第60話:春野日向は異人館街に行く★

 日向と一緒に異人館街に行った。

 ここは港を見下ろす高台に数多くの古い洋風屋敷が建ち並ぶ、異国情緒溢れるお洒落な観光地だ。

 街行く観光客はグループや家族連れもいるけれども、カップルの割合が圧倒的に多い。その多くが腕や肩を組んだり手を繋いだり、立ち止まって見つめ合っていたり──


 甘々な空間というか、目のやり場に困るというか……とにかくバリバリのデートスポットだということだけは間違いない。


 そんな中を日向と二人で散策するのは、やはり俺にとっては場違い感が半端ない。


「わー、あの建物凄く可愛い! あーっ、あっちの建物もお洒落!」


 ──しかしながら日向と言えば、やっぱりメンタルが強いのか、カップルだらけの周りをあまり気にすることもなく、街歩きや異人館内の見物を楽しんでいる。


 可愛らしくワイワイ、きゃいきゃい言いながら、スマホで写真を撮りまくったりしていた。普段の日向は明るく元気ではあるけど、そんなにはしゃぐようなイメージではない。異人館見物がよっぽど楽しいのだろう。


 いくつかの異人館を見回って、道を歩いていると、【トリックアート・不思議な異人館】という看板が目に入った。床や壁にリアルな騙し絵が書かれたトリックアートの博物館が、どうやら異人館の中にあるようだ。


「あっ、これ! 面白そう!」


 日向がその看板を指差して、嬉しそうな声を上げた。


「ホントだな。異人館にこんなものがあるなんて知らなかったよ」


 背中をこちらに向けて目の前に立っていた日向が、突然くるっと俺の方に振り返った。栗色の髪とチェックのミニスカートが渦巻くようにふわりと揺れた。そして日向の艶々としたピンク色の唇から、耳触りの良いキュートな声が飛び出す。


「ここ、入る?」


 その美少女は少し俺を見上げながら、長いまつ毛の綺麗な目を細めて、笑顔でコクンと小首を傾げた。

 異人館が建ち並ぶお洒落な景色を背景にしたそんな彼女の姿は、まるで映画のワンシーンに出てくるヒロインのようだ。


 ──こんなに可愛い女の子は、今まで見たことがない。


 思わず日向に見とれてしまっていた。

 俺がすぐに返事をしないものだから、日向は再び訊いてくる。


「ねえ祐也君。どうする?」


 自分の名前を呼ばれて、ハッと我に返った。


「えっ……? お、おう。入ろうか」

「うん、そうしよう!」


 日向は満面の笑みでコクっと頷いて、トリックアート異人館の入り口の階段をトントントンと上がって行った。




 階段を上り切ったところにある受付で入館券を二人分購入して、異人館の館内に入る。

 館内にはたくさんのトリックアートが展示されていた。かなりリアルな絵なので、まるで本物のように見える。


 壁いっぱいに描かれた巨大なドラキュラ伯爵の絵では、まるでドラキュラ伯爵が手に持つワイングラスの中に俺と日向が閉じ込められているように見えたり。

 遠近感覚が狂うような絵が描かれた部屋では、俺よりも日向の方が背が高く見えたり。


 とにかくどのトリックアートも驚いたり笑えたり、日向と二人して子供のようにワイワイと騒ぎながら見て回った。

 日向も心から楽しそうな顔をしているし、俺もホントに楽しくて、こんなに笑うのはいつぶりなんだろうかと思うくらい笑っている。


 様々なトリックアートを見て、終わりの方になって、床が抜け落ちている小部屋があった。もちろんそういう絵が部屋の床にリアルに描いてあるだけなのだが、底は真っ暗で本当に床が抜け落ちているように見える。

 そして部屋のこちら側の入り口から反対側の出口まで、靴の横幅くらいの狭い木の橋が一本掛かっている。


 もちろんその橋も絵で描かれたものなのだけれども、もしも足を踏み外したら、本当に真っ逆さまに転落しそうに見える。

 

「えっと……ゆ、祐也君……先に行ってくれる?」

「ん?」


 日向は青ざめた顔をしている。リアルにビビっているようだ。


「単なる絵だから大丈夫だよ」

「う、うん。わかってる。だけど私、高い所が苦手で……あまりにリアルだから、ちょっと怖い……かな。あはは」


 笑っているけど、本当に日向は怖いみたいで、冷や汗タラリといった表情になっている。


「ああ、わかった。ゆっくり歩くよ」

「うん、ごめんね」


 まずは俺が先に一歩踏み出して、細い木の橋に足を乗せる。あまりにリアルな絵なので、確かに俺でも少し足がすくむ。俺の後ろにピタリとくっつくようにして、日向が付いてくる。俺はゆっくりゆっくり、何歩か歩を進めた。


「きゃっ!」


 突然後ろから小さな叫び声が聞こえて振り向くと、日向はバランスを崩したようでふらついている。


 ──大丈夫か?


 と声をかけようとした瞬間、日向が急に両腕で、俺の左腕にぎゅうっと抱きついてきた。日向の両腕と胸が俺の二の腕に押し付けられる。日向は少し震えている。


 そんな態勢に、俺は思わず息を飲んでしまって、言葉が出ない。


「ご、ごめんね祐也君。やっぱり怖い。祐也君の腕につかまらせて……」

「お、おう。お安い御用だ」


 俺も動揺してしまって、まるで江戸っ子のような変な言葉が口をついて出た。けれども日向はそんなことには気を回せないようで、真顔で俺の腕にぶら下がるようにしている。


「じゃ、じゃあ、ゆっくり歩くぞ」

「う……うん。お願い」


 無理に引きつった笑顔を浮かべた日向に、俺はニコリと笑いかけて「任せとけ」と力強く声をかけた。


 ──いや、実際にはこれは単なる絵なのだから、そんなに偉そうに言うほどのものではないんだけれども。


 それはわかっているが、怖がる日向の姿を見ると、安心させたくてついそんな感じになってしまった。

 そろりそろりと足を運ぶと、日向も俺の腕にしがみついたまま、ゆっくりとついてくる。そして無事に橋を渡り終えて、ようやく小部屋の出口から脱出できた。


 俺の腕にしがみついたままの日向は、大きく息を吐いた。


「はぁ~、怖かった……」


 そこで日向ははっと気づいたように俺の腕から離れて、少しうつむいて恥ずかしそうな声を出した。


「あ……ご、ごめんね祐也君。お、重かったでしょ?」

「いや全然。大丈夫だ。ま、まあ……いつでも頼ってくれたらいいし」

「う、うん。ありがとう……」


 日向が離れて、俺の左腕は急に軽く、そして涼しくなった。

 腕がスースーする感じがする。それは……少し寂しい気がした。

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