、コーヒー博物館を見に行こうか」

「そ、そうだね」


 日向も俺も照れて、少しギクシャクした変な感じになっている。とにかくお似合いとかなんだとかいう話題から話をそらして、コーヒー博物館の展示を見て回ることにした。



◆◇◆◇◆


「あー、面白かった! コーヒーのことをたくさん知って、コーヒーが好きになったよ。祐也君の言うとおりよね」

「うん、良かった。日向がこんなに楽しんでくれるなんて、思わなかったよ」


 俺たちは館内の展示物をひと通り見て回って、コーヒー博物館の建物を出た所でそんな会話を交わした。


 スマホで時間を見ると12時を過ぎたところだ。


「どこかでお昼ご飯を食べようか?」

「うん」

「日向は何を食べたい?」

「うーん……何か祐也君のお勧めはある?」

「そうだなぁ。K市と言えば、やっぱり中華街かな」

「あっ、行きたーい!」

「日向は行ったことある?」

「実は行ったことないのよねぇ、中華街」

「じゃあ行くか?」

「うんっ!」


 日向は満面の笑みで、片手ガッツポーズをしている。かなり嬉しそうだ。俺も中華街には滅多に行かないし、楽しみだ。


 俺たちは市内電車に乗って、中華街に向かった。




 ◆◇◆◇◆


 電車の中で、日向に「どんな物を食べたい?」と尋ねると、日向は「うーん……」と考え込んだ。


「中華街、行ったことがないから、よくわからない。祐也君のお勧めは?」

「俺のお勧めは餃子だな。K市の餃子は餡がとっても肉々しい上に、タレが味噌味だったりして結構特徴的でさ。すっごく美味しいんだよ。俺も大好きで、超お勧めだ」


 ここまで言った後に、『あっ』と気づいた。


 ──女の子に、餃子のような口臭が気になる食べ物を勧めるのはよくないと。


「あ、ごめん日向。餃子はやめとこう。臭いが気になるよな」

「ううん、大丈夫。私も餃子大好きだから!」

「ホントか?」

「うん。二人とも一緒に食べたら、臭いは気にならないでしょ?」


 確かにそうなんだけど、帰りも長時間電車に乗るし、ホントにいいのだろうか?


「それに祐也君の話を聞いて、もう口が餃子になっちゃった!」


 日向は二重の綺麗な目を細めて、可愛らしくニコッと笑う。


「口が……餃子か」

「うん!」

「確かに。俺も既に口が餃子になってる」

「でしょー?」

「ああ」

「ふふふっ……決まりよね!」


 日向があまりにも楽しそうにそう言うものだから、本当にいいのかという気持ちもあるものの、K市の中華街で人気ナンバーワンの餃子専門店に行くことにした。




 中華街の中心辺りにあるその餃子店に着くと、入り口からズラっと行列ができている。さすがは超人気店だ。


「うわー、凄い! いっぱい並んでるね」

「そうだな。他の店にするか?」

「ううん。せっかく来たんだし、一番人気のこの店の餃子を食べたい! 並ぼうよ」

「お、おう。そうだな」


 店舗の入り口から道に沿って並んでいる行列の一番後ろに並ぶ。20人くらい並んでいるけど、回転も早いので30分以内には入れるだろう。


「はいはーい。もう少し詰めて並んでくださいねー」


 行列の人々に向かってお店の人がお願いをしている。広がって並んでいると列が長くなるし、歩道に広がると歩行者の邪魔になるからだ。


「もう少し奥に行ってくださーい」


 歩道側に立っていた俺は店員さんに肩をくいっと押された。軽く押されただけだけど、突然のことだったので少しよろめいた。すぐ横に立つ日向に向かって、くっつくような態勢になってしまう。


「ひゃっん!」


 日向は変な声を上げて少し身体をよじったけれども、狭いものだから大して態勢は変わらない。


 図らずも俺の胸と日向の顔が密着するような形になってしまった。顔の下の日向の髪から、女の子特有の甘い香りがふわりと鼻に届いた。

 それと同時に日向の胸が俺のみぞおち辺りに押し付けられて、ぷにょっとした感触がした。案外大きい。

 あ……いや、そうじゃない。謝らないと!


「あ、ごめん!」


 ──これはわざとじゃない!


 そんな言い訳を心の中で叫びながら、日向から少し間を取った。


「ごめんな。大丈夫か? 怪我はない?」

「あ、うん。大丈夫」


 日向は真っ赤な顔をしてうつむいている。さすがにあれだけ身体が密着すると、俺も恥ずかしい。


 しばらく二人とも黙り込んで、沈黙が流れる。


 ──しかし……

 日向の身体に密着した時に感じた、柔らかくて温かな感触が、胸やお腹に蘇る。


 今まで日向とは親しくしてはいたものの、やはりどこかで違う世界の人、まるでテレビのアイドルのような虚構の存在、という感覚が残っていたのも確かだ。


 だけどさっきのように日向の存在を目だけじゃなくて、大げさに言えば俺の全身で感じたことで、まるで日向が手を伸ばせば届く存在であるかのような錯覚がした。


 ──あ、いや。それはどこまでいっても錯覚なのだろうけれども。


 だけど胸とお腹に残った日向の感触は、しばらくは消えそうになかった。

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